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【ショート小説】蝋燭一本立てた、また立てた10号

裏の御堂で狐がコン。天道様の辻道で誰が姫子を隠したか。

生い茂った木々に隠されて、砂利の一粒一粒がひんやりと冷気を帯びておりました。玲子は両手で顔を隠して神社の境内に差し掛かる石段に座りこんだまま四つばかり数を数え終えておりました。鼻につく金木犀の香りが秋の空気の中で一段とその色を濃くして、根元に自生していた彼岸花が風に揺られては可愛らしくその首を振っている様に思えます。
五つ
砂利を蹴り飛ばす音があちらこちらから聞こえ、その中にはくすくすと笑みを含んだ声さえ聞こえてきます。あぁあれはヤエちゃんだなぁ。幼馴染のヤエは、四つになる妹の手を引き、手洗い場付近から反対にある金木犀へと移ったように思えました。両手で隠した視界はあいも変わらず、真っ暗闇で只午後の香りを仄かに嗅ぐわせているだけでした。
六つ
ひゅうと一陣の風が背中を撫でると、神社へ来る道中にほんのりとかいた汗が冷やされて、すうっと体温が下がっていくのが分かります。風は時折り着物の隅から入り込んでは、玲子を通り過ぎて、その体温を奪っていきました。玲子は大きな風は嫌いでした。大きく強い風はあっという間に全てを吹き飛ばし、金木犀の香りすら感じられる暇も与えないからです。薄い紅色の着物の裾を気にするように一度だけ右手を折り曲げた膝の裏にあてました。その時、ざざっと砂利を蹴る大きな音が一つ聞こえました。
玲子は咄嗟に右手を顔に戻し
七つ
先程よりも強く短く数を数えます。顔を出した事を咎められないかと思いましたが、よくよく考えてみると、自分は賽銭箱に正面を向いて座っているので、皆んなからは背中しか見えない事を思い出しました。大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせていると
「見てはならん。」
と聴き慣れない低い声が辺りを包み、あれほどに騒がしく揺れていた木々はぴたりと音を止めました。玲子は背筋が、凍りついた何かになぞられた感覚に陥り全身が麻痺したかのように、動けなくなりました。その声は遊んでいたどの子の物でも無く、籠に捕らえた獲物を逃がさんとする異質な感覚を携えて
「打ち数えよ。」
と続けます。耳元とも遥か遠くともわからない声の主に促されるまま
八つ
玲子の声は境内に響いたかと思うと反響のように戻っては、玲子にぶつかって消えて行きました。砂利を蹴る音は一切鳴らず、代わりにピシャリと水面を歩くような音が波紋の如く座っている足元より伝わって、僅かに体内を徘徊した後に、出口を見つけたように脳天から飛び出して行きました。
九つ
次第に玲子は暗闇の水の中にいる感覚になり、ひんやりとした境内の空気と自分の温度が近づいて行くように思えました。両方の足元からは、小さく夥しい数の波紋が立ち各々ぶつかっては食い合い、大きく大きくなって玲子の全身を包み込んでいきます。不思議な事に玲子の体は、透き通った波紋の籠から次第にその色と輪郭をぼやかし始めております。

ふと、両手で隠した瞼に秋の柔らかくひんやりとした光が差し込んだ気がしました。それはまるで、暗闇をくぐり抜けてきた朝日のような優しさと温度をもち、全身を照らして件の波紋の籠を溶かして行くようでした。ぱっと目の前の景色に色が付くような感覚を覚えると、先程まで幻のように消えかけていた玲子の輪郭ははっきりとその縁取りを風景の中に刻まれます。
もういいかい
大きな風がびゅうと吹いて、声を攫ってはそのままどこか遠くへ走り去って行きました。辺りはしんと静まり返ったまま、無言の両手で玲子を隠しているようです。果たして、先程の問いかけが皆んなに聞こえていないかも知れないと思うと、玲子は再び肺にひんやりとした空気を入れようと身体に力を入れた刹那
もういいよ
聞き覚えのあるような、無数の子供の声が玲子の眼前に広がる暗闇に木霊を残して、溶けて行きました。皆んなの声かな。ほんの一瞬、玲子は考えましたが、何よりも今は早く目を開けて後ろを振り向いて安堵したい気持ちにかられ、両手を顔から離して、立ち上がると同時に後ろを振り返ります。
ふっ
どこかで誰かが、息を吹きかけるように、びゅうと一陣の風が吹き抜けて、神社の境内を二周ほどぐるぐると回って、どこかへ消えて行きます。秋の始まりを告げる金木犀の香りと僅かばかりひんやりとした空気が広がる境内には、只夕焼けに照らされた砂利だけが広がって、そこに子供らの姿はひとつも残されてはおりませんでした。境内の隅には、打ち捨てられた道祖神がかつて祀られていた残り香を漂わせるように、欠けたその姿を晒しています。その脇には、やはりどこから来たのかもわからない彼岸の花が、秋の風に揺られながら可愛らしくその朱色を振っておりました。

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