アンテナを張り巡らせろ
私は、任天堂の大人気ゲーム『ゼルダの伝説』シリーズの大ファンで、各シリーズ必ずやりこんでいる。中でも『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』はかなりやり込んだ記憶がある。
5月12日に発売された『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』(通称:ティアキン)ももちろん購入し、舐め回すようにプレイをしている。
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世界中でティアキンのプレイ動画が拡散され話題を呼んでいるゲームだが、ふと気になるツイートがあった。
ゲーム学科に通っている学生なのに、話題のゼルダをプレイしていないというのだ。「ゲームくらい好きにやらせろ」という意見もあるが、ゲーム学科というのがミソだ。
ゲーム学科に通うということは、ただのユーザーではなく、好きの延長で仕事へと繋げて、より良い作品を自分が作るというクリエイティブな人材になる人が多いだろう。そうした人たちがまずやらなければいけないことは、例え興味がなくとも、世間で流行ってるものを触り「なぜ流行っているのか」を個人で分析することだ。0から1を生み出すためには膨大なインプットが欠かせないのだ。そのことを意識して、この方はツイートしたのだろう。(わたしもこの意見に賛同している)
しかし引用欄やリプ欄に非常に興味深いものが散見された。
こうした反論を筆頭に、先ほど挙げたツイートは半分炎上とも言えないくらいの勢いを見せた。
確かに、コンテンツ・娯楽が多様化した現代において、こうした意見が出てしまうのは宿命なのかもしれない。昔は酒・タバコ・車といった”みんながやって当たり前”だったものがあり、アニメやPCやゲームといった”オタク趣味”が忌避された時代があった。しかし、こうした趣味も市民権を得て、人前で話せるようになると、市場として大きなものへと成長していく。たとえば同じアニメでもバトルものや恋愛もの、日常系など様々なジャンルへと細分化されていった。コンテンツ・娯楽が多様化しているのは一見良いことだと思うが、”好きなもの”の守備範囲を非常に狭くさせてしまう。
先ほど挙げたツイートに群がる反論たちにも見え隠れしている。彼らは、自分の興味関心の範囲が半径30cmに満たないくらい狭く、一歩でも自分の興味関心の守備範囲から外れたら”無”として扱い、そしてそれ自体を悪いことだと認識してない。
先ほどのツイ主は”将来のクリエイター”としての心配みたいな感じだったが、私は対人関係において大きな支障をきたすと考えている。
好奇心が稀薄ということは、新しいことを始めない≒学びを得る機会がないということだ。学びを得ないまま自分のテリトリー内の範囲にとどまり続け成長がないと、やがて言葉遣いや考え方に影響が出て相対的に幼く見えてしまう。
好奇心の稀薄さからくる幼さというのは、非常に悪印象を与えがちだ。俗に言うガキっぽいというやつだ。(先ほど挙げたツイートの反論リプたちも独特のガキっぽさを醸し出している)
自分の興味関心の範囲が半径30cmに満たないくらい狭いため、人と会話することができず人間関係の構築ができない。
そもそも一歩でも自分の興味関心の守備範囲から外れたら”無”として扱うため、雑なコミュニケーションをとってしまう。
そのこと自体を悪だと認識できないため、改善ができない。
人が寄り付かないため、コミュニケーションの場数が少なくなりより一層幼く見える。
こうした最悪の悪循環を辿っていくのだ。
まだ10代や20代前半だったら、若気の至りということで片付くのかもしれない。しかし、40代50代といった、どっしりと構えてなければならない年齢にもかかわらず幼さが残ったままの人間が多数いることを、インターネットが顕にさせた。
インターネットの力は偉大だ。
教室の隅っこにいるような子にも、”居場所”を与えてくれた。
その居場所というのはとても心地良いものだろう。
昔と違い、趣味・娯楽が多様化しており、たとえ自分の興味関心の範囲が半径30cmに満たないくらい狭かったとしても、”居場所”を作ることができた。
しかし、そうした狭い”居場所”に居続けることによって、社会から取り残されている事例をよく目にするようになった。
もう一度、オオタキ ユウ氏の発言に対してのリプライ達を見てみよう。
正直、反論とは呼べないものだと思う。
しかし、この反論(?)を書いた人たちからすれば、反論のつもりなんだろう。
自分の興味関心の範囲が半径30cmに満たないくらい狭い故に表現の幅も狭い、一歩でも自分の興味関心の守備範囲から外れたら”無”として扱うため学習する意欲がない、そしてそれ自体を悪いことだと認識してないから改善しない。さらに「安全圏から他人をバカにしたい」という欲望だけは一丁前に持っている。
なんとも救いようがないように思えるが、好奇心というアンテナを張らず現状維持だけして、しかも現状維持の範囲が極狭な者の末路だと思う。
こうした人たちを他山之石として、私たちは個人で対策を立てていかなければならない。(正直言うと、インターネットに溢れかえるこうした人たちは手遅れなので見捨てるしかない)
そのためにも好奇心という名のアンテナを張り巡らせなければならない。
街に出て周囲を観察したり、本を読んで知識を増やしたり、流行りのものを取り入れて感性を鈍らないようにしたり、やることが無限に湧いて出てくる。インターネットという時間をただただ浪費させるだけのものから、物理的な距離をとる必要がある。
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好奇心というのは非常に厄介なものだと思う。
例えば、「卓越した身体能力で周囲をアッと言わせたい」という欲望や、「立身出世して周りのひとから尊敬されたい」といった欲望を満たす娯楽は世に溢れてる。それこそゲームで疑似体験したり、漫画や小説に没入することで得られるだろう。
しかし、好奇心は違う。
あくまで自らの主体性にかかっている。自己変革を不可避的に強いるものだ。だからこそ「楽しいかもしれないからやってみる」というフットワークの軽さ、”ベタ”なものを楽しむ力が鍵を握る。
コロナ禍が終わり、日常が戻ってきた現在では。
来月はどうやって好奇心のアンテナを維持し続けるのかを書いていきたい。
今日はこの辺で。
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