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将来

何者になりたいのか自分でもわからない。
でも、何者にもなれない今の自分の生活をどこか気に入っているのかもしれないとふと思う。

周りの人間が将来を決め始め、友人との会話も全て将来のことになる年になってしまった。

本音を言うならば、一生何者にもならず、喫茶店でコーヒーを飲み、タバコをふかし、時々友人と話しながら、許容範囲の広い彼女がいる生活を送りたい。

しかし、そんな事許されるわけないし、する勇気もないし、できない。

スーツに身を包み、企業の採用担当やお偉いさんが、話をするイベントに足を運ぶのも、敬遠してきた。そんなものに行ったって、勘違いをするだけだと思い込んでいる。

とはいえ、時間は待ってくれない。何者かにならないといけないその時が、目前まで迫ってきている。かといって焦っているわけでもない。

先日、田舎の実家に帰省した際に父親と晩酌をしながらテレビを見ていた。何となく流れていたニュース番組から地元に新しい高専高校が開設される情報が流れ、父親の話を横目に何となくテレビの画面に意識を向けた。

その高専は、これまでの高専とは一線を画し、将来の経営者を育てると言うものだった。教員や、学校設立者も東京に本社を置く会社の社長さんや、胡散臭さを全開に放ったお偉いさんばかりだった。

「僕はこの高専に入学して、将来は仮想空間で誰とでもコミュニケーションをとることができるそんなソフトを作りたいです!!」

若干15歳の受験生が、テレビのインタビューに意気揚々と答えていた。男の子の横には、いかにも教育ママといった感じの母親が、満足げな表情を浮かべながら息子の話に頷いていた。

何だかつまらなさそう、可哀想、そんな事ばかりが僕の頭を占めた。

夢に溢れた彼らの美しい眼差しを否定するつもりは毛頭ない。しかし、将来の道が確定された人生ほどつまらないものは無いと思ってしまったのだ。

学生生活の時間は、人間形成においてかなり重要だと思う。頭が良くて、プログラミングが上手だと言うことよりも、大切なことがたくさんあると思うのだ。外に出て、1人でも多くの他人とコミュニケーションをとる。様々な人との出会いの中で、弱い者の立場を理解できたり、社会からはみ出ている人の気持ちを汲み取れる大きな器を身に纏えうことの方が大切だと思う。一体何がしたいのか、何者になりたいのか、そのもがく時間こそが、その人に深みを出し、その人の魅力をさらに掻き立てていくと思う。

僕は今、それを経験できている。今までの人生、失敗ばかりだし、決していい人に育ったとは言えない。

テレビの画面の中で目を輝かせていた彼には到底及ばないと思う。彼のような人に憧れた時期もあった。「将来はお金持ちになって、大きな家に住むんだ!!!」そんな事を思っている時もあった。

でも、今色んな人と出会って、話をして、認めて、認められてを繰り返しているうちに、そんな事よりも大切なことがあるってことに気がついた。きっと大切にしたいものが彼と僕とは違っているんだと思う。

しかし、そんな僕も最近は考えがどうやら変わってきた。
何かに直向きに頑張る時間というものが今の僕には必要だ。
自分の気持ちを誤魔化して、後回しにしたところでダメなんだって気がついた。
いや、気がついていた自分を多分どこかで誤魔化していたんだと思う。

父親に駅まで送ってもらう時に、父親がどんな風に考えて生きて、仕事をしてお金を稼いでいるのかを聞かされた。

すごいなあやっぱりこの人には敵わないやって思った。話の最後に、「どうや、お父さんカッコええやろ。」と言われた。

冗談まじりに否定してやろうと思ったけど、カッコ良過ぎて否定できなかった。

駅で別れる際に「頑張りたまえ、青年!」と割とデカめの声で言われた。

ありがとう、息子頑張ります。

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