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第6回 もう一つの「発達のなかの煌めき」(『みんなのねがい』連載解説)

2022年9月
白石正久・白石恵理子

近江盆地の夜明け。空が秋の色になってきた。卒業生、在学生、がんばろう。

第6回 「二次元の世界」を開く


 いつも「もう一つの『発達のなかの煌めき』」(以下では「もう一つ」)をお読みいただき、ありがとうございます。プリントして持ち寄り、『みんなのねがい』連載とともに読みあわせをしていただいているとのお便りを拝見しました。どちらを先に読んだ方がよいかとのお尋ねもありました。

 そこで、「もう一つ」を書くことになった動機を改めてお話ししたいと思います。私たちの『みんなのねがい』連載企画には、「発達を学びたい」「実践とつなぐ視点を得たい」との要望をいただいています。少し困ったのは、限られた文字数で、それにお応えする内容が書けるかということです。説明的な文章になりすぎて発達の理論を一方的にお伝えするような内容にしたくない。むしろ子どもやなかまの姿と発達の理論の接点を探しながら、発達へのまなざしが開かれていくようなものにしたい。しかも職場や地域の集団で読みあい、議論していただくことによって、その理解が拡がっていくような、いわば「行間」のある文章にしたいと思いました。それは、なかなか難しいことですが。

 連載をそのように書こうとしたときに、「発達を系統的に学びたい」という要求にどこまで応えられるかという心配があります。一方で、すでにテキスト『新版・教育と保育のための発達診断・下巻―発達診断の視点と方法』(以下では『下巻』)『教育と保育のための発達診断』(旧版)をたくさんの方がお読みいただき、「発達診断セミナー」を受講してくださっている事実もあります。そこで、連載とテキストの学習をつなぐ「解説版」を出そうということになりました。それがこの「もう一つ」です。

 したがって、まず連載をお読みいただき、想像力をめぐらしながら語りあっていただければと思っています。「もう一つ」は、その議論のなかで、これまでの発達の学習を整理して、理解を深めていくきっかけになるように書き進めていくつもりです。

 さて、長らくお待たせした『新版・教育と保育のための発達診断・上巻―発達診断の基礎理論』(以下では『上巻』)を刊行することができました。執筆者一同、がんばって書き上げた新刊です。ぜひ、お手元において学習の友としてください。


幼児期の「次元可逆操作の階層」の3つの段階

 「もう一つ」の第1回と第2回で、田中昌人さんらの「可逆操作の高次化における階層‐段階理論」に依りながら、乳児期から学童期にいたる発達の質的転換期と発達段階について説明しました。『上巻』の4ページ、『下巻』の6ページの図を参照していただきながら、少し復習をします。

 通常、生まれてから9,10歳に至るまでに、3つの種類の「可逆操作」を取り出すことができ、それを「回転可逆操作」「連結可逆操作」「次元可逆操作」と言います。生後半年間は「回転可逆操作」を特徴とする時期で「回転可逆操作の階層」(「乳児期前半」にあたります)、生後半年を越えて1歳前半までが「連結可逆操作の階層」(「乳児期後半」)、さらに「1歳半の節」からが「次元可逆操作の階層」となり、この第3の階層は7,8歳頃まで続きます。「階層」とは複数の段階を含み込んだ、より大きな段階のことです。階層のなかには複数の段階を含むと書きましたが、上記理論では、それぞれの発達の階層に3つずつの発達段階があるとします。第1段階、第2段階、第3段階と進んでいき、次は第4段階かと思いきや、そうではなく、新しい質をもった次の階層の可逆操作の獲得に進んでいくのです。つまり、まるで螺旋(らせん)階段をのぼっていくような過程です。この螺旋構造については、『上巻』「Ⅲ 第1章 乳児期の発達段階と発達保障」で説明しています。

 「回転可逆操作」から「連結可逆操作」、「連結可逆操作」から「次元可逆操作」などと可逆操作の質が大きく変わる「飛躍的移行の時期」、すなわち「大きな発達の節」として取り出せるのが「6、7か月の節」「1歳半の節」「9歳の節」です。

 先に述べたように、「1歳半の節」に始まる階層が「次元可逆操作の階層」です。第1段階が「1歳半の節」である「1次元可逆操作期」、第2段階が「4歳の節」である「2次元可逆操作期」、第3段階が「7歳の節」である「3次元可逆操作期」です。

