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喫茶店がこわい

個人経営の喫茶店が怖い。

美容院や定食屋に比べて、個人経営の喫茶店はなぜあそこまで店主の個性が強く反映されるのだろうか。

店主の縄張り(店内)に入り、その世界観や暗黙のルールに身を投じるのが怖い。「外」の世界のルールが通用しなかったらどうしよう。そんな可能性を感じさせるのが喫茶店だ。


週末に夫と行った店は、まさに店主の作り上げた濃密な世界だった。

モーニングの時間に訪れたわたしたちは、名物の釜焼きパンケーキと普通のパンケーキを注文することにした。

「ホットコーヒーと、モーニングは釜焼きパンケーキ一段で」

その瞬間、店主は飛び上がるような反応を見せた。

「ええっ、釜焼きパンケーキ、『一段』でいいんですか!?」

店主は一段を『いーちだん』と驚きをたっぷり込めて夫に聞き直す。

えっ、そんな……。

そうか。
わたしは瞬時にルールを理解した。この店では一段を頼むのは「罪」なんだ。「TV番組で紹介されました!」と書いてあるじゃないか。メニューの写真は二段じゃないか。

子どもとか食の細そうなおばあちゃんじゃない限り、二段を頼むのがルールなんだ。この「いーちだん」は見せしめだ。

店主の声は、そう思わされる驚き方とボリュームだった。わたしは怖すぎて、向かいに座っているのにもう他人のフリである。


「皆さんね、二段にしてインスタとかに挙げられますよ〜。やっぱりこれが一番人気なんでね〜。二段がおすすめです」

「あ、じゃあ……」
押しに負けた夫は、笑顔のままメニュー表に乗せた指を「一段」から「二段」へスライドさせた。

不安しかない。わたしはこれから「人気No.1!」と書かれた釜焼きパンケーキを差し置いて、普通のパンケーキを頼むのだ。

「わたしはロイヤルミルクティーと、こっちのパンケーキで」
堂々とメニューを指差すが、もちろん店主は見逃してくれなかった。

「……えっ!? こっちでいいんですか? 一番人気は釜焼きパンケーキなんですが」

いや、お前が作ったメニューだろうが! じゃあ置くなよ! 普通のパンケーキにも誇りを持てよ!

内心突っ込みながら「夫と分けっこするので」と押し通す。「分けっこ」を気持ちハッキリと発音し、最後にはできる限りの笑顔で「また今度」と付け足した。

「分けっこ」を理由に窯焼きパンケーキ二段を回避するのは、先に注文した夫を生贄にするようなものだった。さすがに勧めようがなかったのか、店主は笑顔で去っていく。許せ。夫よ。


一息ついて店内を見渡すと、家族連れから若いカップルまで広い年齢層で混んでいる。みんな窯焼きパンケーキをつついているところを見ると、最初から窯焼きパンケーキを頼んだか、店主に負けたかのどちらだろう。

そんなことを考えていると、反対方向の壁に大きな貼り紙を見つけた。

「γ波を浴びて健康になりましょう!」

おっと……? 

今までとは違うタイプの違和感。しかもよくわからない波の手描きイラスト付きである。確実に店主が描いているだろ。

慌てて店内を見渡すと、わたしの背中側には「水素吸入 十分 〇〇円」とあった。うわっ。いつの間に。喫茶店で水素吸入は斬新すぎる。アイスコーヒーのようにストローで吸うのだろうか。

「お待たせしました」

思ったよりも早くパンケーキを提供してくれた店主の首にも、シルバーの筒をつなげたネックレスが揺れている。独特なデザイン。これにも特殊な効用があるはずだ。もうそうとしか見えない。

最初の注文なんてどうでも良くなってしまった。店内にγ波とやらが流れていて、水素水でコーヒーを入れていたらどうしよう。
それの何が良くて悪いのかも分からないけれど。


そう思いながら口をつけたパンケーキは写真に負けない分厚さで、ふわふわなのにしっとりしており、とても美味しかった。

モーニングのサラダや付け合わせは「とりあえず居ます」といった感じの店も多いが、ここは一品一品のクオリティが妙に高い。

「次はこっちのフレンチトーストモーニングが食べたいな」
思わずそう言ってしまうくらい、美味しい店だった。

しかしこの店で食事をするのは、γ波と水素と釜焼きパンケーキを勧める店主と再び対峙するということである。

何食わぬ顔で釜焼きパンケーキをほおばる人々は、この店にどんな感情を抱き、どう折り合いをつけて店に通うのだろうか。たった三十分で、周りの客に妙な連帯感というか親しみが生まれている。


それにしても店は混んでいた。食事をしている間も五分おきには客が来て、ついに満席になる。

あまり長居せずに、食べ切ったタイミングで会計へ向かう。
レジにはPayPayのQRコードと並んで、「ホタテの殻と炭のパワーでもっと健康に!」と書かれたサプリが置かれていた。

やっぱりこの店、怖いよ!


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