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気持ちのきろく

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特にテーマなく徒然なるままに書いたnote。
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#日記

部活を辞めた後の話

高校生の時少林寺拳法部に所属していました。 だけど、心も身体も怪我をして2年生の夏に辞めました。 部活を辞めたことが自分で許せなくてずっと心の底に沈み込んで人に話すのもずっと躊躇っていました。 * コンテンポラリーダンスをやっていて足を高くあげる動作が今でもスムーズにできるのは少林寺拳法のおかげだと今思います。 「大車輪」「前受身」「後受身」などの技もそのまま側転やフロアーにつながっています。 * なんであの時ダンス部に入らなかったんだろうとワンダンスを読んで何

体は健康なのに心は元気がない?心の不調のサイン5つとその対処法 #ダンスと健康

私がダンスを始めてから向き合わなくてはいけなくなったこと。 それは自分の体の感覚に敏感になること。 足先から髪の毛一本まで神経を張り巡らせていいダンスをしたい。 私は、もともと味覚音痴だし、怪我をしても痛みに気づかない、かなり感覚が鈍感な方だと思っていた。 ところが、日々自分の体に向き合っていると、「実は自分はすごい繊細な感覚や感受性を持っていたけれど、それを表に出すことができない環境で育ってきたが故に鈍感であると思い込んでいた」ということが判明した。 そして、毎日

体は健康なのに心は元気がない?心の不調のサイン5つとその対処法パート2 #ダンスと健康

前回の記事が長くなってしまったので二つに分けました。 まだ読んでいない方はぜひこちらも参考にしてください! 3 買い物が豪勢になる私の場合、本を6冊一気に買ってしまう。 いつもなら、一冊を1時間ぐらいかけて悩んでやっと買うのに、急にお金のこととかどうでも良くなって、とにかく買ってしまえ!となっちゃう。 もちろん買ったものは読むんですけど、あーやっちゃったという罪悪感もちょっとあったりして、ちょっと落ち込んでしまう。 荷物が多くなるのと同じ原理で、ざわざわとした不安な

私はz世代。だけどインスタは苦手。

私の体感なのですが、10代でダンスの仕事をしている人は期待の新星、天才、つまり少数派で、20代真ん中ぐらいがダンサーとして仕事がある人とそうでない人でパカっと分かれる気がします。 ただこれの難しいところは、歳が早ければいい、遅ければわるい、という単純な話ではなく、どれだけ長く続けられるか、どれだけ自分で作品を作れるかというのも関係すること。 * 振り付けを毎日作るストイックな1ヶ月今年の頭に初めて1分間のオリジナル創作振り付けをオーディションに出しました。 レッスンで

棒人間を描くためのストイックな練習

朝10時半。私は棒人間を描きたい衝動に駆られた。 『棒人間図解大全』MIKANO著という面白そうな本を火曜日に買い、数日間机の上に飾っていたところ、どうやら機が熟したらしい。 本に言われるがまま、A4の白い紙(発表資料の裏紙50枚ぐらい)と鉛筆(就活で一回使っただけ)と消しゴム(掃除したら出てきた)を用意して始めた。 線を引くところから棒人間修行はスタートする。 しゅっしゅっ ぐるぐる さっさっ しゃかしゃかしゃかしゃか そして出来上がった一枚がこちら。 書

自分で自分のご機嫌をとるの巻

みやぞんさんの言葉で好きなのが、「自分の機嫌は自分でとる」という話。 え、簡単なことじゃーんと思ったのに、いざその時になったら難しいなと今日思ったのでその話をしたいと思います。 * 今日はいつもと違う先生のレッスンを受けようと思い予約して5分前に到着しました。 実は前日もいつもと違う先生のレッスンを受けに行ったところ、時間を勘違いして15分ぐらい遅れたので、今日は5分前に到着できた安堵感と達成感をしみじみ噛み締めていました。 * ところが、私がついた頃には先生も生

ないものねだり

私は尋常ではないぐらい隣の芝生が真っ青に見える人である。 友達が持ってるDSに憧れて誕生日プレゼントにおねだりするような心のまま大人になってしまった。 ゲームとかおもちゃだけならまだ可愛げがあるのだが、小5で急に物欲が途絶えた後は、芸能人みたいに踊れるスキルが欲しいからダンス始めるとか、学歴がある人が羨ましいから、自分も大学目指すとか、我ながらだんだん要求が高度になっていった。 なんで高度になっていったかというと、手に入れても満足できなかった、その一点だけである。 頑

きまぐれなバス

毎日毎日バスが目の前で行ってしまう。 いつもは青色の信号は私が近づくと、ぱっと赤色に変わってバスと私を遮ってしまう。悔しくてたまらない。 * きまぐれなバスなんだから私もきまぐれでいいじゃないか いつものように、バスが数百メートルに迫っているのを横目で確認してヒヤヒヤしながら横断歩道に向かって歩いていたのだがふと力が抜けた。 バスを逃すたびに嗚呼なんでさっき急にゴミ出ししてしまったんだろうと自分をちくちくと責める気持ちで頭がいっぱいだった。 アドラーの言葉を借りる

久石譲さんの音楽

よく聞いたことあるメロディだけど、曲名を知らないことが多い。 久石譲さんの名曲は特にそう感じる。 :人生のメリーゴーラウンド: これはハウルの曲。 メリーゴーラウンドって最初は外で待ってくれてる祖母に手を振ってわーとかふーとか言ってみるけど何周もおばあちゃんと顔を合わせるから同じじゃつまらないよなとか思い始めて、だんだんきまずい気持ちが込み上げる。 やっとその気まずさを乗り越えて楽しめるようになったと思ったらピタッと止まって終了してしまう。 人生もそうなのかしら。

一生分の涙

膝のあざがダンスの先生の目に留まり、本気で体を大事にするよう怒ってくれた。私は感極まって目から涙が溢れそうになった。それが恥ずかしくて、笑って誤魔化してしまった自分の弱さを感じて落ち込んだ。 感動で泣くことはわるいことじゃないはずなのになんで恥ずかしいと思うのか? これは小さい頃「人が一生で流せる涙の量は決まってる」と聞いて今もそれを信じ続けていることにあった。 私は泣く頻度が高い子どもだったと記憶しているが、そこには人前で泣くなんて自分が可哀想だと思ってるからだろとい

消えた歯ブラシ立て

目の前にあった歯ブラシ立てが一瞬で消えた。 あまりにも目の前で起きたことが信じられなくてコロポックルのせいなのか寝ぼけて見間違えただけなのか判断できなかった。 * 三日後、なんと流し台の下の引き出しにちょこんと歯ブラシ立てを見つけた。 三日ともなると記憶が曖昧で、単なる私の見間違えだった気もするのだが、若干背筋がゾクっとした体験だった。 *小さい頃、怖い話をテレビで見ていたらバタンと扉が倒れ、親とびくびした思い出がある。小学生の時から私は「なんか恨まれることしたっけ