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せめて「和顔愛語」の余地だけは

 昨日のエントリは今月のマガジンに入れたものと思い込んでいたら入っていなかったようで申し訳ないことをした。改めてマガジンに追加すると同時に「返金を受けつける」設定にしてみたので、単体で購入された方でご希望の方は試してみていただきたい。マガジンを購入された方は有料部分も読めるようになっているはずだが、もし何か問題が生じているようであれば、お手数ですがお知らせいただけますと幸いです。


「かわいそうな人たちに対してSNS上で口だけの同情を示しても無意味なので、そんなことを言うならまず自分が具体的に動くべき」という主張を見かけて、沈思黙考してしまった。いや、言いたいことはとてもよくわかるし気持ちも理解できるのだが、「SNS上で口だけの同情を示す」ことすら人々がしなくなってしまったら、それはそれでけっこう問題なんじゃないかとも思ったりするのである。

 以前にこのあたりの過去記事でもちょっとふれたことだけれども、日本の人たちは他者に対する親切や気遣いのレベルが低いわけでは決してなくて、むしろそうしたことについては(時に病を将来するほど)心を砕いているからこそ、「具体的に動く」ことはなかなかしにくくなっている側面があるように思う。

 仏教には「和顔愛語」という言葉があって、豊かな人はその財力で貧者に施してやればよいし、力の強い人はその膂力を弱い者に貸してやればよいのだけど、そのどちらもない人は、せめて穏やかな態度で優しい言葉を他者にかけてやればよいと言われている。人にはそれぞれ能力や持ち合わせの差があるのだから、自身にできることを可能な範囲でやればよいのであり、またその「自身にできること」の中には、「せめて言葉や態度だけでも他者に優しくする」ということも含まれるということだ。

 もちろん、「SNS上で口だけの同情を示す」ことに批判的な人たちは、上掲のツイートにあるように、"「百%助けきるか、そうでないなら何もしないか」という二択だけに、互助の選択肢を限定する" ことを求めているわけではないだろう。彼/女たちの中には自ら実際に具体的な行動をとってきた方も多く含まれるだろうし、そうした「当事者感覚」が強ければ強いほど、ウェブ上で「口だけの同情」をしているように見える人たち(もちろん、実際のところはわからない。その人たちも、「リアル」では自身にできる具体的なことをやっている可能性は大いにあるから)が、有害無益に感じられることも時にはあるだろうと推察する。

 ただ、個人的には「口だけでも優しいことを言う」という振る舞いについて人々の態度が厳しくなりすぎることは、社会の「利他」のハードルを総じて押し上げることに繋がり、結果としては、「具体的行動」に出る人の数も少なくさせるのではないかと感じている。「口だけ優しい」人々が千人いるところなら、そのうちの十人くらいは「実際にやってみようかな」と行動に移すかもしれないが、「口だけ優しい」ことを許さないような厳しい査定が「利他」に課されているところでは、むしろ「具体的行動」に至るハードルも高くなってしまうのではないかということだ。

 そんなわけで、私は「口だけでも優しいことを言う」人たちを原則としては強く非難する気になれないのだが、こういう態度が「私と私の好きな属性の人たちにもっと優しくすべきです! そのリソース? それは『私たち』に含まれない人間が、当然のこととして拠出すべきです!」というタイプの恥知らずなフリーライダーをますます増長させることに繋がり得ることも理解している。なので、こういうことはあまり大声で各所に訴えたりせず、そっと自身のnoteエントリに書き込むだけにとどめておく次第なのであった。

(※ここからは本日のエントリに関する所感)

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