見出し画像

Encourage #3 「繋がり」

◆NEFNEに関わる人たちによる自由連載《汽水域の人々》
雑貨屋&フリースペースのお店「NEFNE」で交わるひとびと。多様な執筆陣がリカバリーストーリーをはじめ、エッセイ、コラム、小説など好きなように書いています。


 小鳥のささやきに導かれるように窓の外を見ると空一面に覆っていた灰色の雲が漂い青空が所々顔を出していた。
 なぜかどういう経路を辿ってこの道を歩んだろうと振り返っていた。
 思えばこうして閉じこもる事なく社会の一員として暮らしていけているのは医療従事者のよるところが大きい。


 或る時、無職になり症状の悪化で表に出られなくなり、引きこもりに近い状態になった。
 今でも近所の話声や笑い声に過敏に反応してしまうが、当時はひどい悪循環にはまり、家から出られなくなっていた。そして妄想がひどくなり、およびもつかない考えに支配され孤立してゆく。だんだん眠れなくなり、声に反発して怒りが収まらず、家から外の状況を確認したりして飛び出した事もあった。

 家族がそれに巻き込まれ疲弊して、ついに病院に預けられる。いわゆる入院である。それによって家族からも疎ましく思われる。
「まあな、ゆっくりせいよ。」なぜか穏やかだ。
 もし理解のある家族なら、その後に自分から話をして関係を修復する意味があるだろう。残念ながら家族からは理解が得る事が難しい。つまり医療従事者に頼むのである。その人たちはそれが仕事でその道のエキスパートなので遠慮はいらない。

 おそらく病院に行った時に頼れと言ってくれるはずなのであるが、自分は何も知らされないままだった。
 「調子はどうですか?」の一点張りの質問を何の疑いもなく答えただけだった。


 気が付いたのは新しい病院の主治医の先生の一言で、それはリアクション、つまり「薬の飲んだ感想を言ってください。」という説明を受けて、そこではじめて自分からの感覚や要求を言えばそれに合わせて治療の方針が決まるのである。

画像3

 長年にわたり苦しめられてきた症状で人生の半分を費やしてきて怒りがこみ上げる。
 そして同時に悔し涙を流してしまう。
 ただ、それだけ・・・それだけしか残らなかった。
 もし知らせてくれれば病院を変わることはなかった。
 前の医療従事者はアドバイスすらしてくれなかった。
 自分だけが特別じゃない。同じような目にあった人は少なくないはずだ。


「でも、頑張らないのもありだぜ。そうとも俺は充分耐えてきた。もうこれ以上生きていたくはない。」
 その絶望に似た境地に達した時、ふと自分の周りの人達の事が浮かび「はっ」と気付いた。

「なんか、このまま死んだら阿保みたいやな。大人やったら周りの事まで思慮できて当たり前や。ここで死んでも何も変わらない。だったらやるべき事が、まだあるんじゃないか?」

 人として最初のハードルを越え、社会の一員として全うするために表に出る事を決断する。


画像2


 手始めにその病院内にあるデイケアに通う事を決める。なぜなら、連携がとれる可能性が高いためである。主治医の先生とその病院の医療従事者が直接やりとりするために自分の気付かないところまで気付ける可能性が高い。

 そしてなるべく通い続ける方が良くて自分もそうだったのだが、体力をつけるためにも良いのである。社会の一員となると体が資本なのは良く知られている。自分もその点で苦労している。

 それと実績作りである。その二点がキモで医療従事者はそれらを判断材料としている。実績というのはデイケアに通い続ける事。デイケアは気楽に参加できるので安心できる。もちろんデイケアに出続けるだけでなく内容も選択できてそれに合ったプログラムの援助を受ける事ができる。

 それらを医療従事者が判断して次のステップに行く事ができる。社会復帰の次のステップ、作業所で働く事である。
 自分はこことデイケアの掛け持ちをしていて、疲れた時はデイケアで、体力を付ける時は作業所という風に分けて通う事を許されている。個人のニーズに合った極細かい援助である。

 無理なく程よくできる。合理的ではあるが要は一人一人の要望に合わせて責任者が相談に乗ってくれている。その要望で働き方が決まってくる。選択肢がいくつもあり、「俺にもやりたい事が見つけられた。」と感謝した。


 仲間と働く喜びが大きな波となって心に響く。一人では決して味わう事のなかった嬉しさや活気に溢れる自分がいる事。無駄じゃなかった。
 あの時に投げ出していたら、このような希望のある現実に巡り逢わなかっただろう。
 苦しみ抜いた果てに辿り着いたのは無理しなくてもいい事だった。
 しかし、社会復帰という道を選んだからには、また苦しむ事だろう。
 働いていた頃は決して楽じゃなかった事を思い出す。ステップアップするたびに、それを実感するだろう。


「まあな、ゆっくりせいや。」と今はいない家族に悟されたように思う。
あの時すでに、「分かってたんか。」と家族が理解していた。頭を自分で撫でて「まいったな。」と感慨にふける。すべての歯車が噛み合い回りだす。

 自分自身も腹をくくって「もう二度とあの頃を繰り返さない。」と心に誓って覚悟を決める。
 少なくとも医療従事者のサポートに応えたいということ。同じ境遇の仲間たちの助けになりたいこと。
 そしてその仲間たちとともに社会の繋がりをもちたいこと。
 社会へ出る決断が少しずつ自分を変えている最中である。


 窓の外を見るといつの間にか、あの灰色の雲が消えて少し涼しくなった。
小鳥は確かに羽ばたいた。

  了

画像1

【今回の執筆担当者】
コズミ/40代男性。統合失調症。若くして発症し、入退院を繰り返しながらもエッセイやお笑いなど発表。趣味は宇宙を勉強すること。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?