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新年のご挨拶――2020年からの新しいnote運用方式について
というわけで皆様、明けましておめでとうございます。本年も引き続き、ネットの方はネットのほうで、リアルの方はリアルのほうで、どっちもの方はどっちのほうでも、それぞれによろしくお願いできれば幸いです。
さて、このニー仏noteは昨年まで、「基本的にはエントリの全文を無料で公開し、末尾にツイキャス録画の視聴パスを記した有料部分を付す。また、本文有料記事も月に1~3本ほど別に配信する」という形式でや
UIWと「攻性防壁」
年始雑談ということでキャスを一時間ほど。日本での正月はけっこう久しぶりだったから、ちょっと街を歩いてみるだけでも、いろいろと思うところがあった。
(※録画視聴パスは月初の記事もしくはマガジンからどうぞ。)
そのキャスでもちょっと話したけれども、年末年始の特別な時期でも一部のいわゆる「闇の界隈」では全く話題が通常運転で、ふだんの平日とまるで変わらない引用RTの殴り合いなどをやっているのだから
見てほしいのに隠したいもの
年始の時期……には限らないことだが、ふわっとインターネットを眺めていると、「みんなさみしいんだなあ」としみじみ思う。たぶん99.9%の人がそうなのだけど、心の底に、様々な大きさで、様々な形の穴が空いていて、それをなんとかして埋めるために、たとえばウェブ上で、ひょっとしたら誰かに届くかもしれない言葉を吐いたりする。
もっとみるせめて「和顔愛語」の余地だけは
昨日のエントリは今月のマガジンに入れたものと思い込んでいたら入っていなかったようで申し訳ないことをした。改めてマガジンに追加すると同時に「返金を受けつける」設定にしてみたので、単体で購入された方でご希望の方は試してみていただきたい。マガジンを購入された方は有料部分も読めるようになっているはずだが、もし何か問題が生じているようであれば、お手数ですがお知らせいただけますと幸いです。
「かわいそうな
そろそろ「風説」は終わりにしよう
ジェンダーにまつわる現状の不公正を指摘し、既得権を手放さないまま他者にのみ負担を押しつけようとする人たちを厳しく批判する言説について、「正しいけど、こういうことを言っていたらモテない」と評している人を見かけて、ちょっと笑ってしまった。
もっとみる「公正さ」に溜め込んだツケ
最近はどうも生活と実務にばかり時間を使っているせいか、自分の文章にも色艶が減っている感じがする。端正で明晰であることは私にとって作文上の理想の一つだが、それが同時に詩的でもあることが大切で、クリアなだけで熱や色のない文章なら、書かないほうがましというものである。1月のこれからはもう少し、「余計なこと」だけに使う時間を増やしたいものだ。
そうした「余計なこと」の一環としてツイッターなどを眺めて
実在した「越後屋」のこと
モラハラ妻から逃げた夫のブログというのをたまたま読んだのだが、ひどい話だと思うと同時に、「ひどすぎる」ので、ちょっと額面どおりには受け取りづらいとも感じた。なんというか、夫が誠実すぎるのに対して、妻がクズすぎるのである。「悪いやつ」がここまで明確に悪い話なんて、昔やっていた水戸黄門くらいでしか見たことがない。
言うまでもないことだが、これは匿名の誰かがインターネットで書いているブログに過ぎな
見た目が変われば世界が変わる
美容ユーチューバーの整形前と整形後の動画を見る機会があって、まあ彼女は成功した例だからということもあるが、「これは容姿にコンプレックスのある人がやりたくなるのも無理はないなあ」と思うなどした。
もっとみる「いのちだいじに」のリソース
「利己と利他は両立不可能だから、『自分の命を大切にできない人間は他人の命も大切にできない』というのは間違いだ」という話を見かけて、ちょっと考え込んでしまった。私の理解では、「利己と利他は両立不可能」という認識と、「自分の命を大切にできない人間は他人の命も大切にできない」という認識は、両立可能だからである。つまり、二つの認識は、前者が正しい時には必ず後者は誤っている、という関係に立つものではない。
もう一つの美しいエートス
昨夜は告知のとおり、ヨガ講師・小沢まなみさんとのツイキャス対談を催行した。期待どおりというか、むしろ期待を遥かに超える本質的な語りをしていただき、私もついつい、いつもより踏み込んで語ってしまったように思う。
(※録画パスは月初の記事、もしくはマガジンから取得できます。)
(※※音声が小さめらしいので、視聴の際にはヘッドホン等をご使用いただき、音量を上げて聴かれることを推奨します。)
話の内
「ピンとくる」にも準備が必要
そういえば一昨日のキャス対談でもう一つよかったなあと思うのは、小沢さんが「自身の人生の基本的な方向性について深く葛藤している時は、むやみに色々と新しいことに手を出すよりも、まずは様々な自身を取り巻く文脈から距離をとる時間を作って、ゆっくり自分の身心の求めを聴くことを試みてみるのがよいと思う」と言われていたことである。
これは私も心から同意することで、多くの人は問題の解決というのは何かを「する」
なぜ「質問」のふりをして主張するのか
これまで私のnote等を通じたウェブ上での発言をそれなりに長くチェックしてくださっている方々はご存知のことと思うが、私は「文書による質問に文書でお答えすることは原則として無償ではいたしません。『議論』についても同様です。ご質問に関しては、ツイキャスのライブ放送中にコメントにて書き込んでいただければ対応します」と繰り返し述べてきた。
その理由についても同様に何度も書いているのだが、ここで端的に