 乳児期の「6、7か月の節」(「示性数1可逆操作期」)では、2つの対象、つまり「対」を操作して見比べや持ち替えという活動を行ない、違いがわかり、選択したり、つなげたりという「可逆操作」を獲得していくのでした。「1次元可逆操作期」では、同じように新しい「対」の操作ができるようになるのですが、今度は頭のなかに「対」を形成し、それを並列させて、「…ではない…だ」と可逆操作し、頭のなかで選択したり、活動を切り替えたり、関係をとらえる思考ができるようになります。「2次元可逆操作期」では、「対」を並列させるだけではなく、「大きい-小さい」「よい-わるい」などの対比、比較という「もう一つ」の操作が可能になり、ものごとの意味や価値を理解したうえで、選択や思考ができるようになります。さらに、たとえば一方の手でハサミを持ち、他方の手で紙を持って、意図した通りに曲線を切るというように、左右の手の活動を分化させたうえで、「…しながら…する」と協応させることができるようになります。つまり、「2次元」とは二つの操作が結合することなのです。「3次元」の入り口(「3次元形成期」)になると、「大‐小」など二項の対比のなかに「中」をとらえはじめます。だから、ものごとを「だんだん大きくなる」というような「つながり」と変化において「すじ道立て」て理解したり、文脈を作りながら話すことができるようになります。このつながりと変化をとらえる力によって、時間軸などの3つめの単位も加えた操作の結合になるのが「3次元可逆操作期」です。たとえば、「きのう‐きょう‐あした」の関係を理解し、「きのうのつぎがきょう」「あしたのまえがきょう」などとわかるようになるでしょう。こういった「3次元の世界」については、『みんなのねがい』連載の第9回と第10回でお話しする予定です。

 すでに述べてきたように発達は、欲求を自分の発達への要求に高めつつ、他者を含む外界にはたらきかけ、外界をよく知りつつ新しく創造し、自分に取り込んでいく過程です。そのとき、自分自身をも対象としてはたらきかけ、新しい自分を創造していくことになります。その外界と自分にはたらきかける活動に共通する特徴として取り出されたのが「可逆操作」です。そこには、「行き‐戻り」すなわち「可逆」という性質の操作があり、各階層において一つから二つ、二つから三つというように、新しい操作が加わって複雑化していくのです。

 それぞれの段階には、まだその可逆操作が未確定な、文字通り作られつつある「形成期」があり、「1次元可逆操作期」には「1次元形成期」(1歳前半)が先立って存在しています。この「形成期」は、未確定ゆえの不安定さを子どもの心理に惹き起こし、それをいかに乗り越えていくかが大切なことになります。「2次元形成期」は、「大きくなった自分」を認めたい、認めてもらいたいゆえに葛藤が大きくなり、人格形成にとって大切な時期です。「3次元形成期」は、「だんだん大きくなってきた」自分の変化への手ごたえを感じつつ、「9、10歳の節」を乗り越えていくための「生後第3の新しい発達の力」を誕生させていく発達の画期です。これらの発達の階層‐段階についての理解をより深めるために、『上巻』「Ⅱ 発達理論と教育・保育の実践」をお読みいただければと思います。


「二次元の世界」を開く

 「もう一つ」の第5回で、「器への積木の入れ分け課題」について説明し、次のように予告しました。

 「1歳半の節」を越えて2歳になる頃には、ていねいな入れ分けを行なわなくなり、一方にたくさんの積木を入れて、他方に残りの少しの積木を入れるようになります。そういった「重みづけ」を創り出すようになるのが「二次元の世界」の入り口の姿です。

