第12回 もう一つの「発達のなかの煌めき」(『みんなのねがい』連載解説)
2023年3月
白石正久・白石恵理子
はじめに
第Ⅰ部「障害のある子ども・なかまの発達」の最終回「『社会』のなかで自分をつくる」を解説します。
前回の「もう一つの『発達のなかの煌めき』」(以下では「もう一つ」)では、「9歳の節」の特徴として、まず「概念の階層関係の理解」を説明しました。今回は、以下の3つのテーマについて解説します。
・集団のなかでの自分づくり
・段取り・計画をする力
・「書き言葉」の発達
『新版 教育と保育のための発達診断 上』(以下では『上巻』)の「Ⅲ 第4章 7歳の発達の質的転換期と発達保障」、『新版 教育と保育のための発達診断 下』(以下では『下巻』)の「第7章 7~9歳の発達と発達診断」を参照しつつ、学んでいきたいと思います。
「9歳の発達の節」とはなにか
・集団のなかでの自分づくり
連載第12回に登場したユキさんは、「自分のことを何でも書いてください」課題への高等部1年生のときの応答で、「やさしいたくさんのともだちをつくりたい」と書きました。学校の寄宿舎に入舎し、家庭から離れた新しい生活の場で、仲間関係を広げようとしていたときです。そして3年生になって、「みんなとけんかせずなかよくあそんでいます」と書くことができました。
発達が、「9歳の節」に向かっていくときには、「ギャングエイジ」と呼ばれるように、「気のあう」友だちを欲し、「徒党」を組んで「秘密の世界」(「秘密基地」など)を創ろうとします。ユキさんも、夜遅くまでおとなには言えない話題で盛りあがっておしゃべりをつづけたので、寄宿舎指導員の先生に大目玉をいただくことになりました。おとなの手を借りず、自分たちで生活を創りたいとねがう自治的集団の形成です。
こういった集団があるから、自分自身への理解が多面的で客観的なものになっていくのでしょう。「自分のことを何でも書いてください」への応答では、集団のなかで形成されてきた多面的な自己意識が表現されるようになります。ユキさんも、「わたしは、わるがきです」と書いた後で、そうではあるけれど本当は「やさしいたくさんのともだちをつくりたい」ねがいをもっていると、忘れずに書きました。
遠い昔の秋のことですが、私たちは放課後になると「柿ドロボウ」になりました。学校帰りにおいしそうな柿の木を見つけると、チームワークよろしく段取りを決めて失敬したものです。「コラ?!」と叱られますが、だからといって学校に苦情の電話がかかってくることはなかったでしょう。それどころか、「十五夜」の縁側のお供え物は、子どもたちが徒党を組んで「がめる」(盗るの方言)ことが許されていたのです。「ギャングエイジ」をあたたかく見守る地域社会がありました。「ギャングエイジ」は子どもの潜在的な発達可能性が発揮されていく姿ですが、そのためには、その力が展開していく条件が必要です。自分たちで計画できる時間、空間、多様な遊び、友だち関係。そういった条件が、放課後のなかに満載されているでしょうか。
先生の意図による「学校」ではなく、親の意図による「家庭」でもなく、子どもが主人公になる時間、空間、集団は、まさに「第三の世界」であると田中昌人さんが名づけました。それは単に放課後生活のことを言うのではなく、また「9歳の節」に限らない、子どもが主人公の自治的な世界のことです。学習塾や習いごとなどが放課後時間を侵食して久しいですが、せっかく制度化された放課後等デイサービスの活動が、同じように習いごとになってしまっているならば残念なことです。解放的でのんびりできる時間で心を整え、わくわくする遊び、地域探検、人びとの生活や労働との出会い、生き物との交流など、子どもが仲間とともに自然や文化に触れ、それを主体的に継承していく「第三の世界」であってほしいものです(『みんなのねがい』3月号「放課後活動で大切にしたいこと」で学び、考えましょう)。
