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体育は大嫌いだったけど、筋トレを継続できている

デカモフです。今年もよろしくお願いします!

みなさん、もう今年の目標は決めましたか?
私は、「自分の時間を大切にする」を今年の目標に据えました!

今年から本格的に社会人になるので、忙しくてもプライベートをできる範囲で充実させたいと思ってます。


先日、「ジムに入会したから筋トレ頑張るぜ~!」という記事を投稿しました。

そこから、あっという間に入会してから2か月が経ちました。

なんと、体調を崩していた期間以外はず~っと通っています。理由は自分でも分かりません。小学生の頃はよく「『何か』についてまとめるノートを作るぞ」と意気込んでは、大学ノートの最初のページの数行だけ書いて飽きる、というなんともアンサステナブルなことを何度もしていました。

つまり、飽き性なんです。

それでも続けられた理由は、思いつく限りだと、

①筋トレの種目を定期的に変えているから
②他人の努力と比較する必要性がないから

この2つなんじゃないかなと思います。

1つ目の「筋トレの種目を定期的に変えている」というのは、私自身が飽き性だからというのが大きいです。

種目設定を考える材料として、今までのトレーニングは全てノートに記録してます

でも同様に、「色んな方向から筋肉を刺激してみる」という、実験的な取り組みを自分の身体でやっているので、これは好奇心を満たすための手法でもあるのかもしれません。

もちろん、気に入った種目は頻度を高く保って行いますが、今まで知らなかった種目で身体を鍛えるのも面白いものです。

2つ目の「他人の努力と比較する必要性がないから」というのは、過去の私への慰めなのかもしれません。

私は逆上がりができない、体育よりも図工の授業が好きな小学生でした。

こういう道具を使ってもできなかった

そんな私なりにも、例えば「縄跳びの回数が増やせた」みたいなことに対しては喜べていました。

でも、そんな喜びはすぐに否定されます。15回縄跳びをしてヘトヘトな私を尻目に、体育ができるスポーツ万能なクラスメイト達は二重跳びを何十回もこなしていたのです。

そこから、身体を動かすということに対して劣等感を抱くようになりました。

でも、不思議な事に筋トレはそれがないのです。ジムで隣の人がダンベルを挙げた回数なんか数えないんです。なぜなら自分のトレーニングで精いっぱいだから。それはおそらく周りの人も同じ(だと思います)。

前回よりも重いダンベルを持てたという喜びが否定されることは滅多にありません。

筋トレは自分のことだけ気にして取り組めるので、ある意味では体育嫌いの人たちにもオススメの時間の使い方だと思います。


私なりに筋トレを継続できた理由を考えてみましたが、まさか過去の自分に対しての救いを見出すことになるとは思ってもみませんでした。

私たちは誰しも、幼い頃に苦手だった・嫌いだったものがあると思います。でも、ある程度時間が経ってからそれらに触れてみると、案外楽しいことがあります。

私の場合はそれが「筋トレ(運動)をする」ということでした。

みなさんも余裕があれば、あえて嫌いだったものを触ってみてください。案外、周囲との比較から解放されて楽しめるかもしれません。

それではまた!次の投稿でお会いしましょう。


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