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雨の日の助手席で(「やわらかなレタス」江國香織 著)

労働時間の8時間中、6時間半をミーティングが占める狂った一日が終わった。予定と予定の間に挟まれた余白をかき集めれば1時間半もあったはずなのに、記憶がほとんど無い。

溜まったチャットを返して、トイレへ行って、飲み物を取って、あとはソファに倒れ込んで文庫本を30分ほど読んでいた気がする。

「やわらかなレタス」(江國香織 著)は、感情を過度に揺さぶられたくないが、日常からちょっと離れたいときに丁度いい。

江國さんのエッセイは「読む」というより「聞く」に近い気がする。読んでいるときに浮かぶイメージはいつも、雨の夜を走る車内だ。

わたしは助手席に座るちいさな子どもとなって、ハンドルを握る歳上のおねえさんの話にただ相づちを打っている。彼女の口から聞く日常生活は特別でもないのにどこかドラマチックで、その割に喜怒哀楽は淡々として語られる。

強いお酒と音楽のこと。姉妹のこと。男の人のこと。
分かる話にも分からない話にも「うん、うん」とうなずいてしまうのは、彼女に語りを止めてほしくないからだ。不思議なことに江國さんの言葉で聞かされると、わたしは結婚も男の人もお酒もまだ何一つ分かってなくて、そのくせ興味津々な子どものような気持ちになる。

実際の江國さんは運転が苦手らしいので、もちろんこれはイメージの話だ。「歳上のおねえさん」の姿も、わたしが出会ってきた歳上の女性たちを寄せ集めたものに過ぎない。

その多くは、幼い頃に会った母の友人たちだ。
頻繁に遊びに来た「ふみちゃん」は母と対象的にウェービーなロングヘアを垂らしており、ふくよかな女性らしい身体つきをしていた。わたしの前でもすぱすぱタバコを吸い、それが非常に似合っていた。

ふみちゃんの爪はいつも指からずいぶんとはみ出しており、見る度に違う色や石で彩られていた。
「まきちゃんも塗ってみる?」
にやりと笑うふみちゃんに赤色の小瓶を見せられたとき、好奇心のなかには確かに少量の恐怖が混ざっていたはずだ。

マニキュア、香水、タバコ。それらを皮膚の一部のように纏う女性にうっすらと抱く憧れや戸惑い。江國さんのエッセイからときに感じる距離感は、こういったものに近い。

それらは決して恐ろしいものでも、恐れるべきものでもない。しかしワンピースや色付きリップのように、女の子たちが順当に手にしていくものでもない。その道を逸れたわたしは江國さんの文章を読むと、何もかもただ遠くから見つめていた子ども時代のような気持ちになるのだ。

本を閉じるのは、シートベルトを外して車を降りるのに似ている。わたしはもう大人なので、車が走り去ったあとには仕事に戻るしかない。
「もう帰ってきちゃった」と思いながら。


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