ただ、この「9歳の節」の頃の自治的集団は、めあて(目標)、約束や秘密、良い‐悪いなどの価値判断を共有しようとするので、連載第11回で述べたように、それに気持ちがついていかなかったり、なにかのきっかけで排除されてしまう子どもを生みだします。その逸脱や排除を放置するのではなく、またいけないことと決めつけるのではなく、そのことをきっかけとして、一人ひとりのねがいや気持ちの大切さにみんなが気づき、互いに受けとめられる集団でありたいと思います。それは、一人残らず自分の居場所を実感できる集団でしょう。
ユキさんも、喧嘩ばかりしてしまう「わるがき」の自分を「悪」と決めつけるのではなく、それも包み込んだ存在として、他者からも自分からも受けとめられていきました。そのように発達の質的転換期では、一面的ではない、多面的な自己理解や他者からの受容が大切な心の支えとなります。振り返ってみれば「1歳半の節」においても、連載第4回で述べたように、自我の誕生にともなう「イヤ!」や「だだこね」(「拒否」「パニック」などと言われてしまっているかもしれません)の姿はあっても、その意味を理解して受けとめてくれる関係があるならば、子どもも自分のことを調整し立ち直らせていこうとするのでした。
この自治的な集団形成の基盤の一つになるのが、次に述べる目標や条件(全体の枠)を意識して計画する力です。
・段取り・計画をする力
集団形成の基盤である目標や条件を意識して計画する力とは、どのようなもので、どのように発達するのでしょうか。
「もう一つ」第11回で紹介した脇中起余子さんの研究(2009)では、小学校2、3年生と小学校4、5年生の間に、絵カードの分類方法の質的差異が認められ、2、3年生では、「金魚→魚」「鳩→鳥」というように、下位概念から上位概念へ一対一対応で分類していくのに対して、4、5年生ではあらかじめカード全体を見渡して、「動物になるのはこれとこれ」というように、上位概念から出発する分類を行なえるようになるとされました。
このように「9歳の節」では、「あらかじめ全体を見渡して」から方略を練るという力が獲得されていきます。この方略を練る過程をみる課題の一つに「財布探し」があります(「新版K式発達検査」(京都国際社会福祉センター刊。『下巻』178~179ページで解説されています)。「これは広い運動場で、草が一面に生えています。もしこのなかであなたが財布を落としたとして、それを必ず見つけようと思ったら、どういうふうに歩いたらよいでしょう。この入り口から入って、あなたが探すときに通るところを鉛筆で描いてごらんなさい」という問いです。
7歳頃の低学年では、図の①のように「ここにあった」で見つけたつもりになっています。つまり財布がどこにあるかわからない広くて草の生えた運動場であることをあらかじめ考えて、歩き方を描くことはできません。8歳頃になれば、②のように全部を歩かなくては見つけることはできないことを想定できるのですが、無駄のないように計画的に歩くということまで考えが及びません。それが、「9歳の節」になると③のように「広い運動場」で「草が一面に生えている」ことを想定して、「同じところを歩くことのないよう」にという方略を考えることができるようになります。11歳頃には、④のように「全部を」「合理的に」という複数の視点を結びつけて歩く方略を、立てることができるようになります。
こういった計画の力が、生活や学習のどんなところで発揮され、確かになって行くのか想像してみましょう。とくに、子どもの主体的で自治的な活動が存分に展開していくことの大切さを、私たちは強調したいと思います。生活日課、外出の目的地や交通手段、自分たちの大切な行事の段取りを、子どもたち自身が考えを出しあい、互いの思いの違いも話しあって修正しながら、自分たちで創り上げるようになっていくのです。
ユキさんが、学校の寄宿舎に入舎した当初は、自分ではできないことばかりでした。洗ったタオルを干すときには、ていねいに物干しにかけるだけではなく、洗濯バサミで留めなければ風で飛んでしまうこともたびたびなのです。取り込んだ洗濯物をタンスに片づけなければ、「じゃまや」と仲間に言われてしまいます。ひきだしにじょうずに中仕切をして整理している先輩を見て、見よう見まねで段ボールを切って同じように工夫してみました。おそらく本人も、できないことばかりの自分のことを情けなく思っていたことでしょう。しかし、日々の生活から逃げることはできません。先に入舎していた仲間に憧れ、やがては自分が導く側に立ち、気がつけば自分たちの力で、大切なことはできるようになっていったのです。日々の生活はルーティンですが、だからこそ日々の繰り返しのなかで、導きあい、助けあって、すじ道立てて段取りを考えたり、より良く工夫する力が育っていくのでした。
