子ども・大人・まちが互いに育ちあう「いふくまち保育園」
はじまりは、公民館みたいな写真館から。
にぎやかな幹線道路から一歩入った、街の真ん中の小さな公園。入口には「古小烏(ふるこがらす)こうえん」と手書きされた、かわいい看板がかかり、幼い子どもたちが裸足ではしゃいでいます。お手製のおもちゃや遊具、砂場などで遊ぶ子どもたちのようすはどこか懐かしく、なんだか別世界に入り込んだかのよう。
この古小烏公園に隣接して佇むのが、いふくまち保育園です。
「私たちの保育園は、公園を管理するところから始まったんです」と語るのは、園長の酒井咲帆さん。いったい、どういうことなのでしょう?物語は “みんなに開かれた居場所づくり”の話から始まります。
酒井さんは、いふくまち保育園から歩いて10分ほどのところにある「ALBUS(アルバス)」という写真屋さんの代表でもあります。学生の頃に写真を学び、フォトグラファーとして活動していた酒井さん。多くの写真がデジタル化していく時代の流れの中、2009年にフィルム現像専門店からスタートさせたのがALBUSでした。
「現像って、フィルムの色を出せば終わりというものではないんです。理想の色を出すには、お客さまとのやり取りが必要で、信頼されることも大切。現像を通して、土地の人々とつながっていくようになりました。」
地域との関係を大事にしながら、いまではスタジオ撮影や写真スクール、ワークショップなども手がけ、つながりを広げているALBUS。その建物には、親しいオーナーが経営するカフェ「trene(トレネ)」が同居しています。
「食事があると、香りが生まれ、いい空気ができていきます。この温かな空気は、写真屋だけではつくれなかったでしょう。なんとなくスタジオが公民館みたいに“開かれた場”になればと思ったんですよね。」
まちの写真屋さんが、地域の場づくりも大切にしている。その一面だけを切り取ると、珍しいことのように思われるかもしれません。ただ、酒井さんのお話を伺っていると、ひとつの貫かれた姿勢があるように感じます。それは、温かな場をつくることで、人がきらりと光る瞬間を待っておられるのではないか、ということ。フォトグラファーが空気をととのえ、被写体からにじみ出るものをとらえていく作業と少し似ている気がするのです。
そんな酒井さんは、長年、保育園を作りたいという思いを温めてもいました。ALBUSをオープンする前の3年間、九州大学に所属して子どもの居場所づくりプロジェクトに携わっておられたことも大きなきっかけだったでしょう。やがて、夢の実現のために酒井さんは動きはじめます。
「子どものことを考えるなら、子どもだけに特化するのではなく、大人と子どもが集える場が必要だと、ずっと思ってきました。みんながまぜこぜになることが大切で、それが“開かれている”ことだ、と。私がつくりたかったのは、そういう保育園です。」
保育園をどこに開設したらよいか、その手続きはどうするのか、まだふわふわとしていたところもあったけれど「ALBUSだって、私ひとりではなく、みんなが集まってできています。周りの力を借りながら長年やってこられたのだから、きっと保育園もできるだろうと思って。」と、みんなと自分を信じ、前へ進んでいった酒井さん。
ある日、導かれるように古小烏公園を見つけ出します。
笑顔も、うれしいご縁も、開かれた関係から生まれる。
当初、古小烏公園は草が生い茂って、うっそうとしていました。遊具などのペンキは剥がれぎみで、のんびり憩える場ではなかったそうです。
そんな公園をまちに開かれた場にしようと、酒井さんは仲間たちと力をあわせてハサミで草刈りしていきました。滑り台やブランコ、ベンチ上の屋根のペンキはアーティストの協力を得てカラフルに塗り替え、公園全体を明るい雰囲気に。区役所の許可のもと、2017年には公園愛護会も立ち上げました。
「パブリックスペースは、何か決まりごとがあるのではないかと思い込んで、誰も手をつけなかったりするんですけど、みんなで意見を出しあっていけば、変えていけるんですよ。」
公園は、もともと足元をコンクリートで固められていたのですが、土にした方が良いのではないかということで、地域の方々を集めたミーティングを、公園内で開催。初めこそ反対意見は出たものの、何回か顔をあわせて話すうちに「ラジオ体操で転んでも、土なら痛くないね」「コンクリートをはがすなら、芝生を植えたいな」と前向きな意見が出るようになったのだとか。その後、コンクリートをはがす補助金も受けられることが決まり、古小烏公園は土がある公園へと生まれ変わります。
さて、公園の隣にはスペイン人オーナーが暮らす3階建ての家がありました。酒井さんが公園の愛護活動を進めていたところ、なんとこの物件を貸してもらえることが決まったのです。同時に申請していた保育園開園の許可も下り、いよいよ開園準備に向けて仲間を増やしていきます。公園に隣接する、子どもたちにとって最高の環境を得て、いふくまち保育園は企業主導型保育園として2018年3月に開園されました。
みんなが主役。だから、みんながキモチいい。
まちに開かれた公園をお隣にもつ いふくまち保育園は、保護者や地域の大人にも開かれており、関わる人みんなが主役。たとえば公園バザーなら、親たちが自由に企画をもちよって、ああしよう、こうしよう、と話しあいながら協力して進めていきます。
また、オルタナティブ(第三者)を意味する「おるたなさん」という大人たちのサポートがあるのも、この保育園ならでは。「おるたなさん」とは、地域住民をはじめとする職業や得意分野もさまざまな大人たち。年齢を問わず幅広い世代が揃い、子どもたちの生きるお手本になっています。一方で、「おるたなさん」自身も、子どもとのふれあいや遊びを通して、いっしょに考える時間をもつことができるのだとか。
