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隣の芝はずっっっっっっっと青い
あけましておめでとうございます。
2023年もよろしくお願いいたします。
今年も拙い文章ですが、思い立ったことをつらつらと書いていきたいと思います。
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年賀状マウントと不自然なパワーワードがTLで少し話題になった。
(発端はモーニングショー?)
年賀状マウント、いやー、これ、送る側は全く考えてないね。悪気はたぶんないんだろうけど、受け取る側はどういう気分か分からないから、干支の絵と挨拶だけが無難。
— jiro-tw (@jiro_tw) December 12, 2022
まあ、年始から破り棄てるとか、燃やすとかしてる家もあると思う。(´・ω・`)#モーニングショー pic.twitter.com/R5YFP17Vrf
(https://twitter.com/jiro_tw/status/1602093680458084352より引用)
いくらなんでも卑屈すぎだろとツッコミを入れてしまいたくなるが、人の劣等感・コンプレックスというものはー”地雷”と言い表すのがピッタリなくらいー多種多様かつ見えないところにあるのだなとつくづく感じる。
大方の反応は「めんどくせー」とか「心が貧困」だのと書かれていた。
おそらくこのnoteを見てる人も同じような感想を持つかもしれない。
しかし、何でもかんでもマウントと叫び、自分の劣等感・コンプレックスを刺激され不快された被害者として振る舞うのはSNS/インターネットの副作用なものであるのようにも思える。
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約一週間後、今回の年賀状マウントの話に(個人的な勘にすぎないが)通ずるツイートが話題となった。
ウメハラが「当時のゲーセンは井の中の蛙だったので、オレは世界一だ、と簡単に思えた。だから格ゲーを続けられた。そしてみんなも自分が世界一だと思ってたので、だから格ゲーが流行った。今はそんな錯覚をする場もないので初心者が続けるには厳しい」と言っていた。
— 人間ジェネリック (@DividedSelf_94) December 10, 2022
(https://twitter.com/DividedSelf_94/status/1601456905221996544より引用)
ここで言われているウメハラという人物は、プロ格闘ゲーマーの梅原大吾氏のことだ。
うめはら。
Red Bull、HyperX、NSURGO、Hit Boxと多数の企業からのスポンサードを受けて活動するプロ格闘ゲーマー。
海外では"The Beast"の異名を轟かせる世界的に著名なゲーマーであり、日本人としては初めてプロ格闘ゲーマーという職業を確立し社会的な認知を広めたパイオニア的存在
そんなプロ格ゲーマーのパイオニアであるウメハラ氏も、最初は街のゲームセンターという場所で、”井の中の蛙”状態からキャリアをスタートさせていった。
しかし現在、技術の進歩に伴い、”井の中の蛙”ではいさせてもらえないようだ。
今のゲームはオンライン対戦などが充実している。ポケモン、スマブラ、スプラトゥーンetc…自宅で猛者たちを戦うことができる。
ただ、上記のツイート・記事の通り”井の中の蛙”では入れなくなってしまった。
誰しも”クラスで一番”みたいなものがあったはずだ。
しかし今ではSNS/インターネットで、自分よりも格上の存在を一瞬で知らされてしまう。
キレイな格好をしても、自分よりカワイく美しい女性が一瞬で出てくる。
連戦連勝を重ね「クラスで一番スマブラが強い」と称号をもらったとしても、オンライン対戦でボコボコにされる。
どんなに勉強ができても、「できて当たり前」のハードルがバトル漫画並みにインフレしてるSNS/インターネットでは”無知”を思い知らされてしまう。
かつて「世界一幸福な国」と謳われたブータンの幸福度が近年になって急落したのは、国民(とくに若者層)に最新の情報テクノロジーが普及したにことによって「他国の同年代の様子」を知ってしまったことが原因だと言われている。皮肉にもブータンの高い国民幸福度は、同国政府が長年にわたって敷いてきた「情報封鎖」によって「井の中の蛙」で入れたということでもある。「無限に広がる青い芝」を政府が徹底的に国民に見せなかったからこそ、ブータン国民は「幸せ」だったのだ。
日本の現代社会と変わらないと言っても過言ではない。
日々”敗北”を痛感させられている中、愚痴を吐いたら吐いたで「こんなので辛いと嘆くのは生ぬるい!」と言わんばかりに不幸自慢合戦が始まる。
そんな環境にいてしまえば、鬱屈とした感情は溜まってしまうのも納得であろう。
頼まれてもないし自分から望んでもいない。しかし、SNS/インターネット上での自分が持ってる優越感or劣等感カードバトルを繰り広げては、満身創痍になっている。
そんな傷だらけであったら、何気ない年賀状の一枚も、傷口に塩を塗り込むような拷問になってしまうのだろう。
それが結局マウントされたorしたという言葉にギュッと凝縮されているような気がする。
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卑屈な感情を育ててしまうSNS/インターネットは、社会インフラのような「使ってて当たり前」になりつつある。
だからこそ適切な距離感が必要になってきている。
ずっっっっっっっと青く見える隣の芝生を見て劣等感・コンプレックスを醸成しては卑屈な思いだけを募らせたり、”不幸警察”かの如く他人の辛いエピソードに対して「俺/私の方がもっと辛い」と不幸自慢合戦にあいのりしないために。
劣等感と優越感を交換し合う闇のゲームから少しでも遠ざかる術を探すのが2023年のテーマなのかもしれない。
新年なので今日はこの辺で。
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