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【法廷遊戯】感想後編:理想のキャスティングと言わしめた3人の演技

ようやくキャストについて触れていきます!
もう、最高によかった。匠海くんと花ちゃんのことも(もともと好きだったけど)大好きになった。

前編、中編はこちら

※この記事でもバリバリネタバレしますので注意!

キャスティング過程の話

この映画、製作陣もとても良かったのだけれど、俳優陣もすごく良かった。

清義、美鈴、馨

原作よりもかなり描くキャラクターを絞り込み、完全に「3人の物語」という雰囲気に仕上げる選択をしたことがまず良かった。
そしてこの3人の配役が良かった。

脇を固める俳優も実力派ばかりで、キャストが発表されたときは正直「これは脇役に持ってかれるやつか…」と思ってしまったところがある。
全くそんなことはなかった。ごめん。

それどころかパンフレットを読むと、映画の企画にあたってまずこの中心となる3人の名前が真っ先に挙がっており、東映の橋本プロデューサー×メディアミックス・ジャパンの本郷プロデューサーの対談では「嬉しいことに理想のキャスティングが叶いました」と話していた。

特に廉くんについては、2021年の春頃に企画が動き出した頃には「セイギ役には永瀬さんがいいのでは」と出ていたとのこと。(公式パンフレットより)

ううう嬉しい。そんなに「この人がいい」という決まり方だったとは。

どの演技がきっかけだったんだろうなー。
真夜中乙女戦争は深川監督が挙げているけど22年だし、きっかけはやっぱ、りょーちん?
うちの執事は~も橋本プロデューサーだけど、あれはぽくないしなあ。

なんて考えるのも面白い。

※参考
<テレビドラマ>

信長のシェフ(2013年1月11日 - 3月15日、テレビ朝日) - 森蘭丸 役
俺のスカート、どこ行った?(2019年4月20日 - 6月22日、日本テレビ) - 明智秀一 役
FLY! BOYS, FLY! 僕たち、CAはじめました(2019年9月24日、関西テレビ・フジテレビ) - 主演・朝川千空 役
連続テレビ小説 おかえりモネ 第6回 - 第120回(2021年5月24日 - 10月29日、NHK総合) - 及川亮 役
わげもん〜長崎通訳異聞〜(2022年1月8日 - 1月29日、NHK総合) - 主演・伊嶋壮多 役
新・信長公記〜クラスメイトは戦国武将〜(2022年7月24日 - 9月25日、読売テレビ・日本テレビ) - 主演・織田信長 役
夕暮れに、手をつなぐ(2023年1月17日 - 3月21日、TBS) - 海野音 役
ラストマン-全盲の捜査官-(2023年4月23日 - 6月25日、TBS) - 護道泉 役
<映画>
忍ジャニ参上! 未来への戦い(2014年6月7日公開、松竹) - 回想のカザハ 役
うちの執事が言うことには(2019年5月17日公開、東映) - 主演・烏丸花穎 役
弱虫ペダル(2020年8月14日公開、松竹) - 主演・小野田坂道 役
真夜中乙女戦争(2022年1月21日公開、KADOKAWA) - 主演・私 役
映画ドラえもん のび太と空の理想郷(2023年3月3日公開、東宝) - ソーニャ 役(※声優)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%80%AC%E5%BB%89

「理想のキャスティング」と言われた、永瀬廉、北村匠海、杉咲花。

廉くんと匠海くんは、「FLY! BOYS, FLY!」で共演して以来の仲良しだし、匠海くんと花ちゃんは幼馴染のような関係で、お互いを下の名前で呼び捨てにするくらいの仲だそう。

劇中の3人はもともと友人という間柄の役なので、演じる方々もお互いに全く知らない仲ではない方がいいのかもしれないと思っていました。(本郷)

「法廷遊戯」公式パンフレット

たしかにおっしゃる通りで、特に清義と馨が校内のカフェで仲睦まじくお喋りをするシーンなんかは、俳優本人同士の関係性があってこその空気感だったのかもしれない。


当時の永瀬廉と久我清義

これは完全にファン視点の話だけれど…

廉くん、クランクインが2022年10月中旬。クランクアップが11月24日。
どんな時期だったか、ファンでなくてもなんとなくわかると思う。

デビュー5周年を前にして仲間を失うことが決定している中、ファンに嘘をついているという苦しい気持ちを押し殺しながらお仕事をしていた頃。
連ドラ主演と並行して過密スケジュールでツアーをまわり、テレビに出ればアイドルとして笑ってなんでもないように振る舞っていた。