保育の進めかたも、主役となるのは保育士自身。一人ひとりができることを、自分にできる時間で、それぞれ持ち寄るようなスタイルで運営しているといいます。
「業務については、なぜそれが大事なのかを考え、自主的に取り組んでいただいています。たとえば『児童表』は、名称が適切ではないかもしれないということで『個人表』という名前に変え、本当に必要な情報だけを記載していきましょうと話しあいました。月ごとの計画は、自由に意見を出して練り上げるマインドマップ形式で作成しています。最初からフレームが決まっていると、業務に疑問がわいても改善の意見があげられず、自由がなくなって意欲も薄れますよね。だから、この保育園では逆のアプローチをとるようにしています。
こうした進め方は、子どもたちにも同じように取り組んでもらっています。1日1~2回『サークルタイム』という時間を設け、車座になって子どもたち同士で対話をします。子どもたちの中にあるふわふわとした思いを集めて、みんなで考え『こうしたらいいかも』をカタチにしていくんです。」
子どもも、親も、保育士も、地域の大人も、みんなが主役。だから、ごちゃまぜになって多様な視点で対話ができる。もし何か問題が起きても、互いに状況を理解しあって助けあえる。“開かれている”からこその優しい循環が、保育園を中心に生まれています。
暮らしを深めることで「生きるチカラ」が身についていく。
幼い子どもたちは、日々、目覚ましい速さで成長していきます。いふくまち保育園の子どもたちも、4~5歳になると活動量がぐんと増え、小さな園では手狭になってきました。
しかし、ある時「うちを保育園に、どうぞ」というお話が舞い込んできます。それは町内会長さんが暮らす2階建てのビルの1階にある空きテナント。賃料は予算をオーバーしていましたが、町内会長さんの多大なご厚意で支払い可能な金額まで下げていただけたそうです。こうして2021年3月にできたのが、ごしょがだに保育園です。
ごしょがだに保育園をつくる過程では、そのプロセスを子どもたちにも体験させていった酒井さん。
「子どもたちは、配管や左官工事の人たちの手仕事に魅了され、次第に仲良くなっていきました。また、室内のシンボルツリーを選ぶ際には、子どもたちを連れて糸島へ行き、里山保護に取り組むNPO法人いとなみに伺ったんです。伐採は、生木のまま伐り倒すと、水分を含んだ重たい樹木が勢いよく倒れて危険なのですが、いとなみでは『皮むき間伐』という方法をとっておられて樹皮を剥いで1~2年間乾燥させ、軽くなってから伐り倒すんですね。その皮むき間伐を子どもと学び、一緒にやってみました。」
大人たちの世界に子どもたちを溶け込ませ、学びを豊かにしていく。この園らしい保育のありかたは、日常の活動の中にも盛り込まれています。
子どもたちの間で、お店屋さんごっこが流行りはじめたときは、近所のお店にお出かけして、みんなでお買い物を。その後、古小烏公園でお店をやろうという提案が子どもたちから出てきたため、大人たちも参加する本格的なバザーで出店をしたそうです。販売用のリースやスワッグを作り、お店の看板も制作してリアルなお店屋さんを開いた子どもたち。7,500円の売上を出し、そのお金は公園の運営に役立てられることになりました。子どもたちはお店を通して、お金の価値や数の概念を学んだだけでなく、社会の一員として力を発揮したことになるわけです。
また古小烏公園では、砂場をプールにして滑り台を活かしたウォータースライダーをやったり、火を使ってかまどでご飯を炊いたりもするのですが(*注)、自分たちで使った公園は自分たちできれいにしようと、公園の清掃活動は子どもたちも時々お手伝い。さらに公園にあるコンポストでの土づくりは子どもたちと保育士が力をあわせて取り組んでいます。
(*注:公園内行為許可申請書を提出したうえで行っておられます。)
「保育って、暮らしそのものだと思うんです。暮らしは深めようと思えば、いかようにも深められる。それに『生きるチカラ』は、暮らしの中で身につくものなんですよね。私たちは暮らしの中にある大切なものを、もう一度見つめなおしながら、日々の保育に活かしています。」
他にも園の活動内容は、暮らしに結びつくものであふれています。たとえば、セイタカアワダチソウを乾燥させて入浴剤がつくれること、ムクロジの実がよく泡立ち、石ケン代わりになることなど、大人の筆者ですら知らない暮らしの知恵を、子どもたちは遊びを通して学んでいて、なんだかうらやましい気持ちになりました。
子どもたちが大人たちとともに暮らしに向きあい、一人ひとりが自主性を発揮しながら、生きるチカラを伸ばせる環境は理想的です。でも、どうしてこのような保育が実現できているのでしょうか。
「大きな保育園なら数十人の子どもたちを先生一人で見なければならず、そういう環境では、園児の命を守るために規律や約束事が必要になってしまうことがあると思います。もちろん、そこから子どもたちが学ぶこともあって、よい面はあるでしょう。
一方、私たちの園は規模が小さく、子どもたち約30人に対してスタッフが15人ほどいます。だから、子どもたちの主体性が活かせるように、暮らしをつくっていきたいと考えています。企業主導型保育園ということで内閣府からの補助があり、運営のための基盤がちゃんとある。そのことに感謝しながら、これからも子どもたちとともに挑戦していきたいんです。」
「理想を追求して挑戦する」と書くと、険しいもののように思えますが、酒井さんがまとう空気はいつもふんわりして穏やかです。「まぜこぜになって、みんなでやろう」という酒井さんらしい姿勢が、厳しそうな道のりさえもワクワクできるものにしているのかもしれません。
こうした大人が身近にいたら、子どもたちも、きっと夢をもてるだろう。今回の取材は、筆者自身にとっても希望や勇気がわくものとなりました。