見出し画像

カレーをナンで食べると思い出す話。

鬱病と診断され、一番変わったのは私自陣ではなく、周囲(職場)だった。

だけどそれはたぶん悪い意味ではなく、良い意味だったのだろう。

診断前からおそらく私はかなり調子が悪く(後から聞いたら、「少し前のことを忘れる」「急に黙って固まる」等の行動をして心配をかけていたらしい。)、心療内科から「鬱病ですよ」という診断が出たこと、言い換えれば私の様子が「言語化されたこと」で、周囲が対処の方法を具体的に考えるようになってくれた。

もともとその職場は、十数人で回している小さな職場だった。

家族のような、学校のような、社会人のそれとは違う何かが漂っており、その中で、私は、いわゆる「ムードメーカー」だった。
冗談を積極的に言い、エピソードトークをみんなに披露し、みんなの就労時間を削り、上司に怒られ、それをみんながまた笑う。
ここまでがワンセットの、比較的幸せな職場だったのだろうと思う。

私の診断も、全員が共有していた。そもそも私が隠していた自覚がないからだ。

仕事もフォローしてくれるようになり、できるだけ、できるだけ、私が「昔のこの職場に入りたてのときの私」に戻れるように頑張ってくれた。

だけど私は違うことを考えていた。

どれだけ周囲が頑張ってくれても、どれだけ自分で休息を取ろうとしても、一向に戻らない体調。
表面上笑っているのだが、内面はもはや何も考えることができないぐらい疲れている。
そもそもいつからこうなった?
確かに仕事を始めてから忙しくて余裕は無くなった。
だけど昔の自分はこれとは違ったのか?
昔の自分ってどんなんだったんだ?
ぐるぐるぐるぐる考えて、思った。

「これは、きっと、治らない。少なくとも、私が今までかかった風邪のようには。」

私は、鬱病を治すのを諦め、鬱病とお付き合いすることにした。
しかも、ただ単にめんどくさいやつとお付き合いを始めるのはごめんだ。
だから、私は、鬱病と「幸せに」お付き合いをすることにした。

私はただ、幸せになりたかった。

私自身が変わることができる範囲は限られている。
ならばやることは決まっている。
そもそもの業務量を調整しなければならない。
業務量を、自分で調整しなけれなならない。

私は家族のように接してくれた上司に話をした。
「辞めます。独立します。」
行きつけのインド料理屋で、私は上司にそう告げた。
上司はスパイシー・シーフードカレーにナンをつけて、ひたすら食べ続けていた。
「それがいいかもな。」
私は自分のナンに、自分のチキンカレーをつけるのが飽きてきたので、上司のシーフードカレーを勝手につかって食事を続けた。

2か月後、さっぱりと辞めた。
前職場の近くに、こじんまりとした事務所を借りて、今は個人事業主としてお金を稼いでいる。
前職場とは今も親交が続いていて、「準レギュラー」と呼ばれている。

独立後、何度も苦しくて泣いた。
ただ、今も生きているということは、少なくともあのときの選択は間違いではなかったんだろうと思う。
「なんでこんな選択をしてしまったんだろう」と思うときはある。
そんなときはシーフードカレーの味が思い浮かぶ。
そういうときは、ぐっと目を瞑って、

寝るに限る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?