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【法廷遊戯】感想中編:演出と予告がつくりだすミスリードの妙

前編はこちら

前編では映画と原作の構成の差分について中心にまとめた。
後編で締めるつもりが長くなってしまったので、今回は中編として演出と予告についてまでとしました。

映像作品としての感想

まず全体としては、とにかく(原作と比較して)シンプル、かつスピーディーな展開で1.5時間が過ぎていき、気づいたら終わっているような感覚。

鑑賞後に考えさせられる面白さがあり、邦画にありがちな薄っぺらいストーリーではない。
ただ、中盤若干ダレる。これは映画だけでなく、原作でも感じたことだ。

本筋としては「無辜の救済」「司法の穴」「それぞれの正義」というようなところがポイントとなる。
法律の話がメインかと思いきや、蓋を開けてみれば冤罪×社会問題の人間ドラマを描いているイメージに近い。ミステリーや法廷モノをイメージして観た人は、「思ったのと違ったな」という印象を受けると思う。

中盤のダレる印象の原因は、そもそものストーリー構成が「美鈴の黙秘」の一点に頼り切っているから。
最初から最後まで美鈴の黙秘を引っ張り続けて、口を開いたら一気に解決という構成であり、ここは原作の段階からもう少しうまくできなかったかなと感じていたところ。

更に、無辜ゲームと馨の死という2点以外は、特段大きな出来事があるわけでもなく、美鈴に何も教えてもらえない清義の視点で進んでいくためこちらもいらいらが募っていく。(原作ではこの教えてもらえない期間がとにかく長い。笑)

美鈴の黙秘で弁護人(清義)の主張が進展しないので、法廷のシーンも単調なものとなり、よくある法廷モノの緊迫感や論破の爽快感などもない。
これを映像にするのは、かなり難しかったのではないかと思う。

それでも面白いと感じる映像作品に仕上がったのは、演出とキャスティングの力が本当に大きいと感じる。

小説を映像にする場合、聴覚と視覚で飽きさせない工夫が必要となる。
既述のような単調でダレる要素があるからこそ、演出をわざと過剰にしてエンターテインメント性を強くしていると解釈した。


演出について

意図的な過剰演出シーン

①無辜ゲーム会場

ロースクールの敷地内にある洞窟で、蝋燭の火を灯して行われる無辜ゲーム。
「敷地内に洞窟??」「なんで蝋燭??」と思わざるを得ないのだけど、個人的にはこの演出はかなり良かったと感じている。

原作ではロースクール校舎内の模擬法廷で行われており、そのまま映像化するとそのあとの裁判のシーンとあまり変わり映えもなく、さらに単調な印象になってしまっていたと思う。
これを暗闇・蝋燭の火というある種不気味な要素を含んだ演出に変更したことで、映像としての視覚的な見応えが大幅に増している。

②清義の過去を暴露するビラが配られたシーン

生徒の一人が記事を音読したあと、自習室にいた生徒全員で「We Will Rock You」のイントロのリズムを刻む。
正直ここが一番ヒヤヒヤする。この演出で一気に冷めてしまい映画に入り込むのが無理になってしまう人が一定数いると思う。

ただ、過剰にしたかった理由は理解できる。
このシーンは映画の序盤であり、一番最初の「何か」が起きるシーン。起承転結の「起」にほかならない。
そして、「承」が無辜ゲーム、そのあと「転」を数回繰り返すイメージなのだけど、この「承」から「転・結」の間が単調で長いのだ。多分普通にやれば飽きてしまう。
だからこそ、ここで強く印象に残る演出を入れたかったのだと思っている。

③無辜ゲームでの藤方の振る舞い

戸塚純貴演じる、藤方賢二。
最初の無辜ゲームでスマホを割られたと主張する際、大声で責め立てる、目を見開く、叫ぶ、といったどう考えてもやりすぎな演技を見せている。

これも監督による「やりすぎなくらいでいい」との指示だったということなのだけれど、無辜ゲーム会場と同様、やはり後半の単調な進行とのコントラストを強くする目的があったのではと思う。