 2つの器(お皿)と8個の積木を用意し、「こっちのお皿とこっちのお皿に半分ずつ分けてね」「おんなじずつ、ワケワケしてね」と子どもに声をかけます。「1歳半の節」の前、1歳前半の子どもたちは、器に入れるという定位的活動を続けて行なっていくのですが、片方の器だけに「…ダ、…ダ」という入れ方をしていきます。「1歳半の節」になると、片方の器に入れていき、「こっちデハナク、こっちダ」とばかりに、もう一つの器にも入れ、結果的に両方のお皿に入れ分けることがよく見られます。また、一つの器に全部を入れた後に、もう一つの器に入れ替え、また元の器に戻すといったお皿ごと入れ替えるような行動をみせる場合もあります。ただし、決して「半分ずつ」「おんなじ」といった関係理解ができているわけではありません。2つの器という対をとらえ、「こっちにも、こっちにも」と両方に気持ちを配っていこうとするプロセスが面白い時期です。お砂場でも、2つのコップに交互に砂を入れていったり、コップからコップへと何回も入れ替えを繰り返すことを楽しむ時期ですよね。これを「もう一つ」第5回では、「…ではない…だ」という「1次元可逆操作のリハーサル」と説明しました。同じことを食事の際にもしようとするので、おかあさん・おとうさんの苛立ちが強まることもあるでしょう。

 では、2歳になる頃には、なぜそうしたていねいな入れ分けをしなくなるのでしょうか。実際のやり方は様々ですが、片方の器に1個だけ入れて、残りはもう片方に入れたり、片方の器に全部を入れたあとに、もう一つの器に1個だけ入れ替えるといった分け方をすることがあります。また、ちょっとだけ入れた器を相手(検査者)にさしだしたり、逆にたくさん入れた器を隣にいるお母さんに渡すような行動をすることもあります。そこには、子どもが、単に対をとらえているだけではなく、「こっちにいっぱい」「いっぱい入っているのを大好きなお母さんに」といった何らかの重みづけをしようとしている姿があるのだと考えます。赤い積木と白い積木など2色の積木を使うと、よりそうした選択性が強まります。

積木をたくさん配分した器を「お父さんにあげて」と言われて、この表情になりました。

そして、「大きい―小さい」「半分」といった比較がしっかりしてくる2歳後半になると、しっかり見比べて半分ずつになるように分けるようになります。さらに、「こっちがあなたのお皿、こっちがお母さんのお皿」などと意味づけると、その意味づけがわかったうえで、自分の思いを込めて分けようとするようになります。

 この配分課題は、正解がはっきりしているようなものではなく自由度の高い課題であるために、発達検査として標準化することは難しいですが、だからこそ面白いと思っています。そもそも「分配する」という行為は、人間の進化の歴史においても重要な意味をもつ行為であり、そうした人間や社会の歴史も感じさせてくれるというのは大袈裟でしょうか。


「みかけの重度」問題について

 『みんなのねがい』9月号では、重度の脳性マヒ、難治性てんかんなどのある重症児のなかに、その機能障害の重さからは推し量れない言語や概念による理解が可能な子どもがいることをお話ししました。

 「アヤちゃん」は、発達検査を通じて「大きい-小さい」などの対比的概念の理解が可能であることがわかりました。そして、お姉さんの学校の「給食」という包含性のある言葉に興味をもち、そのメニューの一つである「海苔」に心がひかれたのです。対比的概念を理解してはいますが、自信をもってそれを選択し、決めきることができない心の動揺もあり、3歳頃の「2次元形成期」にあるとみられました。

 こういった機能障害の重い子どもたちに対しては、通常の発達検査を用いての発達診断を行なうことはできません。たとえば、「新版K式発達検査」(京都国際社会福祉センター刊)は、「姿勢・運動」「認知・適応」「言語・社会」という3領域で検査の項目が構成されていますが、運動や言語の機能障害がある場合には、わかっていたとしても、いずれの領域の項目も応答することはほとんどできません。

5つのだんだん大きくなる系列化した●で「最大」「最小」「中くらい」を訊ねる。
真剣なまなざしに発達の力が込められている。(『上巻』「N第2章重症児と発達診断」より)

 そこでアヤちゃんに「大小比較」課題を問うときには、視線での応答を求めることになったのです。さらなる発達診断のために、5つのだんだん大きくなる系列化した●を示し、「一番大きい」「一番小さい」「中くらい」などを問うこともあります。「だんだん大きくなる」という系列や「中くらい」がわかるということは、先に述べたように二項の「対比」「比較」から進んで、「大中小」などの三項の理解ができるということです。