・「書き言葉」の発達
次に書き言葉について考えてみましょう。
「1歳半の節」からはじまる生後第3の発達の階層は、話し言葉を獲得し、豊かにふとらせていく時期であり、話し言葉が他者と交流する重要な交通の手段でした。「9歳の節」からは、本格的に書き言葉の世界に入っていくことになります。
これまでみてきたように、5歳半ばに誕生する新しい発達の力は、その書き言葉の世界を準備するうえでも重要な意味をもっています。それは単に、文字に興味をもって、文字の読み書きをはじめるというだけではありません。ものごとの空間的・時間的つながりを理解し、新たに創り出していこうとするとき、すじ道を一生懸命にさがし出そうとするとき、「えーっとね、あのね…」がいっぱい出てきます。それを聴き取ろうと心を傾けてくれる人がいるからこそ、子どもたちは話し言葉のなかに文脈を育んでいくことができます。さらに言えば、上述したような「第三の世界」でのわくわくする遊びや探検、人びとの生活や労働との出会いは、子どものなかに伝えたい文脈の土台を耕すことにもなるのでしょう。こうして話し言葉で蓄えられた文脈形成力が、書き言葉の重要な発達的土台となるのです。
そして「9歳の節」を迎えると、財布探し課題でみられるような全体をとらえる力、計画性、方略をつくりだす力は、書き言葉にも大きな変化をもたらします。あったことを順に羅列していくような書き方から、あらかじめ立てたテーマに即して文章を考えたり、文章を推敲しようとしたり…といった姿につながっていくと言えます。
こうした書き言葉の力は、子どもたちにとって、自分をみつめ、自分と向きあうこと、さらには他者や社会をみつめるまなざしにもつながります。書き言葉で綴ることは、この時期の子どもたちにとって、本当に大きなエネルギーを使う大変なことです。自分のなかのひきだしからぴったりする言葉を選んだり、力をこめて文字を書こうとしたり、ときに消しゴムで消して書き直そうとしたり…その一つひとつに時間とエネルギーがかかります。思いや感情はあふれるようにあっても、書いた言葉は本当に短い。だからこそ、そこに書かれている言葉の裏側にいろんな思いがはりついていることを、私たちは見失わないようにしたいものです。
書き言葉は、話し言葉とは異なり、目の前に形として残ります。ユキさんが「わたしは、がっこうのきしゅくしゃでたのしくがんばっています」と書いた言葉は彼女の目の前にあり、「けんかし(せ)ずなかよくあそんでいます」とすっとつながることもあれば、“いやいや、いつもたのしいだけじゃないな”と思い、「先生に、よくおこられたり、ないたりします」になったのかもしれません。でも、そんな自分にも言いたいことがあるという思いが「しつこいときもある」になったのかもしれません。こうして書いていくことで、「なんで私は泣いたんだっけ…おこられるわたしが悪いのかな…いやいや、先生もしつこいわ…でも、おこられる私もちょっとは悪いのかな…そうか、本当は私を信じてほしいんだ」と心は動いていくのでしょう。それは、より深く自分や相手を見つめ直すきっかけにもなるのだと思います。
滋賀県の養護学校教員であった古日山守栄さんが、高等部を卒業し就労した教え子のことを話してくれました。就労先で上司から怒られて、「もう、やめる!」と古日山先生に電話をしてきました。そのときに、「あなたは学校時代に、書くことで自分の本当の気持ちが見えてきたよねえ。また、書いてみたら…」とアドバイスしたそうです。数日後、また電話をしてきた彼女は、「はじめは怒られて、もうやめるって思ったけど、私のためを思って怒ったのかもしれん…もうちょっと働いてみるわ」と言ったそうです。
