より端的に自分じしんになるには
コルクラボに入ると
さらけ出す、という言葉によく出会う。
意味は
1 隠すところなく、すべてを現す。ありのままを見せる。「内情を―・す」「弱点を―・す」
2 追い出す。
初めましての人ばかりの集まりで、
ありのままを見せるって、無理じゃない?
というのが最初の印象で、今でも出せていないところはある。
そもそも、なぜさらけ出さなければならないのか、と思っていた。
ラボで
これってさらけ出しにつながるんだろうな、
と私が思っていることがいくつかある。
ー Beの肩書きワークショップ
ー アップデート方式の自己紹介
ー 深い内省を要する質問に答える(回答はメンバー全員が見られる)
ー タメ語で話す
簡単に補足すると
ー Beの肩書きワークショップ
自己紹介をする時、たいてい
職業や今やっている仕事=Doの肩書き
の紹介をするけれど、
なりたい自分=Beの肩書き
を発見or自覚して自分を捉え直し、紹介するワークショップ。
詳細はみたむらさやかさんのnote
https://note.mu/rai527/n/n5438db0ac68f
ー 自己紹介をアップデート
集まりに参加するたび、何かしらの形で自己紹介をする機会がある。
はじめましてじゃない人にも自己紹介をしたりすると、
自然に紹介の角度が変わって自分の違う側面を出そうとする。
自分を端的にあらわせるように、
自己紹介をアップデートしていく感覚になる。
ー 深い内省を要する質問に答える(回答はメンバー全員が見られる)
最近私は答えられていないんだけど、
夢の変遷や、コンテンツに救われた経験、
選択して良かったこと、手放したもの手放せないもの、など
週1回のお題に答えることで改めて自分について深めることになる。
それを言語化して、メンバーみんなが見られる掲示板に書くことで、
自分が少しづつさらけ出されていく。
かなりエネルギーがいるけど、
ああそうか私はこういうことを思っているんだ、と改めて自覚できてすごくいいなと思った。みんなのを読むのも、刺激になる。またやろう・・・
そしてさらけ出したことを種に最初から深度が深い話ができたりしていい。
ー タメ語で話す
ラボにはタメ語を推進するタメ語部というのがある。
私は部員ではないんだけど、ラボでは基本タメ語。
家族や友人や恋人、タメ語を使う間には親しさが宿る。
まずはタメ語を使って話すことで、
さらけ出しやすい空気を耕している感じがしてる。
詳しくは・・・コルクラボの温度タメ語編
で、だんだんと
そもそも私は何を隠していて、何を出しているんだろう?
と、コアに迫る感じがして、
さらけ出していくことっていいのかもと思えてきた。
もっと出していくと、
好きなものに関しての情報がコミュニティ内で集まったり、お互いに自分らしい自分を応援し合えるようになったりする予感・・・
そして最近
コルクラボの温度の「誇り」についての話の時に出てきた、
『江戸はネットワーク』田中優子著
で出てきたこの一節にハッとした。
天才的編集者の超能力とは、まず第一に人(作者)を変えてしまうことである。しかしそれはその人間を別の人間にすることでない。より端的に彼じしんになるよう、仕向けてしまうことである。簡単なことではない。人を仕向けるには、その人の先回りをしなければならないからだ。
天才編集者は、作者が創りはじめようとするときすでに作者の前にいて、彼を手まねきするのである。天才編集者の超能力の第二は、それとまったく同時に、変えたものどうしを関わらせてしまうこと、つまり「連」を編集することである。これは、仕事上での関わりであろうと、遊びや宴の関わりであろうとかまわない。変わりつつある者どうしの連なりは、エネルギーの火花を散らして、何を起こすかわからない。編集者はそこに賭けるのである。
田中優子『江戸はネットワーク』平凡社、1993、188頁
あああーなるほどーーーと膝を打つ気持ち。
そうか、ラボでやっていることは編集なんだな、と腑に落ちた。
アウトプットが本でなくても、どこにだって編集の種はある。
そして、この文章では一人の天才的編集者になっているけど、
ここを複数形にして互いに編集し合うような、
これからの形を試行錯誤しているのか・・・と。
で、こういう編集し合う渦を作るコミュニティマネージャーは確かに次世代の編集者と言えるのかも。
と、言いつつ
単純に楽しいから参加してるの9割。
ドタバタし始めて最近行けてないけど、今後もゆるりと関わっていきたい。
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