 アヤちゃんは随意的な眼球の運動と視覚認知をもっていたことによって、視線の応答による発達検査が可能でしたが、重症児の場合、視覚障害をあわせてもっていることがあります。そのときには、たとえば「口はどれですか」「耳はどれですか」などと身体部位を訊ねてみます(新版K式発達検査では「身体各部」)。口を開いてくれたり、頸を回して耳を検査者側に向けてくれるようなしぐさをしてくれることがあります。こういった身体部位をわかって応答できるのは「1次元可逆操作期」です(「もう一つ」第4回の写真解説)。そのうえで「もう一つの耳はどれですか」と訊ねると、頸を動かして反対の耳を向けてくれることもあります。一方と他方(反対)という「対」の関係を認識するのは、ちょうど2歳頃です。

 視覚障害があると、「大きい-小さい」などの対比的概念の弁別について、図版を示して訊ねる課題は行なえません。そのときは、「口を開けてごらん」を問うてから、「もっと大きく開けられるかな」と訊ねてみます。対比的概念を獲得している場合には、明瞭に大きく開けてくれるでしょう。また「新版K式発達検査」には「泣いている顔はどれですか」「笑っている顔はどれですか」を図版の顔の絵から弁別する「表情理解Ⅰ」(2歳前半の課題)、6つの表情の絵から「怒っている顔」「喜んでいる顔」「ビックリしている顔」「悲しんでいる顔」を弁別する「表情理解Ⅱ」(3歳前の課題)がありますが、これも視覚の制約のもとでは行なえません。そんなとき「うれしい顔をしてごらん」「怒った顔をしてごらん」「泣いている顔をしてごらん」と問うてみます。視覚障害ゆえに他者の表情変化を認知しにくい子どもたちなのですが、自分の表情で表現してくれることがあります。「喜ぶ」「怒る」「泣く」といった日常的に生起する自分の感情を理解して、イメージすることができるようになっているのだと思われます。「親指はどれですか」「小指はどれですか」に、その指を動かしたり、手首をゆっくりと回して答えようとすることもあります。こういったはたらきかけをするときには、ゆっくり、じっくり、子どもを信頼して待つ気持ちで向きあいます。詳しくは『上巻』「Ⅳ 第2章 重症児と発達診断」、白石正久『障害の重い子どもの発達診断』(クリエイツかもがわ、2016年)を参照してください。

 さらに大切なことは、発達検査への応答だけではなく、子どもの「まるごと」の姿を受けとめることです。たとえば親御さんと私たちの会話を聴こうとしていることに気づくこともあるでしょう。「きょうだい」が学校に通えなくなっていること、お父さんのお給料が減ってお母さんが働き始めたこと、学校の先生がなかなか親子の思いをわかってくれないことなどが話題になると、つらそうに涙を流すのでした。その傾聴、つまりおとなの話に一生懸命に耳を傾けている姿に、言語の理解が確かにあるだけではなく、ともに生きるものとしての感情とその機微への共感をもっていることを強く印象づけられるのです。


機能障害の重い自閉スペクトラム症と「みかけの重度」問題

 この「みかけの重度」問題は、重症児に限られることではありません。たとえば、自閉スペクトラム症(以下では自閉症)があり、発語がほとんどなく、行動の困難がある子どもたち、あえていうならば発達の障害が重いように見え、重度感のある子どもたちのなかに、概念や文脈の理解が可能な子どもがいるのでした。

 彼らは、モノを噛む、隙間に次々と入れる、水道の蛇口の水を叩いて飛ばすなどの行動をしていることがあります。学校から帰宅すると台所や洗面所で水遊びを飽かず続けたりするので、家族にとっては大きな負担になっていることでしょう。手首の運動によって筆記具などの道具を操作したり、目標を定めてそこにあわせるという定位的活動を続けることが苦手なようです。「はめ板回転」では、回転後に円板を入れようとしなかったり、「お手つき」をして、しばらくしてから入れ直すことがほとんどです。

 つまり、いっけん、「…ではない…だ」と切りかえながら調整する1次元可逆操作の獲得に向かいにくい、発達の障害の重い子どもたちでした。そういった操作が求められると、手にしたモノを口に入れて噛む、口に入れて引きちぎるなどを始めることがあり、それを制止されると、跳びはねたり、着衣を破ったり、自分の手首を噛むようなことがあります。こういった口を基点とした行動は、不安や緊張とたたかい、かつ自分の思いを表現できず、理解してもらえないことへの訴えのようにみえます。そうせざるを得ない背景状況にある文脈を理解することが、まず求められているのです。