書くことによって、自分や他者、そして社会をみつめるまなざしに「なんで?なんで?」が加わっていくこと、そして心のひだがたくさん折り込まれていくことを願います(書くことについては、『みんなのねがい』2022年10月号「思いを綴る」も参考にしてください)。
「卒業生からの手紙」に込めたもの
第Ⅰ部の最終回である連載第12回で以下のように書きました。
四月号「卒業生からの手紙」で始まった連載ですが、この手紙にはどんな意味があるのかとたびたび尋ねられました。
まず、「発達をはぐくむ目と心」にとって大切と思うことを、この手紙に忍ばせてみました。連載が終わったときに再び読んでいただけるならば、一年前とはちがう何かに気づいていただけるように。
しかしそれだけではなく、実は私たちも、この手紙によってみなさんにお尋ねしたいことがありました。悩みながら十年という歳月を歩んできた若い教師、自分の存在の意味を求めて「四歳の節」で葛藤するリョウちゃん、三人の子どもを歯を食いしばるように一人で育てている母親、そして学校という職場と同僚の姿に、みなさんは何を感じ、どこに心をとめられたでしょうか。
つまり、この手紙には二つのねがいを込めていました。前半については、私たちによる「種明かし」をせず、読者のみなさんの発見に委ねたいと思います。あらためて第Ⅰ部の12回の連載をお読みいただき、この手紙と連載内容を突きあわせてみてください。
後半についても、みなさん一人ひとりの感想が大切なのであり、私たちの意図はそれを越えるものではありません。しかし1年の時間をかけていろいろな場所でお尋ねしてきたこと、つまりみなさんがどこに心を留められたかを報告しながら、私たちのこの手紙に込めたねがいを述べたいと思います。
・本当の心の叫びは何なんや
大学の学生たちにも、この手紙を読んでもらいました。なんと彼らの多くは、この「心の叫び」に目をとめました。自分が、「子どもや親の心の奥底にある本当の叫び」を理解できる教師や指導員になれるかと、不安になったのだと思います。
私のグチを我を忘れたような顔で最後まで聴いてくれる先輩がいました。聴いてくれるだけではなくて、「子どもや親の心の奥底にある本当の叫びは何なんや」と優しいまなざしですがはっきりした言葉で問いかけられました。それに答えることは苦しいことでした。子どもや家族に視座を移して考えることが、私はまったくできていなかったのです。だからその苦しい問いをいつも向けてくれた先輩に、感謝しています。
サン・テグジュペリ『星の王子さま』や金子みすゞ「星とたんぽぽ」をどこかで読み、「見えないけれど大切なもの」があるということを心にとどめていた彼等ですが、発達や障害をしっかり学べば立派に働いていけるのではない、もっと深くて広い「見えないけれど大切なもの」があることを、この手紙から感じたようです。
学生たちの不安そうな顔を目にしたときには、今はわからないことがたくさんあってよい、将来の実践があなたを育ててくれると言います。そして、次のようなことを話したりもします。
まず、一日一日の実践を大切にして子どもやなかまと向きあう。苦しい日もあろうが、「とりあえず、とりあえず」と自分に言い聞かせながら、その一日を積み重ねること。
苦しいことがつづくときには、自分の話を聞いてくれる(手紙での「組合の先輩」のような)人や仲間を探し、語りあうこと。
このまま、この仕事をつづけて行ってよいのかと迷うこともあろうが、いつか振り返ったときに、自分の後ろに歩いてきた道が見えるようになっている。その道を後ろに感じながら、前を向いて歩いていけばよいこと。
ただ、謙虚さ、たとえば子どもや家族や同僚の生きる姿、働く姿に学び、先達の遺してくれた人間と社会進歩に関する学問(社会科学など)に学びつづけることを忘れないでほしい。発達は、子ども理解や指導・支援の手がかりを見つけるためだけではなく、人間と、その一人である「あなた」を理解し、大切にするために学ぶもの。
・歯を食いしばる日常を、耐えながら受け入れる
子ども、なかでも障害のある子どもを育てることは、「自己責任」であり誰に頼ることもできないと思わされて、歯を食いしばりながら生きる家族の日常が、あなたの瞳に映っているでしょうか。
