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『やさしさ』とは『思いやり』

『やさしい』ってなんだろうな?

『やさしさ』ってなんだろうな?

そんなことを考えることが習慣になってから、何年経過しただろうか。抽象的な言葉ゆえに、人それぞれ解釈や定義が異なるが、『あの人は優しい』『あの言葉にはやさしさがある』という『あの◎◎』はどこか共通項があるように感じるのだ。

僕のなかで、これが『やさしさ』である。と言い切れるまでの定義があるわではないのだが、たぶんこれなのでは?というモノを一度文章に認めておこうと思う。

僕の思う『やさしさ』とは『思いやり』とほぼ同義だ。

『思いやり』とは『思い遣り』と記述し、語源は、

「思い」を「遣る(やる)」「遣る」はそこへ行かせるとか、あげるとか、そういう意味ですから、「思い(気配りなど)」を「相手に向ける」こと。

である。その上で、思い遣りに必要な要素はなにかを考えてみた。

1.見返りを求めない

上記の語源にあるように、『思い』を相手に『遣る(届ける/伝える)』ことだ。故に、届けた/伝えた時点で本来の役割は完了し、以降の見返りを期待せず、あくまで一方通行なものである。

2.相手の価値観を考慮する

自分と他人は別人であることを前提として、相手の価値観を尊重し、自分の思いを遣ることが大事だ。それを無視してしまうと、相手に不快感を与えたり、自己満足で終わることになってしまうため、結果的に思い遣ることが出来ない。

3.長期スパンの関係性を前提として相手の事を考える

長期スパンで相手との関係性を考えたときに、今はわからないかもしれないけど、ゆくゆくは相手にとって必要な事を伝えることが大事な場合がある。耳障りが良くないこと(厳しいこと)も、長期スパンで考えれば相手のためになる、と考えて思い遣ることも大切。

4.見守るという選択もある

どんなときも手を差し伸べたりすることが思い遣りになるとは限らず、相手の自力を信じ、見守ることも思い遣りになることがある。それには、お互いの信頼関係が必要だが、勇気をもって見守る選択肢を選ぶことも時には大事。

5.お互いのためである

相手のためを思いすぎで、我慢して、自分を犠牲にして行う行為は、思い遣りではない。逆に、自分の気持ちだけを優先した思い遣りも、相手にとっては余計なお節介となる。まずは、自分に対して自分が思い遣りをもち、それを相手にも届けることが大切である。

上記が満たされている行動や発言を目にした場合、『この人はやさしい人だな』と僕は感じるのだと思う。

と、こんなことを書いてある僕自身は、自分自身に対しての『思い遣り』に欠けているので、まずはそれを育まないとな、と思うのだ。

『思い遣り』で『やさしい人』になれると良いな。

都内のカフェにて、これを記述する。

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