挫折と情熱が世界をつくった―戸部田誠(てれびのスキマ)『芸能界誕生』
1.日本の芸能界は群像劇によってつくられた
戦後、焼け野原となった日本で音楽にのめり込んだ若者たちが今の「芸能界」を作り上げるまでを書いた群像劇である。
日本の芸能界に不可欠かつ大きな力を持つ存在が「芸能プロダクション」だ。しかしそれは戦前から日本にあった業態ではないし、元々力を持っていたわけではない。ではいかにして芸能プロダクションは誕生し力を持つに至ったのだろうか。
曲直瀬正雄・直子のマナセプロダクション、渡邊晋・美佐の渡辺プロダクション、堀威夫のホリプロ、相澤秀禎のサンミュージック、田邊昭知の田辺エージェンシー。
この本で特に主役を張る芸能プロダクションだ。これらの経営者は共に戦後すぐに音楽界を盛り上げた仲間だったり、血縁関係にあったり、元々同じプロダクションで働いていたなど非常に濃い縁で結ばれている。他の登場人物もこの周縁に位置する者ばかり登場する。
この密すぎて窒息しそうな濃い縁が「芸能界」を作ったのだ。
2.大衆の「空気」の本質は変わらない
本の冒頭は、東京・有楽町の日本劇場(通称日劇)で1958年に初めて開催された「日劇ウエスタン・カーニバル」の描写からはじまる。若者を中心に人気のあったウェスタンやロカビリーのバンドを集めたイベントだ。
このイベントの熱狂ぶりはすさまじくバンドのファンである若い少女たちが日劇に大集結した。
現在「推し」や「推し活」という言葉があふれており、その中には熱狂を伴ったものも多い。日劇の少女たちの熱狂は「推し活」が既に過去から積み上げられてきたファンの振る舞いを改めてラベリングした言葉に過ぎない側面があると感じさせる。
「◯◯は音楽じゃない」なんて言葉は今もよく見かけるものだ。その当時、この◯◯には「ロカビリー」が入っていた。
それに対してナベプロの渡邊美佐は猛烈に反論した。
この反論は、ロカビリーでしか通じないものではない。たとえば今注目されているが世間で認められていないものに置き換えても通用するはずだ。
言ってしまえば今も昔も新しいジャンルに対する批判の中身の構造は変わっていない。だから反論も同じ構造でできるのだ。
「歴史は繰り返す」という言葉がある。同じ出来事は二度と起こらない。でも構造や原理が似てる出来事は何度も起こる。それを繰り返すというのだ。
今も昔も人間の心理が変わらないからこそ起こる。それをこの本の記述が証明しているのだ。
3.「狭き」世界に賭けた情熱
登場する多くの人物は数々の挫折を味わっている。内容は人それぞれだ。音楽活動の限界、仲間の裏切り、経営の失敗、後輩に追い越される等々。
その挫折があってもなお、皆あらゆる立場から「芸能界」と後にいわれる世界に情熱をかけ続けた。
芸能プロダクションの社長になる者、ミュージシャンとして人生をまっとうした者、演技など様々なジャンルに幅を広げて活躍し続けた者、歌手から作曲家やディレクターに転身してヒットを量産した者。それぞれの人生が、情熱が交差した本がこの『芸能界誕生』だ。まさに青春群像劇である。
その上でいうと「芸能界」とは非常に狭い世界だったことも分かる。かつて音楽活動を共にした仲間、学生時代の友人、血縁関係者など近しい関係性の中で発展していった。
狭い世界の近すぎる関係だからこそ、愛憎あふれるような仲違いや対立、裏切りなどもこの本には出てくる。もちろん近しいからこそ生まれた絆もある。
深くは言及されてないが、いわば「サークル」のような世界において感情面も含めた対立はもっとドロっとしていたのではないだろうか。
何が彼らを突き動かしたかはそれぞれである。しかし彼らが賭けた情熱が本物であったことは疑いがない。田邊昭知は素朴であるがハートのこもったこんな言葉をかつて残している。
田邊昭知、現在84歳。「芸能界のドン」と称され、今なお「プロダクションのオヤジ」として芸能界を走り続けている。幸いなことに売れているタレントに事欠くことはまだない。
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