いやマジで、マインドフルネスって何なの?(nickwignall.comのNo Seriously, What is Mindfulness?という記事の翻訳)

ーーー

https://nickwignall.com/what-is-mindfulness/

この記事の著者であるNick Wignallは臨床心理士、ライター、講師、ポッドキャスター。ダラスにあるテキサス南西メディカルセンター大学で臨床心理の博士課程、シカゴ大の社会科学で修士号取得、ダラス大の英文学で学士号を取得。American Board of Professional Psychology(ABPP、アメリカ専門心理士認定機関)の認定を受けている。the Academy of Cognitive Therapy(認知療法・行動認知療法家国際認定組織)の認定取得。Association for Behavioral and Cognitive Therapies(アメリカ行動療法認知療法学会)とニューメキシコ心理学会の会員。

北カリフォルニア出身、現在は妻と3人の娘とジャーマンシェパードと一緒にアルバカーキで暮らしている。

ーーー

マインドフルネスとは、正確には、何なの?

私が新規のクライアントから受ける質問で最も多いのが、「マインドフルネスを始めた方がいいだろうか?」

大抵の場合、彼らは、マインドフルネスが、ストレスの低減や不安の解消に有用だ、という記事を読んだか、もしくは、友人が瞑想を始めていて、人生が変わるよ、と言われたか。

だが、彼らは少し訝しんでいる、どんな瞑想も余りにニューエイジ臭い、もしくは、イカれているように見える。

誰もがマインドフルネスのことを知っているようだ、だが、誰一人「で、何なのそれ?」というシンプルな質問に明快な答えを返せないようである。

それでも、彼らはこのマインドフルネスというものは、どういうわけか、クールなコーピングスキル(対処法)になりうる、もしくは、彼らが取り組む、自己改善のプロジェクトのようなもの、を頓挫から救い前に進めてくれるものになりうる、という考えに惹かれている。

ーーー

何がマインドフルネスで(何がマインドフルネスではないのか)

あなたの人生が変わるよ、と主張する人たちの数と同じ数だけ、マインドフルネスの定義は存在している。

私は自分がマインドフルネスの専門家だとは思っていないが、相当な数の関連記事を読んだし、自分でも日々実践している。その結果、私はかなり使える良い定義を思い付いた:

マインドフルネスとは、考えることなく注意を払う精神的習慣である。

暗号めいている。少し紐解いてみよう。

ーーー

マインドフルネスは精神的習慣

マインドフルネスについてまず知るべきことは、それが精神に関係するものであり、つまりはあなたの頭の中に関係することであり、あなたが物理的に行うことや、あなたの環境には、関係がない。

・あなたは、仕事帰りの車の中でも、チベットの穏やかな山頂で座禅を組んで座るのと全く同じだけ、マインドフル(*今の瞬間の体、思考、感情を意識的に自覚する)であれる。

・あなたは、喧しく混沌としていても、静かで静謐でも、マインドフルであれる。

・ヨガスタジオで深呼吸をしている時も、ランニングマシンの上で息が上がっている時も、マインドフルであれる。

また、マインドフルネスは習慣と考えるのが最適である、意図的に行われるものだが、充分な実践を経れば、比較的、自動的になりうる、少なくともいくつかの特定の状況下では。

車の運転を考えてほしい、

最初に運転の方法を学んだ時、あなたは、多くの集中力と慎重な実践を必要とした。今でも運転に際し、とても慎重になる必要がある時もあるが、特に苦労なく会話をしながらスーパーを往復することもある、なぜなら運転という行動が習慣になったから。

ーーー

マインドフルネスとは、考えることなく、注意を払うこと

イメージしてほしい、夜に、あなたがテレビを見ていると停電した、あなたはブレーカーを上げないといけないかなと疑う、ブレーカーは家の裏手の外に出たところにあり、あなたは懐中電灯を持って家の外へと向かう。

電気を戻すために、あなたは、比較的、かけ離れた2つのことをする必要がある、

 1.あなたは懐中電灯を点けて、ブレーカーボックスを照らす必要がある

 2.あなたはブレーカーボックスを開け、どのブレーカーが落ちたのか特定し戻す必要がある

一般的に言い換えると、あなたは何かを「する」ために、まず「見る」必要がある。

この「見ること」と「考えること」の違い、と、「思考すること」と「注意を払うこと」の違い、は類似しており対比できる。

注意とは、我々が注目することを選ぶこと、もしくは、我々の意識で「見る」こと。多くの認知科学者が注意に対して使うメタファー(比喩)は、スポットライトである。それは、我々の思考が理解しうる可能性のある体験の小さなひと切れを、選び出し維持すること。

一方で、思考とは、精神の作業である。それは、ブレーカーボックスを開け、ラベルを確認し、正しいブレーカーを上げることである。これには、分析、比較、評価、想像、判断、予測、問題解決、などが含まれている。これらすべてのそれぞれに異なる思考の形態は、精神の作業のようなものであり、我々の思考を用いて何かを実行したり作り出すことを可能にしてくれるものである。

ーーー

すべての正方形は長方形であるが、すべての長方形が正方形ではない

覚えておくべき要点とは、あらゆる思考は注意を必要とするが、注意は思考を必要としない。

あなたは、懐中電灯を用いて夜に外を歩くことができる、懐中電灯は様々な物体や範囲を照らし出すが、それらに対して何かをするわけではない、懐中電灯は、単に、あなたにそれらが見えるようにしてくれている。

これと同様に、我々は、思考を働かせ何か(分析・比較・予測など)をすることなしに、自分の意識を用いて観察と注意をすることができる。

実践的な例:紙を一枚用意して、以下を書き写してほしい、

27×15=?

