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史跡・遺跡、神社仏閣巡り

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先祖に関連する史跡・遺跡や神社仏閣を巡る記事をまとめたマガジンです。 更新頻度は1-2回/月程度。 主に愛知県の西三河が多くなります。 歴史や歴史的建造物がお好きな方に。
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#徳川家康

【仏閣巡り】家康公が創建した、浄土宗・随念寺(愛知県岡崎市)

はじめに昨年に東海道・岡崎城下二十七曲りを歩いた。 それをとある御仁と話していた際に、「随念寺には行ったか?」と聞かれた。 別の知人からは「随念寺は特にオススメする」とも聞いた。 岡崎城下二十七曲りを歩いた際には私の知識が足りず失念したが、先日、家康公とも縁が深い寺院に参拝してきた。 随念寺宗派は浄土宗。 正式名称は『佛現山善徳院 随念寺』。 概要は以下のとおりだ。 東海道から150m強ほど北に位置する。 東海道・岡崎城下二十七曲りを歩いた際の記事が以下のとおりだ

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑫魚町~板屋町 寄り道~徳川家康公・氏神 新田白山神社

はじめに今回・次回の東海道を辿る旅路では迷っている旅人を散見したため、史跡や長閑な風景だけでなく「ここの道を行ってください」という案内も多くする。 実際に私が東海道・岡崎二十七曲りを辿っていた際に何組かの道に迷った旅人に声掛けした経緯がある。 また、国道1号線を横断しなければならないため、旧東海道とは道が大幅にズレていると思われる。その点はご理解をいただけると幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路と寄り道旅は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおり

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑪~寄り道~松平清康公のお墓がある大林寺

はじめに前回の「東海道・岡崎宿二十七曲り」の旅の終点から東海道を西に歩むのを止め、逆方向に少々足を延ばす。 少し歩みを進めると家康公・祖父である松平清康公のお墓がある大林寺(だいりんじ)に着く。 今回は私たちの先祖・重辰が仕えた清康公のお墓参りをすべく寄り道する。 今回の旅の概要家康公の祖父・清康公の略歴を非常に丁寧、且つ、きれいにまとめた記事があったため、そちらを参考いただきたい。 私も概要をまとめた後、詳細を追って調べたいと思う。 松平清康公について 前回までの

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑩材木町~魚町 寄り道~松平広忠公と所縁ある白山神社

はじめに岡崎城と近距離ということもあり、松平家と所縁のある神社仏閣が多いエリアを歩いている。今回も東海道沿いに家康公の父君・松平広忠公と所縁がある「白山神社」に寄った。 「あのあたりに神社がある」ということは何となく知ってはいたが、由緒までは全く知らず。私の歴史を辿る旅も情報発信の一助になれば幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおりにお示しする。 今回の旅の始点は「旅の目印”ぬ”」350m道なりに進むと「旅の

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑨~寄り道~松平広忠公御廟所がある松應寺

はじめに「今月(1月)中に東海道・岡崎二十七曲りの記事を完走させます!(キリッ」と書き放ち、結局、完走していない。 考えがまとまればネコチャーンの部屋『否定/誹謗中傷と批判』という記事を書きたいと思う。というのも、私は体調不良ではなく否定や理不尽が重なり、少し心が折れている。 昨年末に「こんなもの(ネコチャーンのアカウント/記事)、誰も見ない」と近しい親族から言い放たれたが、悪気もなく放つ言葉で簡単に人が傷つき気力を失う。そういった危険性を今だからこそ書きたいのだ。 私は

【仏閣巡り】安祥松平家・家康公・代々岡崎城主と縁のある善立寺と神社仏閣が抱える悩み

岡崎市・善立寺昨年末、12月26日に岡崎市・善立寺さんにお伺いしてきた。 善立寺さんの立地や詳細は下記を参照いただけると幸いだ。 昨年末、12月26日(火)に岡崎市に在る善立寺さんの宝物庫解放がありお伺いしてきた。 不調や仕事の都合でご紹介が遅くなり大変に申し訳なく思っている。 12月26日(火)も良い天気だった。 ご住職代理と30分ほどお話をさせていただき、家康公が使用したとされる椀を拝見してきた。 ※ネット掲載のご許可を頂戴したため、掲載。ご厚意による開示のため、

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く④ 両町~伝馬町(寄り道:祐傳寺、徳王稲荷、三河別院、円頓寺)

はじめに前々回の記事で、『岡崎二十七曲り』の「旅の目印」”ろ”まで進んだ。 今回はその先へと足を進める。 ”ろ”の目印までの記事は以下を参照いただけると幸いだ。 今回の旅の始点・終点は以下のとおり。 東海道・岡崎宿の宿場町まで歩みを進める。 今回の旅は「旅の目印」”ろ”から始める前回までの「旅の目印」に従って道なりに西に向かう。Googleマップでは近隣の道が『東海道』となっているが、ここは「旅の目印」を優先する。 江戸時代初期には「旅の目印」”ろ”付近以西は岡崎城

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑤~寄り道~ 松平家と所縁ある「善立寺」、三河一向一揆で難を受けた「専福寺」

はじめに今回は前回の「東海道・岡崎二十七曲りを歩く旅の終点」から少し寄り道をする。 松平家・家康公、三河一向一揆に深く関与する寺院の参拝だ。 お付き合いをいただけると有難い。 前回の『岡崎二十七曲りを歩く旅』は下記を参照いただけると幸いだ。 今回の寄り道 お願い ひとつお願いがある。 私は神社仏閣で写真を撮っているが御祭神・御本尊の写真は恐れ多くカメラを向けることはない。目に焼き付けるのみ。写真は社までだ。 そもそも写真不可の場では撮ることもない。 しかし、今回ご