 私は、こういった事例を整理しながら、可逆操作が求められる苦手な活動や、結果の「出来-不出来」「成-否」が問われる活動に取り組まなければならないときに、それを求めてくる他者の意図への不安感や拒否感が強くなっているように思いました。とくに、自分のことを試すように接近してくる他者や、そういった他者のいる場所への不安や拒否が、ありありと感じられるのです。それは、運動障害とも言える自分の機能の制約をよく理解していること、それなのに、そこにあえてはたらきかけようとする他者の意図に強い感受性と洞察をもっていることの結果にみえました。さらに重症児の場合と同様に、周囲の会話へ耳を傾けたり、チラッと目を向けようとする姿がありました。つまり、重度感のある姿とは対照的に、確かな自己認識と他者心理への認識を窺わせるのです。

 発達検査では、「だんだん大きくなる」系列化した5つの●が描かれた図版を提示して、「最大」「最小」「中くらい」を尋ねると、からだや手を振るような行動をしばらく繰り返してから、手を伸ばして応えてくれたりするのでした。それは、人さし指をまっすぐ伸ばす「指さし」ではなく、手先でそっと触れようとする示し方です。これらのことは『障害の重い子どもの発達診断』「機能障害が重い自閉症の子どもの発達とその診断」(211~223ページ)で解説しました。

 全障研の委員長であった茂木俊彦さんの『障害児教育を考える』(岩波新書、2007年)を読まれた方は多いでしょう。「筆談で表現する自閉症児」(169~174ページ)で、大阪の教員であった三浦千賀子さんの『自閉症の中学生とともに-松原六中・青空学級担任日誌』(未来社、2006年)のなかの知世ちゃんへの実践が紹介されています。

 三浦さんは知世ちゃんを絵本の世界に導きたいと願いましたが、のってきてはくれませんでした。しかしある日、『すてきなひらがな』(五味太郎、講談社)の「て」の絵のページで「手のひらを太陽に」を歌うと、本をチラッと見ようとしたことに気づきます。知世ちゃんは歌が好きなのでした。「赤とんぼ」の歌の情景描写にうっとり聴き入っている姿にも出会います。「負われてみたのはいつの日か」を聴きながら窓際に走り寄り、指で輪をつくって、そこから空を見上げていたのです。

 「赤とんぼ」の歌の頃、「知世ちゃんとの距離は一歩近づいたように思えました」「内言語は、たくさんあると思えました」とあります。きっと三浦さんが知世ちゃんの本当の心に気づいた時期だったのだと私は思います。それらをきっかけとして、「ひらがな」に興味がもてるように、ていねいな教材の工夫と指導を始められます。この指導は、試行錯誤のある粘り強い道のりでしたが、ここで紹介する余裕はありません。

 そしてある日、知世ちゃんの手に三浦さんの手をそっとのせて語りかけると、知世ちゃんは手にした鉛筆を動かして文字を書き始めたのです。そのやりとりのなかで、映画「対馬丸」を観て、「学童疎開」などの意味まで理解していることがわかっていきました。そして、「あんなせんそうは もう二どとおこらないでほしいとおもいます。ちかこせんせいはどうおもっていますか」と書いたのです。

 三浦さんは、入学直後の窓ガラスに突進して舐めようとする姿などに翻弄されつつも、常にステキな絵本や歌・リズムの世界に誘い入れたいという思いをもって、いっけん無関心な知世ちゃんの前で、まるで一人芝居を演じるように、読み聞かせたり、歌ったのです。そのなかで、「チラッと見てくれた」「うっとり聴き入っている」などの姿をとても大切なものとして受けとめ、知世ちゃんの本当の心に接近していきました。その実践者としての感受性に、子ども理解の要諦があるように思われます。

 これらの事例は、「僕たちは、見かけではわからないかも知れませんが、自分の体を自分のものだと自覚したことがありません。いつもこの体を持て余し、気持ちの折り合いの中で、なげき苦しんでいるのです」(東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』角川文庫、56ページ)という当事者の言葉が、ぴったりと説明してくれているようでした。こういった当事者の「筆談」などによる手記に、真実性を疑う見解が述べられることがありますが、そう簡単に否定できるものではないと考えます。もともと自閉症はその「スペクトラム」という概念通りに拡がりと多様性をもった症候群であり、一人の事例が自閉症のすべての特徴を包含したり代表するわけではありません。さらに大切なことは、一人ひとりの心のありようは、他者によって容易に解釈され、決められるものでなく、ただ一つの真実として本人のなかに存在しているということです。先入観をもたず、行動に目を奪われることなく、いつも子どもに問いかけ、思いを聞き取りながら、子どもの真実に近づいていきたいと願います。