次に、スマホのタイマーをセットするか、時計の現在時刻をメモする、そして自分が書いたものを60秒間、ただ見るだけ。乗算して答えを出してはいけない、ただ数字と記号を見るだけ。

これがマインドフルネス。それは、思考せずに注意を払うこと。

ーーー

思考に落ちる

もちろん、もしあなたが私と同じなら、この短い練習においても、何らかの思考に「落ちて」しまっただろう。

あなたは、自分自身に対してこう思ったかもしれない、「こんなの馬鹿げている、もしくは、まだ1分経たないのか?」。それともあなたのスマホが鳴ったかもしれない、目をやるとミルドレッド大叔母さんからの着信であるのが見えた、あなたはそのままボイスメール(留守電)にさせることにした、と同時に、あなたの電話対応の不味さに対する彼女の苦言を想像した。

いずれの場合でも、何らかの思考に自分の意識をハイジャック(乗っ取り)されることなく、ただ注意するのは、驚くほど難しい。

我々は、とても多くの日々を、何かしらの思考をしながら過ごしているので、我々の意識は、ただ注意だけをすることに戦慄する。腹を立てた幼子のように、あらゆる素敵な、楽しい、もしくは、もしかすると恐ろしい、思考を用いて我々に対して叫び始める。

こうなった場合、思考モードに戻らないでいることは、本当に難しい。

ーーー

思考モードの何が間違っていると?

思考が、本質的に、間違っているということはないし、注意が、本質的に、正しいということもない。状況次第で、どちらも正誤しうる。

車のミッションギアを考えてみてほしい、

5速ギアが、本質的に、2速ギヤよりも優れているとか正しいとか言うのは馬鹿げている。もし、あなたが、空いている高速道路を時速70マイル(時速112キロ)で快適に走行して出掛けようとしているなら、5速は最高だ。

だが、もしあなたが、火曜日の午後、雪の中、スーパーから郵便局までスクールゾーンを運転しているなら5速はそこまで良いアイデアではないだろう、2速か1速の方が良いかもしれない。

車のミッションギアに本質的な優劣がないように、意識の2つの主変速ギア(注意と思考)にも優劣はない。

そうではなく、一方が他方よりも、状況次第で、より有用になることはありうる。

ーーー

どうして思考することなく注意することが役に立つのか?

車の例えを続けるならば、高速走行は楽しいが、一方で、5速で高速走行は燃料消費が早く、何か予測不可能なことが起こった際の反応も難しくなる。

一方で、低速で走行するには燃料消費はそこまで多くはなく、道路上の新たな事態に対応しやすい、楽しみは少ないことが多いが。

言うなれば、思考が、印象的で、強力で、そして楽しくさえある精神のギアであるが、その一方で、「燃費と柔軟性」という代償を持つ。

一つ目の点は、明らかだ、もし、我々が、四六時中、精神の高速ギアで過ごした場合、それはとても疲れる。我々が、計画し、分析し、比較し、費用対効果を測り、起こりうる問題に用心する、などのようなことを常にしていたら、我々は慢性的なストレス状態、もしくは、不安症になる。

もし、あなたが、近所の小さな住宅街を車で通過するのに、5速ギアで時速70マイル(時速112キロ)でしか走れないとしたら、どう感じるだろうか?それは、とても恐ろしいことであり、また、とても疲れる!

そして、自分を、一週間ずっと24時間、思考モードで維持し続けると、我々は、自分を、必要以上に、ストレス状態と不安にし続けることになる。

思考することなく注意を払うことが有用である第二の理由は、思考モードからの移行が不可能な場合、我々の柔軟性と適応力が低下するということ。

我々が、自分の思考力を用いて問題解決をする際、その95%は、良いことである、だが、その一方で、解決することが不可能な何かに対し問題解決を試みた場合はどうだろうか?