本作撮影真っ最中の11月4日に発表があって、個人のラジオでは涙を流しながら決意と心境を語っていた、あの頃。

あの時期によく頑張ったねという気持ちはもちろんある。それだけで泣いてしまう。
だけどそれ以上に「持っている」というか……

だって、苦しい中で大切な人を想い決断をして、未来に向かって進んでいく様。
「僕たちは、ここからまたはじめていく。」(清義)
そのまんまじゃん・・・・・・・・・。

久我清義、永瀬廉しかいなかったな。


主要な登場人物と考察

さて、ここからは、主要人物の印象に残った演技とそれがもたらした効果、そしてそれぞれが迎えたラストについて。


久我清義(セイギ)/永瀬廉

中編でも触れたのだけど、「法廷遊戯」という作品の中で清義は主人公でありながら、美鈴や馨に翻弄され続けるキャラクターだ。
また、弁護士ではあるものの、裁判モノでよくある「異議あり!」みたいな展開は、ない。

法廷での清義は、終始その場で起きることを黙って見つめているか、美鈴に指示されたとおりに発言を進めていく、それだけの存在だ。
そして、清義には心の内を相談するような相手もいないので、モノローグでの状況説明をしてくれる他に発言は少ない。

どちらかといえば静かなキャラクターではあるものの、その内にある正義感、罪悪感の葛藤など、人間らしい感情を最も強く持っている人物でもある。

つまり、映画作品の登場人物として考えたときに、清義というキャラクターに必要となるのは「ただそこにいるだけで存在感があり、語らずとも何かを抱えていることが伝わる」ことだった。

(永瀬くんは)陰と陽で言えば陰のイメージなのですが、そのエネルギーが強く感じられて、夜空の月のように輝いている。そういう意味でもセイギにぴったりでした。(深川監督)

セイギは雄弁なキャラクターではないので、表情や目に説得力がないと難しいんです。永瀬さんは言葉がなくても惹きつけられてしまう雰囲気を持っている方なので、ぴったりだと思いました。(橋本/プロデューサー)

華やかさがありながら、どこか影がある雰囲気も持っている方で、立っているだけでセイギだなという感じがしました。(本郷/プロデューサー)

「法廷遊戯」公式パンフレット

清義は特待生としてロースクールに入学し、司法試験にも合格する優秀な生徒。
上記のような「黙っていても惹きつける雰囲気」「どちらかというと陰、影のあるイメージ」の他に、「聡明さ」を感じさせる知的な雰囲気も必要だったように思う。

この点に関しても、廉くんの持ち前の聡明さがばっちりハマっていたのだろうな。

最初の本読みをしたら、彼が言葉を発すると、(過去の)作品で感じた陰の魅力が自ずと発されていて。知的な魅力を刺激するタイプの俳優だと感じました。(深川監督)

日本映画navi 2023 vol.108
「深川栄洋監督が語る永瀬廉」

ちなみに、法廷遊戯関連のインタビュー掲載雑誌ほぼ全て読んだ中でも、上記の記事が載っている「日本映画navi」は特におすすめ。

監督のインタビューも良いし、廉くんのインタビューでも過去作品との比較や廉くん本人の人柄などにも触れながら、他の雑誌とは一味違った愛のあるまとめ方をしてくれている。

個人的に、初めて廉くんを知ったときから彼の “落ち着いたトーンで話すときの声“ に強い魅力を感じていたのだけれど、本作での清義はストーリーテラーとしてモノローグが多く、その声の魅力が存分に活かされている。

深川監督も、廉くんの声について以下のように話している。

撮影していて感じたのは、特徴のある声ですね。落ち着いているように聞こえて、倍音のような。永瀬さんが2人いて、リエゾンしているような。不思議な魅力があるなと。それが清義の醸し出す温度感にも作用しているかもしれません。(深川監督)