その(家庭訪問)とき聞いたのですが、お母さんは子どもたちを学校に送り出してから、介護の仕事に出かけています。そしてリョウちゃんを迎えてから子どもたちが寝つくまでに家事を済ますと、夜半過ぎまで近所のコンビニで働いているというのです。「妹、弟も、希望すれば大学まで出してやらなければと思っています。頼れる親戚もいないし」と言われました。
教師の生活も楽ではないのですが、この国で子どもを育てること、そして障害のある子どもを育てることは、その歯を食いしばる日常を、耐えながら受け入れることなのではないかと私には思えてなりません。
この手紙をくれた卒業生は、昼間に介護の仕事をしながら、夜中にコンビニでレジに立つ一人親としてのお母さんの日常を知って、はらわたが突き動かされる気持ちになったのです。そのお母さんに対して自分は、連絡帳の返信がいつも「通り一遍」なことにいらだち、リョウちゃんが学校で不安定なのは、家庭生活に原因があると思い込んでいたのでした。
出会った日のお母さんの言葉を思い出すたびに、私はお母さんに謝らなければならないと思います。私の車は派手ですが、どこにでもある色です。この十年、その色の車を見るたびにお母さんは私のことを思い出していたのでしょうか。
そして、赤い色の車を見るたびに、お母さんを苦しめていた自分のことを思い出しているのではないかと「謝りたい」気持ちになったというのです。「もう一つ」第1回で書きましたが、お母さんは赤い車を見るたびに、「あの一途な新任の先生が、学校という社会のなかで働きつづけられているか」と気遣ってくれていたのではありませんか。
この3つの文章に目を留めたのは、福祉の現場に出ようとしている学生、施設で働いている方などです。そして少数ながら、特別支援学校・学級の教師の方もおられました。きっと、この手紙の卒業生のように、子どもと親の生活の苦しさやそれに立ち向かう意志をみようとしていなかった自分を知って、ぬぐうことのできない心の痛みをもった方でしょう。
非正規雇用が常態化し、とくに母親だけの一人親家庭が、経済的な困難を背負わされている現実があります。深刻な貧困、まじめに働いてもそれにふさわしい賃金が支払われない搾取の「しくみ」を変えていかなければなりません。
卒業生から教えられるのですが、若い彼らには他者の生活への想像の力、そこにある現実を追体験できる共感の心があります。私たちは連載第Ⅰ部において、発達は視座を他者に置いて、他者の感情、思考、意志を認識し、それをまるで我がことのように感じられる想像と共感が育つことでもあると述べてきました。その力と心は、すべての人間に備わっている発達の潜在的可能性ですが、きっかけを与えられないと開花してきません。きっと障害のある人びとのために働こうとしている彼らは、幾重にも発達のきっかけを得てきたのだと思います。その力と心をもちつづけて、障害のある子ども、なかま、家族の生活と向きあい、心の痛みも味わいながら、社会の「しくみ」を変えていこうとする人びとと、手をつなぎあってほしいと思います。
そして、とても大切なことですが、その家庭がさまざまな生活の困難に陥っていることを知ったときには、けっして見過ごさず、助けなければなりません。学校、施設として自治体の福祉の窓口、相談支援事業所などと協力して、生活保護や地域生活支援をはじめとする諸権利の行使のために、具体的な対応に踏み出していただきたいと思います。
・同僚を愛すること
以下は、卒業式の日に手渡している手紙のなかの一節です。「愛する」とはむずかしい言葉であり、ここでは「大切にする」と言い換えてみましょう。
「同僚を愛すること。これから出会う人々を好き嫌いで選り好みせず、見限らず、粘り強く向きあってほしいと思います。あなたも同僚も、よりよく生きたいと願い、それゆえに自分の不器用さと向きあい、矛盾を抱きつつがんばって生きているのですから。」