これが、我々が慢性的な不安症に陥った時の状況である。

知識としては、実際の危険は何もないこと、もしくは、自分にはどうすることもできない心配事を抱えていること、を理解していても、我々は、精神において、あたかも、それら(*危険や解決)が存在するかの様に、行動し続ける。我々は、心配し、取りつかれ(頭から離れなくなり)、深く考え込み、考え続ける。

私はこのプロセス(過程)を詳しくここ(why we worry?、なぜ我々は、心配するのか?という記事へのリンク)で説明している。

言うなれば、心配(と、それが生み出す不安)は、思考モードからギアを下げ、注意モードへと移行できないことの、直接的な結果である。

我々がブレーカーを上げることに執着し、それを10回繰り返し、何も解決しない時、我々は、自分を嵌まりから救い出すことはできない。我々は、それを放置することも、より生産的な何かに注意を向けることもできない。

簡潔に言うなら、思考することなく注意を払う習慣を発達させることは、ストレス全般の低減と精神的な柔軟性を高めることに役立つ。

ーーー

マインドフルネスとマインドフルネス・メディテーション(マインドフルネス瞑想)

誰もがピアノに向かって座り、ベートーヴェンを弾き始めることができたら、それは素敵なことだろう、それと同じ様に、もし、(マインドフルネスの重要性を理解した上で)、我々が、ただ人生をよりマインドフルに過ごせるなら、素敵なことだろう。

だが、もちろん、マインドフルネスもピアノの演奏もそうは行かない。

どちらも練習を必要とする。熟達したピアノ奏者に成るには、音階の練習や楽譜の読み方を学ぶ必要があるように、よりマインドフルになるためにも、いくつかの計画的な練習が必要である。

マインドフルネス・メディテーションの世界に入ろう。

マインドフルネス・メディテーションとは、簡単に言えば、思考することなく注意をする方法を学習するための正式な練習である。元々は、様々な東洋の宗教的、aもしくは、精神(心)の、鍛錬の一つとして形式化されたものだが、ほとんどの現代のマインドフルネス・メディテーションの形式には、精神的な要素は全く含まれない。それらは、単に、注意を鍛えるための練習である。

マインドフルネス・メディテーションの最も基本的な練習は、呼吸に注意を払うこと、と言ってもいいだろう。そう、ただそれだけ。

本当に、あなたは、ただ座って(もしくは立っていてもよい、それは重要ではない)、呼吸がどのように感じられるかに注意を払い、それ以外のことは思考しない。

そして、不可避なこととして、あなたの気が削がれて、思考モードへ引っ張られた時、あなたは、静かに、呼吸がどう感じられるかに注意を向け戻す。多くの人が、10分か20分かその他の長さのタイマーをセットするが、必須ではない。

正式なマインドフルネス練習の始め方について、もう少しだけ詳しく書かれたガイドを求めているなら、私がそれについて書いたものはこちら:how to start a mindfulness practice : a quick guide for complete beginners(マインドフルネス練習の始め方、完全初心者向けのクイックガイドへのリンク)

本当にこれだけ。多くの体を使うエクササイズ(運動)がそうであるように、多くの人が不必要に複雑化してしまう罠に嵌まる(ファンシーな(機能過多な)靴、完璧なジム、ケトルベルかダンベルか、など)。

ことマインドフルネス・メディテーションにおいては、あなたはファンシーな教室に行く必要も、座るためのマットや変なお香を買う必要もない。あなたは、ただ思考せずに注意を払う実践をするだけ。

運動がそうであるように、概念はシンプルだが、実践に移すのはそれより難しい。それゆえに、多くの人が教室に通おうとする、もしくは、コーチやインストラクターを雇おうとする、または、最初の手引きとモチベーションの維持をしてくれる親切なアプリをダウンロードする。

ーーー

マインドフルネスは私の人生を変えるだろうか?

間違いなく。

もし、あなたが、毎日、マインドフルネス・メディテーションを実践し、日々をよりマインドフルに過ごせるように献身するなら、大きな良い変化をもたらすものとなるのは、ほぼ間違いないだろう。

あなたは、恐らく、よりリラックスし、より思慮深く、より感情のバランスがとれ、より思いやるようになるだろう。あなたは、心配が減り、ストレスが減り、抑うつ状態からの回復力が増すだろう、そして、恐らく、数秒間、血圧が下がるだろう(*それぞれソースへのリンクあり)。免疫系の改善さえ可能かもしれない(*ソースへのリンクあり)。

だが、ここで問題なのは:

我々の人生をより良い方向へと変えるくれるであろうもので、我々がそのことについて知っていて、それを実践に移すことが上手くないものは、たくさん存在する。

我々のうちで、以下のことを常に心がけて、人生が向上しない人はいるだろうか?

・毎日の運動

・健康な食品だけで、量も控えめな食事

・充分な睡眠時間

・他者との人間関係で、親切と思いやりを実践する

・ネットフリックスを見る代わりに、一週間に1冊本を読む

・率直なコミュニケーション

・毎朝、感謝日記をつける

・助けが必要な人たちへのボランティアの回数を増やす

・不必要なものを買わず節約をする

思うに、問うべき質問とは、「なぜ、我々は、やった方が良いと知っていることをするのが難しいのだろうか?、健康的な食事にせよ、優しくあることにせよ、そして、マインドフルネスを実践することにせよ。」

マインドフルネスには恩恵がたくさんあり、概念上は、理解するのは「それほど」難しくないはずである。

だが、ほとんどの難しいことがそうであるように、「理解」は簡単であり、「実践」が我々を困惑させる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?