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尊敬?いや、偉大かな

僕には今年で52歳になる父親がいる。小さい頃はとにかく父親のことが嫌いだった。とにかくすぐ怒るし、手を挙げられた事も一度や二度ではない。「何で殴るんや。」殴られる度に、心の底からフツフツとそんな想いが込み上げてきた。平手打ちを喰らった時の頬のジンジンとする痛み、それを感じるたびに父親のことが嫌いになっていった。

小学校6年生の時僕は少年野球のチームメイトの頬を殴ったことがある。どう考えても、僕は悪くなかった。今でも確信を持って言える。チームメイトの大きな鳴き声を聞きつけ、親たちがこちらに向かって走ってきた。あの時どうにもならないと思った事が一つある。それは相手がどんなに悪かったとしても泣かせたやつが悪者になるということだ。僕は父親からチームメイトや親たちが見ている前で平手打ちを喰らった。
もう言い訳のしようがなかった。とにかく悔しかった。どうして僕がこんな目に遭わないと行けないんだ。その事ばかり考えていた。
帰りの車内でだんまりしている僕に父親は一言言った。「良くやった、男やわ。」気がつくと涙が出ていた。あの時父親が人目を気にせず僕を平手打ちした理由を今では理解している。多分僕が親でもすると思う。この事を理解させてくれた車内でのあの一言があってから、僕は少しずつ、父親のことを尊敬し始めた。

昨年、思いつきで京都にあるミニシアターでアルバイトを始めたのだが、人間関係がうまくいかずクビを宣告された。しかし、これまでの人生において引退や、卒業などの節目以外で物事を途中で辞めたことのなかった僕はバイト先の支配人にどうかクビだけは勘弁してくれないか、もう一度チャンスをくださいと懇願した。この時、人生で初めて土下座をした。なかなかの屈辱だった。僕という人間をよく解ろうともせず、偏見や見た目だけで判断された事に僕はムキになっていたのかもしれない。意地でも続けてやろうと思った。しかし、そんな環境下で働くことは精神的にも大きな負担が伴うんじゃないかと思い、田舎に帰省した際、父親に相談した。この時にはもうかなり父親のことを尊敬していたと思う。

「ちょっと話したい事あるねんけど。」そう一言メールを入れた。地元に帰る時はいつもは、駅まで母親と2人で迎えにきてくれるのだが、その時は気を遣ってか、父親が1人で迎えにきてくれていた。車に乗り込むと、「おかえり」と一言。僕は「ただいま」と一言返した。それ以降しばらく無言だった。気まずい車内の中、勇気を出し話を切り出した。正直に全て話した。聞き終えた父親が「しょうもない意地だけは張るのをやめなさい。つまらん人間になるぞ。そんなバイト辞めていい。」と一言。自分の気が付かないところで疲れていたのかもしれない、もうこの時点で少し泣きそうだった。でも父親の前で泣くのだけは何だか嫌だった。「お腹空いてるやろ、母さんが握ってくれたから食べな。」そう言いながらおにぎりを手渡してきた。久々の母親のおにぎりだった。一口頬張った時、今まで、溜めていたものが滝のように流れ出た。

今はもう小さな頃のように、毎日言葉を交わすことはないし、実家に帰っても2人で話をすることはほとんどない。いい意味で放任されている。ただ、時々投げかけてくれる父親の「言葉」が、今の自分の生きている指標になっている事は、変わりないし僕は父親の様にはなれないことも分かっている。

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