実は、ここに私たちのお尋ねした読者のみなさんの過半数、とくに特別支援学校の先生方の目が留まったようです。「だれといっしょに担任を組むのか、いつも憂鬱な気持ちになる自分にとっては、辛い言葉です」「以前は同僚とこんな気持ちで向きあっていたのに、今、そうなれないのはなぜなんだろう」「いったいどうしたら、こんな気持ちになれるのですか」「こんな立派な人間にはなれない」等々。
私たちは、同僚に不満をもってはならない、いつも同僚には「我慢強く」向きあうべきと思っているのではありません。「粘り強く」は「我慢強く」とはちがうと思います。とくに若い人たちは、「やりがい、働きがいが大切」と強調される風潮のもとで、「しんどい」と言ってはならないと思い込み、「がんばって働いているのに、どんどん苦しくなる」という心理に追い詰められようとしているのです。そして、「苦しい仕事を選んだのは自分」「うまくいかないのは自分の能力のなさ」と、知らず知らずに取り込んだ「自己責任」の原則で自分を評価していきます。
そのことを認識したうえで、教育や施設実践に歩み出ていく卒業生に対して、この「手紙」を毎年書いているのです。この社会にあって、障害があり、幸福の追求、基本的人権の享有が虐げられている、いわば「弱くさせられている」人びとのために働こうと思った彼らは、その子どもやなかま、家族を、「好き嫌いで選り好みせず」、等しく大切にしたいと期して社会に出ていきます。その彼らですから、いっしょに働くことになった同僚のことを、同じ思いをもった人間として信頼し、大切にしたいとねがっているはずです。
考え方、感じ方、根本的な価値観のちがい、さらには相性もあるわけですから、ときには厳しい話にもなることがあります。もしそのときに、同僚への信頼を失い、見限って、何を言っても無駄なのだからと思ってしまったら、互いに背を向けて自分の世界、自分の実践のなかに逃げ込み、自分の担当の子どもだけを大切にするような領界を作ってしまうでしょう。そういった壁を作ってしまった関係を、「閉じた対(つい)」と名づけてみました。「対」とは「あなた‐わたし」の関係のことです。主には「子ども‐おとな」の関係が問われるのですが、「おとな‐おとな」であっても「閉じた対」になってしまったら、互いの思いを受けとめ心のキャッチボールをしようとする可逆操作は、生きてはたらく力になってくれません(白石正久『やわらかい自我のつぼみ』全障研出版部)。
もし今、そんな気持ちになってしまっているならば、あなたや同僚の心のもち方のせいではなく、そう感じさせられ、そう働かされている原因があることも見抜いてほしい。たとえば、この10年でさまざまな人事評価の制度、職位の細分化とヒエラルキーが政策的に導入されました。本来は同僚という同じ場に立つ関係のなかに、上下や競争の関係が押し込まれてきたのです。さらに、人手が足らない、空間が確保できないというもとで、その一日を事故なく乗り越えるだけで必死になっているというのが現実だと思います。そういった環境にあって、図らずも、上に立って職場集団をまとめなければならない役割を担うことになった人は、苦しいことも多いでしょう。
誰かが誰かのうえに立って上意下達で指示し評価する、さらには職場の情報共有を画一化・マニュアル化することによって、職場の秩序と経済的合理性(効率化)を維持しようとするシステムは、語りあい、わかりあうという時間の大切さを過小評価します。そして、人と人の心を切り離し、共感という感情を抑え込み、いつも他者のまなざしを気にしながら働かなければならない状況へと職場を変えていきます。そのもとで、夕方になるとよくわからない疲労感にさいなまれ、学習や実践交流をしようなどというエネルギーは残っていないという人もいるのではありませんか。この現実に負けたくないと私たちは思います。(そういった職場の状況を分析する視点を、深谷弘和(2021)「新自由主義における福祉労働者の『個別化』と集団性の意義」(『障害者問題研究』第49巻2号、90-97ページ)から学びました。みなさんにも、お読みいただきたいと思います。)