日本映画navi 2023 vol.108
「深川栄洋監督が語る永瀬廉」

そうそうそう!
ずーっと思っていたことをこんなにしっくりする言葉にしてくれるなんて、監督、さすが。

清義は基本的には終始低い温度の演技を保っているけれど、その中で一段空気の温度が上がるシーンがある。
それが、馨の実家(伯母の家)を訪れた場面。

物語の中で、このシーンが清義にとって「天地がひっくり返るような衝撃の事実」を知った瞬間だ。
静かだけれど、清義には馨の伯母が語る一言一言がずしりと重く、1秒が永遠に感じるような、そんな時間だったのではと思う。

このシーンについて、撮影の石井さんが以下のように話している。

印象的だったのは、馨の伯母に会うシーンです。1カットであえてトラックバック(=被写体からカメラを遠ざけていく撮影方法)しながら撮っていて、ここで彼はどういうお芝居をするのかなと思っていたのですが、本当に素晴らしかったです。(石井/撮影)

「法廷遊戯」公式パンフレット

トラックバックで撮影することで、清義にとっての時間の流れの感覚が表現されていると感じたし、伯母から事実が語られていくのに合わせて変化していく清義の表情が、彼の大きな動揺をよく表していた。

もう一つ、このシーンについて触れておきたいことがある。

このトラックバックのカットの直前、馨の仏前に座る清義の横顔が、仏壇に供えられた2本の蝋燭の間から映されているカットがある。伯母がポツリポツリと話始める箇所だ。
(全く関係ないけどこのカットの廉くんの後頭部の丸みが最高にかわいい)

このカットには意味があるように思っている。
これは、仏壇にある馨の遺影からの目線なのではないか?
そう考えるとこのシチュエーション、どこかで見たことがある。

無辜ゲームだ。

無辜ゲームでは、審判を務める馨が被疑者を裁く際、灯された蝋燭の火の間から被疑者を見ている構図になる。

伯母の口から、過去の自らの罪がどのような悲劇を招いたかを明らかにされる瞬間は、まさに清義が裁かれる「無辜ゲーム」の始まりだったのではないか?

終盤の清義のセリフが思い出される。
「馨は、全部見てたんだよ。」

そして美鈴のセリフ。
「ゲームのプレイヤーは、あなたなの。」

そんなことを感じるシーンだった。


結城馨/北村匠海

馨はロースクールの中で唯一、在学中に司法試験に合格した優等生。

しかし、原作では "父(佐久間)の事件が起きて法律にのめり込むまでは、勉強ができると褒められたことなんてなかった" というエピソードが、馨の母親から語られている。(※原作内では母親は生きている)

馨は決して小さな頃から法律に興味があったわけでも、元々勉強が好きだったわけでもない。
無辜である父が有罪となり、司法はそれを見抜けなかった。
司法に絶望し、その絶望から法律にのめりこんだ。

馨がどれほど「無辜の救済」に人生をかけていたか、想像に難くない。
以下は、前編にも掲載した馨の発言の再掲。

僕の前に十人の被告人がいるとしよう。被告人のうち、九人が殺人犯で一人が無辜であることは明らからしい。九人は、直ちに死刑に処せられるべき罪人だ。でも、誰が無辜なのかは最後までわからなかった。十人に死刑を宣告するのか、十人に無罪を宣告するのか――。審判者には、その判断が求められる。殺人鬼を社会に戻せば、多くの被害者が生まれてしまうかもしれない。だけど僕は、迷わずに無罪を宣告する。一人の無辜を救済するために。

五十嵐律人「法廷遊戯」

これほどまでに重いものを背負って、単なるゲームではない並々ならぬ想いで「無辜ゲーム」を開催していた馨。
この重みをどう表現するか。

匠海くんの、全てを見透かすような眼差し、迷いのない凛とした立ち姿、嘘を突き刺してくるような真っ直ぐな声。
すべてが馨にぴったりだった。

個人的に、強く印象に残っている馨のカットがある。

清義が藤方を告訴した無辜ゲームに、奈倉教授が見学にきたシーン。
奈倉教授と馨の間で、次のようなやり取りがある。

奈倉 :「証人が嘘をついているかは、結城が判断するのか?」
馨  :「それは誰にも判断できません。実際の刑事裁判でも同じですよね?