この演技で「戸塚くんの演技がやりすぎで冷めた」みたいな感想が出てくる気がしていて、実は「We Will Rock You」の次に心配なシーン。

あそこまでやる必要あったのかな?とは今も少し思ってはいるけれど、結局無辜ゲームに関わる重要な生徒も原作より削られているわけで、無辜ゲームをめぐる生徒間のいざこざを藤方というキャラクター一人に背負わせてしっかりと印象に残すためにも、必要だった演出なのだろうと理解している。

④最後の接見室での美鈴

これはもう言わずもがなで、あのシーンは映画を観た人全員の気持ちを持っていくシーンだった。
美鈴の真っ直ぐで狂気的なほどの愛を、あの演出でしっかり表現していた。原作からの変更や削ぎ落とした分の要素をあそこで全部回収したように思う。

何パターンか撮ったとのことだったけれど、序盤と最後を過剰なほどの演出でまとめたことで、中盤の単調な時間に表現しきれなかった心の揺れ動きや葛藤が全体として伝わるようになっていた。


劇中音楽

音楽がとにかくよかった!
サントラを聴きながら書きたいくらいなのだけどまだ手元にないので詳しく書けなくてくやしい!

特に好きなのは、一番最初の無辜ゲーム(藤方のスマホが割れた件)が始まるシーンでかかるテーマ。そのまま「無辜ゲーム」というタイトルらしい。
「これから何かが始まるよ」という感じのする、迷い込むような印象のあるメロディだ。
その他のシーンも、音楽によってかなり雰囲気作りがされている印象がつよく、ぜひ注目して聴いてみてほしい。

音楽の安川さんが、パンフレット内インタビューで以下のように話していた。

(深川監督から)「あまり寄り添わないでください」と言われました。つまり、登場人物に対して感情的に寄り添いすぎないものがいいということですね。

法律を扱う人たちって、感情と知識を天秤にかけているところがあると思うんです。
感情的になってしまったら、冷静に判断できなくなってしまう。とはいえ感情もなければいけない。

「法廷遊戯」公式パンフレット

たしかに、全体的にまっすぐに感情を表現している音楽ではなく、あくまで「その場の状況」を表現している印象があった。

上記インタビューでは「法律を扱う人は感情的になってはいけないから」あくまで俯瞰で捉えた音楽に、ということをお話しされていたが、個人的には感情をそのまま追いかける音楽にしなかったことで、より一層「登場人物の考えていることがわからなくなる」効果もあったと感じている。(監督のオーダーにはきっとそういう意図もあったんだろうと勝手に思っている)


予告とポスタービジュアル

本作は、原作にエンタメ要素を加えて映像作品として昇華しているが、それでも中心は重めの社会問題と人間ドラマであり、観終わったあとの感想としては決して「楽しいエンターテインメント」ではない。

映画は、宣伝時のポスタービジュアルとスポット(予告)でどう見せるかが非常に重要となる。2000円近くを払って観てみようと思わせないといけない。

宣伝でどう見せようとしていたかも映画鑑賞の面白いポイントなので、これらについても触れておきたい。


予告編のミスリード

スポットはだいたい15秒~1分30秒のものが作られるが、一般的に目にする機会が多くなるのは15秒のTVスポットと、1分の本予告かなと思う。

▼TV用 15秒スポット(10/26公開)

予告では限られた時間で本編の魅力を伝えることが難しいが故に、わざとある程度のミスリードをさせて興味を引く、というのもよくされる手段。

15秒スポットは最後に「荒れる法廷」っぽい描写を入れたことで、法廷の裁判モノという印象が強いだろうな。
実際には裁判員が気持ち悪くなって吐いただけだけど…。

▼本予告 1分(8/23公開)