何でもそうですが、導入期はその新しいシステムが効を奏したかに見えるものです。しかしそれが、人間の共感、共同という心のはたらきを大切にしないシステムならば、必ず人間本来のあり方との「ずれ」が大きくなります。こういったシステムを自分のなかに取り込み、自らを順応的に変えて生きることも一つの道ですが、ますます「ずれ」を意識して、違和感や反感を感じる人もいるでしょう。
もし職場のなかで、このシステムに適応できない、あるいは反対する人の、精神や人格への攻撃がなされるならば、それを見過ごすことはできません。自らの身と心を守り、仲間を守るために、力をあわせなければなりません。
そういった現実に身を置きながら、手を挙げて「受け入れられない」「やめてください」と声を出せない自分を、不甲斐なく思うこともあるでしょう。それは、良心の側に立とうとしているからこそ感じる情けなさだと思います。その良心によって、「こうありたい」という自分へのねがいをもっているのですから、自らと対話しつづけ、「どう生きて行ったらよいか」という道案内人を、きっと自分のなかに育てることができるはずです。
この良心に従って、それを実現していくためには、手をつなぎあわなければなりません。良心の側に立とうとする同僚関係は、ただ互いにみつめあい、相手の目や自分への評価を気にしながら働くのではありません。子どもの最善の利益を守っていくという互いのねがい(理念、目的)に確かな信頼を寄せ、その実現のためにともに同じ方向を向いて、力をあわせようとする関係だと思います。「卒業生からの手紙」の次の言葉には、そんな気づきが表現されていると思います。
子どものことで力をあわせられている実感は、自分のことをくよくよ考えないで、前を向いて歩くきっかけになりました。
・きょうもよく来たね
最後に一つ、大学の教員である私たちと学生たちのことを書きましょう。
そのお母さんそっくりの妹さんは今春、大学を卒業して障害のある人の生活介護の施設で働くとのことです。
たった一文で語られたことですが、リョウちゃんの妹が障害者施設で働くことになるまでには、本人にも家族にも、苦労の道のりがあったはずです。「きょうだい」である彼らは、物心ついたころから、さまざまな悲しさ、さびしさ、葛藤を重ねてきました。さらに、「人間を大切にする」とは言えない社会の現実を感じ取ってきたはずです。能力主義の溢れる「学校」や「施設」という「社会」に嫌悪感や疎外感を味わい、そういった場所での仕事に背を向けたくなることもあったでしょう。しかし、いくつかのステキな出会いのなかで、やっぱりここに自分の生きる意味があるかもしれないと思い立って、教師や指導員への道を歩み始めます。
あるいは一人親家庭などで、親の労働の厳しさや家計の困難をともに背負いながら、授業料も、生活費もアルバイトで捻出している学生は少なくありません。授業料だけで、国公立は数十万円、私立文系は百万円を超える年額を払わなければなりません。
授業や実習の進行に、追いつけないこともあるでしょう。朝も働いていることが多く、始業に間にあうように登校するのは、きっと至難の業です。教員は、「レポートが期日通りに提出されない」「今日も遅刻した」といらだち、彼らの生活の現実を見過ごしていることもあります。その生活の苦しさは、教員の目にもだんだんみえてくるので、そのとき学生に「謝りたい」気持ちになります。
学生たちが、学ぶよりも長い時間を働かざるを得ず、さらに人生の半ばを過ぎても、低賃金のなかから国の経営する「奨学金ローン」(利子付)を返済しつづけなければならない現実を国民に知ってもらって、ともに政治の不作為を追及してほしいとねがいます。国際人権規約A(社会権)規約第13条の定めるように、高等教育を他の先進資本主義国なみに、もっと早く確実に「漸進的無償化」へと進めるべきです。
私たち教員は静かに見守るしかありませんが、たぶんともに学ぶ学生たちは、互いに無関心を装いつつ、心のなかでは「がんばれ!がんばれ!」と言っているのです。障害のある人びとだけではなく、社会のなかで「弱くさせられている」身近な存在を大切にする人間になってほしいと、私たちは学生にねがってきました。「仲間を大切にする」とはどういうことか、「人間を大切にする」社会を実現するために自分には何ができるか、一人ではできないことをどうしたらよいかをいつも考えて、実行してほしいと思っていました。