ここだ。ここの、馨の顔!迷いのない眼差し。
うわ、見透かされてる。この人の前で嘘をついてはいけない。
北村匠海、すごい!と思った。

この学生の間で行われている、法的な縛りもなにもないのにきっちり罰は与えられる「無辜ゲーム」という危うい遊び。
この空間の中での馨の絶対的存在が、自然に、かつ印象的に、表現されているシーンだった。(そのような意図があったかは不明だが、少なくとも私にはそう感じられた。)

清義も馨も、過去の重いものを背負っている、という点では同じだが、馨には清義にはない「余裕」が随所から感じられる。
それはやはり、無辜の救済という最大の目的がありながらも、馨は起きている全てを掌握し、ある種ゲーム感覚で楽しんでいた部分があるからだろう。

そして、清義との友情は嘘だったのか?という疑問がある。
原作でも馨視点の心の内が語られることはないので、この点については答えがあるわけではない。

ただ、馨はあくまで「同害報復」を「赦すこと」であると捉えていた。
馨を突き動かすものは「復讐」や「憎しみ」とは全く異なるものと考えるのが妥当だろう。

つまり、馨の実現したかったことは司法の改革同害報復(=相手を赦すこと)の2点でしかなかったのではないか?
馨は、同害報復を果たすことで、清義と美鈴を赦すつもりだったのだろうと考えられる。

そして清義は、奈倉教授から話を聞いたことで、馨の「同害報復」が赦しであることを知っていた。

ラストで清義がとった選択は罪の償いであり、その選択をした清義は、それまでに見せたことのないすっきりとした笑顔を見せる。
そして効果的に使われる、清義と馨が楽しそうに法律について話し、階段を駆け上がっていく回想シーン。

きっと、馨は赦したのだと思った。
きっと、清義と馨の間には、本当に友情があった。

(と、私は思いたい!思わせて!!)


織本美鈴/杉咲花

も~~~圧巻だった!花ちゃん!!!

正直、原作で勝手にイメージしていた美鈴とは、花ちゃんは違う気がしていた。
原作では、美鈴の容姿や異性からの印象についてハッキリと触れられていたからだ。

目尻がやや下がった大きな眼、すっと通った鼻筋、糸で括ったように小さな唇。

五十嵐律人「法廷遊戯」

同級生の八代公平(映画には登場しない)は、美鈴について「付き合いたいなんて思わない。遠くから眺めるだけで満足だ」と言っていた。

これらから、美鈴には「スッとした美人で、いわゆる高嶺の花」というイメージを持っていたので、花ちゃんだとちょっと「親しみやすすぎる、かわいすぎる」という印象があった。

ところが、さすがの演技力。
ラストの美鈴を見て、花ちゃんじゃないといけなかったと思った。

とにかく緩急がはんぱじゃなかった…。
最も "何を考えているかわからない" 感の強い美鈴というキャラクター。
だけど、美鈴の心の中心にいるのはいつだって清義だった。

ロースクールでは、静かに目立たないように過ごしているように見える美鈴。
そんな彼女の目つきが変わりハッキリとした意思表示をしてくる瞬間がいくつかある。

その全てが「清義が危険にさらされること」が起きそうなときだった。

例えば、清義が「ゲームの範疇を超えている」と通報を匂わせた時。
瞬時に「警察はだめ。絶対嫌。」と、反論を許さない口調で言い返す。

そしてもちろん、あの接見室。
清義が弁護士バッジを外していることに気づいた瞬間目の色が変わり、「ねえ何してんの?」と怒りにも似た感情が露わになる。

美鈴の考えていることは、きっと誰よりもシンプルだ。

清義の過去は、何があっても、絶対に隠し通す。
私が清義を守る。たとえ馨を殺してでも。
ドロップをくれたあの日からずっと、清義は私の世界に色をくれた正義のヒーローなんだから。
私には清義しかいない。清義がいない世界なんて色のないモノクロだ。

ふわっと落ち着いてかわいらしい、もともとの花ちゃんの印象。
そこから一瞬で人が変わったように、張り詰めた空気を作り出す演技力。

この緩急が非常にハッキリしており、それによって美鈴の感情が爆発するポイントは一つしかないことが強調されていたように思う。

接見室のガラス越しの必死の叫び。
清義を犯罪者なんかにするもんか。私は清義を守るために生きているのに。

それが清義に届かなかったとき、美鈴の生きる理由は失われた。
空っぽになってしまった美鈴から溢れ出るのは狂気の笑い。

清義だって、美鈴に対して同じような感情を持っていたはずだ。
美鈴ほどの狂気まではいかずとも、お互いに罪を共有し助け合って生きてきたのだから。

僕たちの関係性は、友人でも恋人でもない。家族がもっとも近しい表現だと思うが、しっくりとはこない。言うなれば、お互いがお互いに影の役割を担ってきた。
過ちを犯したときは、後始末を引き受ける。それが、当然のことだと思っていた。

