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リクルート事件以後とコロナ禍、二つの防衛戦を生き抜いた男―村井満『天日干し経営』


1.Jリーグチェアマンがつづる『私の履歴書』

サッカー好きは前Jリーグチェアマンの回顧録として読めばいいだろう。面白さは保証する。

だが著者の村井さんはサッカーに関心のない人にとっても興味深い経歴を持つ人物である。なにせ一番どん底の時期のリクルートを生き延びたビジネスマンだからだ。

リクルートはホットペッパーやSUUMO、リクナビなど日本で生活していれば何かしらで皆サービスを利用しているはずだ。

そのリクルートがどん底だった時期といえば間違いなくリクルート事件とその後始末である。創業者の江副浩正が収賄容疑で逮捕されたこの事件でリクルートの信用は地に落ちた。

村井さんはリクルート事件後、営業部門のマネージャーから人事部長になる。そこで今のリクルートの基盤となる人事方針や施策を作り、人事部門の執行役員まで登り詰めた。

その後、リクルートエージェントやリクルート関連の香港法人の社長を歴任し、2014〜2022年にわたりJリーグチェアマンとして力を発揮する。

ちなみにリクルートエージェントがこの名前に変更したのは村井さんの決断だそうだ。その効果かわからないが「就職エージェント」に関する人々の認知度は改名後大きく上がることになる。

少し長くなってしまったが、彼はどん底状況の会社の立て直しや復活に立ちあい、その後まったく畑違いのスポーツ業界に飛び込んだ特異な経験の持ち主なのだ。

そんな村井さんがさしずめ『私の履歴書』のように生まれてからこれまでの人生、仕事哲学を余すことなく書き下ろしたのがこの本である。

2.ビジネスの「防衛戦」を戦いぬく

Jリーグを見続けていると村井さんの元でJリーグ本部がどんなことをしたかは自然と情報が入ってくるし、主体的になればもっと情報が集められる。

しかし彼の前職については「リクルートで結構いい地位まで登った」ぐらいしか認識がなく、どんな仕事をしてきたのかはつかめていなかった。

だから村井さんのリクルート時代の話は非常に興味があった。特に会社が困難に見舞われた時期に残って格闘し、立て直しから発展まで見届けた経歴の人が伝える経験は貴重である。

ビジネス書はどうしても「攻めてる」話が多い。新しいチャレンジとそれに伴う困難の話だ。だが事件後のリクルートは違う。チャレンジする以前に「防衛戦」をする必要があるからだ。こういった防衛戦を書籍の形で残してる本は何冊あっても困らない。

防衛戦で重要なのは、ただ守るだけではどうにもならないことだ。守りながら反撃の種を仕込み、きたるべき反転攻勢にそなえることが大切である。

福利厚生を削減するという守りの手を打ちつつ、「雇用ではなく、雇用される能力を保証したい」というスローガンに基づいた社員の能力開発に人事施策の重きを置いた方針転換はまさに反撃の種である。

事件以前よりもいっそう「人」を強みに押し出したリクルートは多様な人材を外に輩出し、入れ替わるようにその風土を魅力に感じた多くの人材が仲間になっており現在に至っている。

3.いかにしてJリーグは史上最悪の防衛戦を生き延びたか

さて、村井さんのチェアマン時代における最大の防衛戦といえばコロナ禍である。

コロナ前年の2019年にJ1の平均入場者数は史上最多を、クラブの収入の合計も過去最高を記録した。2020年、チェアマン4期目に突入した村井さんの頭の中にはさらなる攻めの施策が浮かんでいたはずだ。

ところが1月下旬にコロナ感染者が国内で確認されてから坂道を転げ落ちるような展開になり、Jリーグはもちろんあらゆる興行が存亡を危ぶまれる状況になる。

コロナ禍に対するJリーグの動きは早かった。これは村井さんが既にコロナが流行っていた中国に知り合いが多くいて情報を得ていたこと、北海道コンサドーレ札幌の社長である野々村芳和さん(現・Jリーグチェアマン)が日本で先んじてコロナが流行っていた北海道の状況を元に村井さんに危機感を共有したことなど様々な要素があるだろう。いずれにせよ2/25に2節以降の開催延期が発表された。大規模イベント団体初の中止である。

Jリーグのコロナ対応の具体的な話はこの本にいくつも書かれている。NPBとの共同戦線やコロナ対策のガイドライン作成と開示、専務理事の木村正明さん(現・ファジアーノ岡山オーナー)の際立った政府交渉などだ。

その中でも僕は延期発表前の2/23にJリーグ幹部宛に送ったメールに注目した。村井さんは以下のように書いている。

※「ウイルスが蔓延し始めたから中断」だけでは再開のシナリオが描けません。今気をつけなければならないのは、大義なき風評追随や自己中心的思考、右往左往だと思います。「我々の判断で空けた五輪期間中に試合を移行する」という考えは、どうしたら一番五輪に協力できるのか」に一貫して基づくものであり、我々の描く「利他」シナリオの修正ですから大義名分があるように思います。

村井満『天日干し経営』p173

対コロナは確実に防衛戦になる。リーグの中断はやむを得ない。ここまでは守りの話だ。しかし村井さんはこの時点で「どうすれば政府や国民がリーグ再開に納得してもらえるか」を見据えていた。リーグ再開という反撃の種をどう仕込むかを考えていたのだ。

結果オリンピックも1年延期となり引用した文面のように話は進まなかった。しかし守りに入ってる時に次どう攻めるかを考えるという発想はリクルート時代の経験が活きていると僕は感じている。

この記事では「防衛戦をどう生き抜くか」という切り口で村井さんの本を紹介した。他にも選手などサッカー関係者とのエピソードや人事評価制度に対する私見、「天日干し」の真意など様々な人が興味の持てる内容になっている。ぜひ手に取ってみていただきたい。

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