「卒業生への手紙」の以下の節は、私たち自身の、大学の教員としてのねがいでもあります。「クラス」を「ゼミ」「研究室」と言い換えてみるのです。
「今日もがんばって、よう(よく)来たね」と今からでも心を抱きしめてあげたいのです。それは、リョウちゃんだけではなくて、重い荷物を背負いつつも、今日も学校にやって来てくれるどの子に対しても。そして子どもたちが、そうやってお互いを抱きしめあえるようなクラスをつくりたいのです。
・おとなも仲間に支えられ、発達の矛盾を乗り越える
さて、何のためにこの手紙への感想をお尋ねしてきたのかといえば、それは読者のみなさんが今、向きあっている「人生の節目」、発達の矛盾を知りたかったからです。みなさんが、「こうありたい」とねがっていることと現実のあいだにあって、その苦しい思いゆえに読み過ごすことのできないことが、「手紙」のなかにあったでしょう。
教師として働くみなさんが、「同僚を愛すること」に目を留められたことは、現下の学校のなかにある苦労の一端を示している事実だと考えました。その苦労を否定的にみる必要はありません。多くの方が本当は同僚と心を通わせながら働いていきたいとねがっているからです。その苦しい思いに負けず、流されることなく、自らの発達の矛盾として自覚し、それを乗り越えていくために一歩踏み出したいと思います。
連載第12回では、次のように書きました。
私たちはこの手紙を読んで、「教師になる」のではない「なって行く」のだと教えられました。その「行く」という道行(みちゆき)こそ、一人の人間の、そしてその人間のつながりである集団の発達なのだと思います。つまり発達は、子どもやなかまのことでありつつ、私たちのことでもあります。
子どもやなかまは、本当はみんなのなかで楽しく生活したいのに、教室から出ていったり、身を隠してしまうことがあります。それでも戻ってきてくれる彼らを、私たちはあたたかく迎え入れようとします。おとなも同じように、疎外感を味わったり、一人になりたいときがあったりしながら、やがて、仲間のなかに自分の居場所を探し、苦労を分かちあうきっかけを求めはじめます。
おとなも、語りあい、学びあい、ねがいを共有することによって、発達の矛盾を乗り越えていけるのです。もし、苦しい思いの仲間が近くにいるならば、「ここに、あなたの椅子は用意しているよ」「なんでも話していいんだよ」と迎え入れられるような職場を創りたいと思います。いつも、子どもやなかまのことが語られ、そのことを通じて、子ども、なかま、そして私たちが発達していくような、あたたかい仲間の輪を拡げていきましょう。
おわりに
連載第Ⅰ部に対する「もう一つの『発達のなかの煌めき』」は、今回が最終回です。1年間おつきあいいただき、ありがとうございました。また、「みんなのねがいWEB」への掲載をつづけてくれた『みんなのねがい』編集部と全障研全国事務局の仲間に感謝いたします。
4月からは第Ⅱ部「発達的共感が創り出す実践 ― 歴史に学び、今をみつめ、未来を創る」へと連載は進みます。第Ⅱ部の「もう一つの『発達のなかの煌めき』」は、第Ⅰ部のような定期ではなく、テーマごとにまとめて、不定期に掲載していきたいと計画していきます。とくに、私たちが学び、私たちを育ててくれた実践や学問を、できるだけたくさん紹介していきたいと思っています。
これまで以上に職場、地域で『みんなのねがい』の読者を拡げていただいて、発達保障のねがいを実現していくためのつながりの輪を大きくしていきましょう。
今回の学習参考文献
・深谷弘和(2021)「新自由主義における福祉労働者の『個別化』と集団性の意義」(『障害者問題研究』第49巻2号、90-97ページ)
・白石正久(2011)『やわらかい自我のつぼみ』全障研出版部
・白石正久・白石恵理子編(2022)『新版 教育と保育のための発達診断 上』全障研出版部
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版 教育と保育のための発達診断 下』全障研出版部