五十嵐律人「法廷遊戯」

回想のモノクロシーンで、少年院送りを免れたあとの清義と美鈴が空き地を歩く場面がある。

ここで印象的だったのが、美鈴が清義を守った話(喜多を脅した)のときは美鈴が清義の前を歩き、そこから未来の話として清義が弁護士を目指すと発言するところからは、清義が美鈴の前を歩く。

「美鈴、一緒に行かないか?抜け出そう、こんな場所から。」

ここでも、「助け合う2人」という関係性と、「美鈴を導く清義」の構図が見て取れる。

では、清義は馨の「同害報復」を受け入れることで、美鈴とのこの関係性を捨てたのだろうか?
美鈴よりも馨をとったのだろうか?

これもきっと違うと思っている。

美鈴は、あまりにも清義に依存しすぎていた。
自分よりも清義。清義のためならなんでもする。

そんな美鈴の姿を目の当たりにして、この関係から抜け出さないと、美鈴に明るい未来はないと思ったのではないだろうか。
ここで同害報復を受け入れずまた互いの後始末をしてしまっては、きっと一生互いが互いに縛り付けられたままだ。

だから、美鈴を開放したかったのではないか。

清義が最後にとった選択は、決して誰か一人のためではないのだと思う。
清義にとって大切な2人。馨のためでもあり、美鈴のためでもあった。
だから、あのすっきりとした笑顔で、笑った。

そして、「僕たちは、ここからまたはじめていく。」なのではないだろうか。

その他のキャラクターについて

本当は、奈倉教授や沼田、佐久間についても書きたいことがあったのだけれど、さすがに書きすぎた!のでやめておく!
(そのうち別で書くかも。。。)

一つだけ、妙に存在感のある傍聴席の記者について。
あのキャラクターが配置されたのは、おそらく観客への整理と説明のため。

原作では、清義の弁護士事務所で働いているサクに対して、清義が問題の説明をしてくれるので、読者が理解できるようになっている。
映画にはサクは存在しないので、どこかで状況整理の説明を入れたかったのだろうなと思う。

あの記者がキャップに報告をすることで、少しついていけなくなっていた観客がいったん理解し追いつくことができる。

また、内閣官房が関わる冤罪事件を追求しようとし、検察官から「あんまりうるさくすると、おたく、来年記者クラブから弾かれるよ」と言われるシーンがある。
これがあることによって、ラストの回想シーンで馨がいう、「いつの時代も、権力者にとっては法律が邪魔な存在なんだよ」の重みが増す。

あの記者が担ったのは、そういった映画全体をわかりやすくする役割だったのだろうなあ。
本当に構成と脚本が見事だった。


さいごに

1回目の鑑賞時はおそらくほとんどの人が清義の目線で観ていくと思うが、2回以上観る場合、美鈴と馨の目線も考えながら観ることになる。

この映画は、美鈴の目線で観ると苦しくて悲しくて、最後の接見室のシーンなんか、絶望が押し寄せて涙が止まらなくなると思う。
あと一歩だったのに、泣いても叫んでも目の前の大切な人を守ることができないなんて、恐ろしいほどの絶望だろうな…。

父親が階段を転がり落ちていくのを目撃する馨の顔も忘れられない。
あの日から馨は、人生をかけて無辜の救済、同害報復、司法の改革を考えてきたんだ。

原作がある映像作品って失敗と評されてしまうことも多いけれど、「法廷遊戯」はただの "原作の映像化" に留まらず、大切なメッセージをしっかり受け継ぎながらも映画ならではのエンターテインメント性を非常にうまく盛り込んだ仕上がりになっていた。

監督が言っていた「小説とは別物と思ってほしい」がいい意味で理解できる作品で、本当に素晴らしかったと思う。

いい映画だった。
ラストをどう捉えるかは個人に委ねられるけれど、私は、3人とも本当の意味で救われたのだと信じたい。

最後に、超最高の主題歌を貼っておきます。みてください。
救ってくれます。

▼ライブパフォーマンスver.

▼Music Video(フルコーラス)

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