本予告では、主に過剰演出箇所のカットを中心に集めることで「ゲーム」色がかなり強くなり、まるで「学生のお遊び裁判ゲームの中で本当の殺人が起きてしまった」というストーリーのように見える。

更に、15秒スポットにもある馨の殺害現場のシーン(上空から迫る映像)は本編にないカットだし、馨の伯母の「あの子は私の子供じゃない」のセリフだけ抜き出しているのもミスリードを誘う要素。
ミステリーエンタメ感が強まっている。

※本編完成前に予告をつくり本編で採用されなかったカットがそのまま残ること、もしくは本編にないカットをミスリード目的でわざと使うということもあるようです。

▼ファイナル予告 1分(10/12公開)

ファイナル予告が最も本編の印象に近く、ミスリードが少ない。このあとに出た超・予告も似たような印象だ。

▼超・予告 1分30秒(11/8公開)

「本予告」「ファイナル予告」「超・予告」いずれも、清義の声で「裁判長、面白いものをお見せします」というセリフで締められている。

だが、本編にはこんなセリフは存在しない。

「面白いものをお見せします」は、手相占いをしている沼田を証人として法廷に呼ぶときのセリフ。
そして「裁判長、」は、最後の公判で「裁判長、採否に迷われるなら、提示命令をかけてください」と話しかけたセリフの冒頭部分の切り抜きだ。

この2つのシーンを組み合わせて、まるで法廷で挑発的な面白いディベートが始まるように思わせ、このあとどうなるのか興味を引く効果がある。

それから、本編には使われていないのにベートーヴェンの「エリーゼのために」をモチーフにしたストリングスアレンジのBGMがテーマっぽく使用されている。
完成披露試写会のキャスト登場時は同じくベートーヴェンの「交響曲第九番」が使われていた。

これに意味があるのかは正直わからないけど…重い空気感やそれぞれの運命といった雰囲気を出すことには繋がっていると感じる。

総じて、予告編が与えた印象としては、やはり「法廷ミステリー」「ゲーム」の要素にフォーカスしたエンタメ映画だろうと思う。


ポスタービジュアルが与える印象

さらにポスタービジュアル。

全てを掌握し審判を下す馨は天秤を手にし、
黙秘を貫き罪を一人で背負う選択をした美鈴は口をつぐみ、
自らの正義に悩み周りに翻弄される清義は頭を抱えるように両手を構える。

美鈴が馨と清義の間にいるのも意味があるんだろうな。
彼女がこの立ち位置で口を閉ざすことでこの物語が成り立っているから。

そして両脇にいるのは正義の女神像。

彼女が手に持つ天秤は正邪を測る「正義」を、剣は「力」を象徴し、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、正義と力が法の両輪であることを表している。目隠しは彼女が前に立つ者の顔を見ないことを示し、法は貧富や権力の有無に関わらず、万人に等しく適用されるという「法の下の平等」の法理念を表す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%A5%9E

永瀬廉のファンとしてはこのポスター大大大好きでしかないのだけれど、これもかなり本編との印象の違いが大きいだろうなあと思う。
「死」のフォントやきらめく背景含めて、ポスタービジュアルでもかなり「ゲーム」「エンターテインメント」を前面に推し出している。


鑑賞前と鑑賞後のギャップについて

これらの宣伝を経て本作を鑑賞したら、「思ったより重い人間ドラマだったな」「想像よりトーンが落ち着いている映画だったな」と感じるだろう。
これが良かったのかどうかがいまいちわからない。

ひとつもったいないなと思うのは、「アイドル主演のエンタメ作品」という印象になりやすい宣伝をしてることで、作品の本来の主軸である人間ドラマが好きな人が観てくれないかも、というところだ。

ここがファンの頑張りどころかもしれない。
ただのエンタメじゃない、余白があり考えさせられる重みのある話だという魅力の部分が、レビューや口コミで多くの人に届いていったらいいなと思う。

中編はここまで。
次でようやくキャストについて触れられそう…!

(追記)▼書きました!後編です。

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