胎児性水俣病の人びとのこと

 「みかけの重度」問題を提案して30年近くが経ちました。事例検討を積み重ねる私たちの研究方法について、実証性が乏しいとの意見もあり、それを受けとめていくことは容易ならざることだと思っています。その実証性の求めに応じて「実験」という方法を用いたとして、子どもたちはその課題に応えてくれるでしょうか。仮に実験によって子どもの能力のある部分を取り出すことができたとして、それは大切な認識ではありますが、その外にある子どもの心の事実に目を向けないならば、狭い子ども理解で終わってしまうように思います。

 私たちの研究は、私たちのためのものではなく、この子どもたちの心の表現を拾い、子ども自身にそれが事実であるかを尋ね返して、一つひとつの事実を子どもとともに確定していく共同の所産です。そこには長く続く子どもとの心の対話があり、それを実際に展開する教育や療育の実践が必要です。それゆえに、実践とのつながりのなかで、私たちにはみえていないたくさんのことにも視野が広げていけるのでした。

 実は、「みかけの重度」問題の提案を後押ししてくれたのは、胎児性水俣病の人たちであり、彼らと向きあう人びとの姿でした。なかでも、患者の立場に立って水俣病の原因を追究し続けた故・原田正純さん(熊本大学医学部)の言葉でした。

 原田さんは、胎児性水俣病のなかでも最も障害が重かったという中村千鶴さん(23歳で亡くなる)が、自分(原田)の写真を欲しがっていると施設でいっしょに暮らす清子さんから聞いて、千鶴さんに尋ねました。

 「同じ胎児性患者の加賀田清子さんが、『ちーちゃんが先生の写真をくれって(くださいと)言っている』と意外なことを言いました。清子さんの言葉は辛うじて分かるので、びっくりして『うそだろう。わたしをからかうなよ』と言いましたが、清子さんが真顔なので、千鶴さんのベットへ戻り『写真が欲しいのほんとう?』と覗き込むようにして訊ねました。千鶴さんははにかむように笑いながら、うなずくように全身で表現するではありませんか。医師としての経験がまだ未熟だったとはいえ、この子たちにそのような感情の動きと表現力があるとは考えていませんでした。無知な自分を恥ずかしく思いましたし、そのような教育を受けなかった(当時の)医学教育とは何であったかと思いました。それにしても、わたしには『あーあー』としか聞き取れない千鶴さんの言葉が、同じ障害をもつ清子さんにどうしてわかるのでしょうか」(原田正純『宝子たち-胎児性水俣病に学んだ50年』弦書房、2009年、111~112ページ)。このことについては、『上巻』「Ⅳ 第2章 重症児と発達診断」でもふれました。また、このエピソードは、原田正純『水俣病は終わっていない』(岩波新書、1985年)でも述べられています。

 事実に対して誠実であるだけではなく、水俣病に侵された人びとを単に研究の対象とはせず、一人ひとりを慈しみ、救済のための研究に人生を捧げた研究者の姿勢には、あまりにも多くのことを学びました。胎児性水俣病の人びとは私たちとまったく同年齢であり、その痛みのあるからだをもって同じ長さの人生を生き、老年期を迎えています。そのことを想うときに、この人たちの発達保障に無自覚ゆえに何もしてこなかった自らの無力さを感じます。

 千鶴さんが生まれたのは水俣の茂道(もどう)です。その海とミカンの丘は、今は本当に美しく、訪ねることしかできない私たちを、やさしい光のなかに迎えてくれます。

今回の学習参考文献
・白石正久・白石恵理子編(2022)『新版・教育と保育のための発達診断・上巻』
・白石正久・白石恵理子編(2020)『新版・教育と保育のための発達診断・下巻』
・白石正久(2016)『障害の重い子どもの発達診断』クリエイツかもがわ


もう一つの「発達のなかの煌めき」第6回 PDF版
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