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父は何度もさようならを。
朝、店である実家に向かう途中、ゴミ置き場は粗大ゴミの日だった。
見知らぬチェストと一緒に実家のゴミもあった。病気をしている母が、断捨離しているものを兄が捨ててくれたのだろう。
車庫に着くと、埃まみれの壊れた黒のパイプ椅子がある。私が捨て置いたものだ。
まるで、人がいつでも座れるようになっている。実際には、汚くて座れたものじゃないが。
「あのさ、あの車庫にある椅子捨てようかな、前からうっかり忘れてばかりで。今日こそ捨てるよ」
仕事を始める前に、ささねばならない何種類ものの目薬を前にした母に話しかけた。
母は今、篩骨洞と眼窩にある腫瘍の何回目かの摘出をして大分体力を奪われてはいるものの、一時失った気力を取り戻している。
「え?そんなのあった?」
「うん、あるの。置きっぱなしの。私が、だけど」
仕事のユニフォームに着替えながら明るく話した。
いいよ、私が捨てるよ、と言ってゴミ収集の時間が過ぎる前に、と名前を書くマジックを持って行ってしまった。
「あのさ!いいよ!あれ、ちょっとワケあり!私が…!」
そうだ、あれは父が自死する数日前に大きな事件があって、家族の信頼関係が無残に壊れた。
父はすっかり孤独の影を自ら被り、残暑の独特の匂いの夜の中、私が車庫に捨て置いたその椅子に座っていた。家に入り辛かったのだろう。
それを母に捨てさせるわけにはいかない。
なぜならきっと最期に孤独にしたのは私だからだ。
あの椅子に座らせたのは、
悲しそうに座らせたのは、
私だ。
父は、躁鬱でアルコール依存症だった。どちらが先かは分からない。
躁鬱が先か、アルコールが先か。
もはや、そんなことさえぶっ飛ぶぐらい、父は苦しんだし、家族も苦しんだ。
殺しそうになったし、殺されそうにもなるくらいの喧嘩をした。
死ぬ間際、父は好き勝手をした。
生きる苦しみを、家族に反抗する思春期の子供のようにやり尽くした。
しかし、それは父をそこまで追い詰めたのは家族と名を借りた「管理者」「保護者」であった私の行き過ぎた行動だったかもしれない。自分の未熟さが、父の弱さが悲しいほどに悪い化学反応を起こした。
すっかり冷たくなった父を発見したのも私だ。検死が終わった時、思わず、
「お父さんの勝ちだよ」と手を握った。
きっとあの頃を知っている人たちは、私は頑張ったと言ってくれるだろう。
しかし、私だけが知っているしこり、澱、消えない己と父親と共有した闇。
急いで車庫に行くと、母が既に捨てて近所の人と会話していた。
しばらくして少し猫背気味に戻りながら、
「あの人も歳取ったわ。顔色もすっかり年寄り、私と一緒」と、間に合わなかった私に言った。
「ごめんね、あれお父さんがさ、死ぬ間際に座ってた椅子なんだよ、ほら、あのことがあって。私が捨てたらよかったよ」
《あの場所に追い詰めたのは私だから》
「そう…じゃあお父さんとまたさようならだね」母は苦いとも付かない、悲しいとも付かない複雑な「さようなら」を口した。
二人で闘ったけれど、それぞれの悲しさや虚しさだ。母には母だけの思いがある。
私よりもっと深く。
何事もなかったように仕事が始まった。
パートの子が明るくおはようございます!と笑ってくれたのが眩しい。
ここ数年、私はあの椅子を何度も何度も見てきた。捨てられなかった。しかし、捨てないことは、私の感じる父への贖罪という感情で父をさらにこの椅子に縛りつけたのもしれない。
午後、偶然にも父のレスリングのコーチ時代の、教え子の方がいらした。もう後期高齢者だ。昔の写真を見せてくれた。これ俺の現役時代。鍛えられた身体だった。「この身体はさ、お父さんが作ってくれた身体なんだよ」これは…あの時の…、それは、社会人になって…
お父さん、レスリングのコーチをしたのが自慢だったな。また自慢しにきたのかな、どうだ、俺は凄かったんだぞ、と。使われた後輩も溜まったもんじゃないね。
そして今、父を見送り、落ち着いた頃出会った夫と40で結婚した私は、不妊治療の為に、連日注射をしに片道1時間半かけて通っている。
新生児の泣き声と可愛い顔を眺めながら、嗚呼、私は今ここにいることに感謝したいと心から思った。子供が出来なくても、父に謝り続けた数年を心に残しつつも、穏やかな幸せを与えられたことに感謝した。
父に生きているうちに…と言葉が浮かんだけれど、いや、そんな言葉で表せる感情の親子関係ではないと直ぐに気持ちを折りたたんだ。
さようなら、お父さん。
何度も何度もさようなら。
何度も何度も思い出すから、
何度も何度もさようなら。
また会う時は、きっと小さな子供のように泣きながら謝るかもしれない。
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