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実在した「越後屋」のこと

 モラハラ妻から逃げた夫のブログというのをたまたま読んだのだが、ひどい話だと思うと同時に、「ひどすぎる」ので、ちょっと額面どおりには受け取りづらいとも感じた。なんというか、夫が誠実すぎるのに対して、妻がクズすぎるのである。「悪いやつ」がここまで明確に悪い話なんて、昔やっていた水戸黄門くらいでしか見たことがない。

 言うまでもないことだが、これは匿名の誰かがインターネットで書いているブログに過ぎないし、書かれていることが事実であるという保証は全くない。また、かりに著者が主観的には事実であることを書いていたとしても、それが相手方からすれば認めがたい虚偽に映ることもあるだろう。こうした夫婦間のDVやモラハラのような、当事者間で主張の食い違いが起こりやすい問題に関しては、双方から丁寧に話を聞き、可能な限りの事実確認もとった上でなければ、最終的な判断は下しようがないのは当然だ。

「被害者」が勇気をふるってした告発に関しては、全て無条件に信用して「加害者」を弾劾するべきであって、「被害者」の言うことに合理的なものであっても疑いを差し挟んだり、その告発と「加害者」の言い分を同じ資格で対置したりすることは二次加害だ、と主張する人たちもいるようだが、私はそのようには思わない。自身を「被害者」だと主張する人に人権があるのと同様に、誰かから「加害者」だと名指された人にも当然ながら人権はあるのであって、両者にはともに、裁かれるのであれば適正な手続きをもってそうされることを要求する権利がある。誰かが自身を「被害者」であると宣言して他人を「加害者」だと名指しすれば、その瞬間に前者はその主張に対する一切の検証を拒否したまま、後者をいくらでも好きなように断罪できるのだとすれば、それは魔女裁判と何が異なるのか。

 もちろん、こんなことは現代日本人である私たちにとっては常識的な話であり、「モラハラ妻から逃げた夫の告発」について上記のように述べるならば、たぶんほとんどの人がとくに反対はしないだろう。しかし、ここでちょっと登場人物の属性を入れ換えた上で、全く同じ構造の問題を再提示してみると、こんな「常識的」で基本的な話に関しても、まともな判断が機能停止状態に陥ってしまう人たちはたくさんいる。こういうのは完全にご当人たちの属性差別に基づいて生起する事態と言うべきで、本当にこの問題というのは根深いものだと思う。

 ただ、上記のような当然の留保を前提とした上で、ひとまず逃げた夫氏によるモラハラ妻氏の描写について一般的に考えてみると、たしかにこういう人は実在するだろうと思った。逃夫氏の伝えるモ妻氏は、付き合いのかなり初期から経済的DVと精神的DVの合わせ技一本、さらに結婚してからは不倫も加わって大三元という暴虐ぶりで、これに唯々諾々と従っている逃夫氏は、正直なところ「誠実」と評価していてよいレベルを相当に超えてしまっているように感じられる。

 一般論として考えれば、こんなわかりやすい「善男」と「悪女」のストーリーには、それこそ水戸黄門と同程度のリアリティしかないと判断しておくべきだろう。しかし、管見の範囲内の現実としては、

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