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自分の中にあった「母を守りたい」という気持ちに気付かされた (百花/川村元気)

いい点数を取ったテストをお母さんに見せたら褒めてもらえた。お母さんが喜んでる。
ピアノがうまく弾けない。お母さんがあまり嬉しくない顔をしている。もっと頑張らなきゃ。

子供の頃、おそらく皆が持っているような感情を、私も当たり前に持っていて、お母さんに褒めてもらえるようにいつも頑張っていた。

この感情の根底にあるのは、お母さんに怒られなくたい、嫌われたくないのだとこれまで思っていた。しかし、今回この本を読んで、それだけではないことに気付かされた。

息子の泉に野球を見せたくて、自転車に泉を乗せて球場へ走り出した母の百合子。しかし、着いてみると駐輪場が見つからず中へ入れない。息子を乗せたままぐるぐると走り回る母の背中が、汗で濡れていく様子をじっと見つめる泉。試合の始まる音が聞こえた。
(単行本 百花 p55〜56 本文の内容を要約)

このシーンを読んで、私はすごく胸が苦しくなった。
お母さんがこんなに頑張ってるのに、どうして苦しめるの、お母さんを傷つけないで。私の中から、母を傷つけたくないという感情が溢れ出てくるのを感じた。


子供の頃、家族ぐるみで付き合いのある母の学生時代からの友人の家に遊びにいくことがあった。

みんなでご飯を食べて、大人は大人同士、子供は子供同士で気ままな時間を過ごす。小学生だった私は、歳の近いお兄さんやお姉さんとゲーム。親たちは晩酌。
夜も遅くなってきて、そろそろ布団を敷こうかと準備をしていた時、母と友人がふざけてじゃれあって、母が友人にくすぐられていた。ただの遊びで、子供同士と同じようなもの。

でも私は、くすぐられて「やめてくれ〜!」と笑い転げている母を見て、自分でもびっくりするくらい胸が苦しくなっていた。
自分の中で何か熱い感情が込み上げてきて、もうほとんど泣き出しそうな気持ちで「やめて!!お母さんをいじめないで!!」と大きく叫んだのを今でもよく覚えている。その時の感情も一緒に。

たぶんあの時の私は、母を守らなければ、と思ったのだと思う。
自分がくすぐられたら、とにかく体がむず痒くって、息がうまくできなくて、やめて欲しいけどそれもうまく伝えられなくて、体だけでとにかく抵抗する。自分の中が不安な気持ちでいっぱいになる。
それを今、目の前で母がやられている。いやだ。お母さんに悲しんでほしくない。


汗の滲んでいく百合子の背中を泉が見ていた時、読みながら私は当時の気持ちを思い出していた。

私にとって母は、絶対に傷ついて欲しくない存在なのだ。
母に嫌われたくない、もちろんその通り。
でもそのさらに深いところには、母の悲しむ顔を見たくない。喜ばせたくて、頑張る。
その感情は私と母の二人の間だけに生まれるものなのだと思っていた。でもそうではなかった。母を悲しませる、と私が感じるものに対しても感じていた。
自分が母を悲しませたくない。母を悲しませるものから遠ざけたい。母を守りたい。
そんな気持ちが子供の頃から自分の中にあったことに初めて気付かされた。

川村元気さんの本は初めて読んだのですが、複雑な感情が読んでいるこちらも同じように体感できる、素敵な表現がたくさんありました。
自分が日常で感じていたこの気持ちって、こういう言葉で表現できるのか、という気付きがたくさんあり、それを自分のものにしようとして、気がついたら本が付箋でいっぱいになっていました。

物語はずっと温かいのに、なぜかどこか胸が苦しい。たぶんそれは、登場人物たちの気持ちに、どこか自分にも思い当たる感情があるから。
歳をとることの意味や、先の未来を考えさせられる一冊。


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