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【ショート小説】偶像4号

古道具屋の飾りガラスを覗くと、祖父の家にあった様な大きな壁時計が悠然と振り子を左右に揺らしているのが見えた。幾度となく眺めた振り子の軌跡は、春の柔らかな光に照らされ、反動の絶頂に登る度にきらきらと光を放っている。(今日こそは出てくるなよ)そう考えると、この木漏れ日の如き穏やかな心持ちに一欠片の染みを落とした気がして、嫌気がさした。その時、
「お客さん、よかったら中も見てってね」
ガラスの隣にある店の入り口から、首だけを出した店主が胡散臭そうな薄ら笑いを浮かべ、丸眼鏡越しにこちらを観察していた。どうにもこの店主は苦手であった。今日こそは何か理由を繕って断ることも出来るのだが、咄嗟に思い浮かぶ妙案も無く、いつもの様に店内へ足を運んだ。

店内はこじんまりとして、至る所に商品が放置されていた。赤いドレスを纏った女の子の人形、漆に金の菊を施した盆、百合の花弁を象った蓄音器、各々が華やかな色を秘めている様だが、積もった埃が、それら全てをゆっくりと殺していた。動かずに全ての品を見る事が出来るのは良いが、自分もまた、店主から観察されているのが居心地を悪くさせていた。勘定台の横で、膝丈の椅子に腰を下ろし肩ほどまでばらばらと伸ばした白髪をかき分けながら、銀色の丸眼鏡をしっかりとこちらへ向けているのが視界の外側からもわかった。
「いつも来てくれるけど、何か気になる物でもあるかい」
ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべる店主を視界に入れる事もせずに
「ええ、まぁ」
と、気のない返事を返した。へぇと反射的に店主が返すと、市松模様の座布団が敷かれた椅子を、目の前に差し出し
「まぁ、おすわんなさい」
と促した。余計なことを、座って仕舞えば帰れなくなる。そう思うと、お節介な店主に怒りが込み上げてきた。市松模様の座布団は思いの外弾力を持ち、自分の腰を程よく支えていた。

「あんた、何で来なすった」
自分は見ず知らずの他人に身の上話をするほど容易い人間でなければ、お前と仲良くする気もないと思った。
「白壁町から、歩いてねぇ。あぁあすこは良い所だ。何せ人が少ない。魚も酒も美味い店があるし、古書を扱っている店もあるしな」
店主は白髪の間に手の平を差し込んで、ぼりぼりと頭を掻きむしっては、しきりに眼鏡の位置を直している。あぁなんて虫唾の走る仕草であろうか。曲がった背骨をほんの少し伸ばして姿勢を正した。勘定台の奥がちらりと覗き、そこには一匹の茶虎毛の猫が前脚を丁寧に畳んで、うつらうつらとしているのが見えた。春の陽気に取り憑かれた様にゆっくりとその瞳は閉じていく。姿勢はそのままである。「だが、違う」店主は、低く冷たい声でそう言うと銀色の眼鏡の縁は鈍い光をこちらへ向けていた。「手段じゃぁなく目的だよ、聞いているのは」痩せこけているはずの店主の顔は、罪人を裁く閻魔の如く赤く力み、凄みを含んだ汗は眼に見えず蒸発して、立ち込める炎の様に店主を覆っていた。急に変わった空気に、眼前に蛇を臨む蛙の心持ちになり、背筋を舐める様に寒気が走った。目的、目的、目的、何かを探しに、いやこれと言って必要な物などありはしない。目的とは、自分がここに来た目的とは何か。確かに、もう何度かここに訪れている。一体自分は、何の為に。ぐるぐると目の前は回りだし、脳味噌は茶碗蒸しの様な熱を帯びていた。こめかみから顎を伝わって、ぼたぼたと大粒の汗が太ももへ落ちていた。

ふと、にゃあと猫の鳴き声が聞こえた。
奥でうたた寝をしていた茶虎猫が、百合を模した蓄音器にじゃれついて遊んでいた。
「私はー死ぬ為にここへ」

店主は再び、白髪に手をかき入れ、熱気の残り香をふぅと吐き出すと自分から目を逸らした。帯びた物は落ちて、いつものいけすかない爺に戻っていた。
「何度目かね」
「4度目です」
意識とは別に言葉が出た。確かに4度目であった。夕立ちに打たれた様な太ももは乾き、代わりに春の如き温度を携えた液体が再び腿へ落ちていた。
「どうしても行くのかね」
店主は眼鏡を外すと、裾を少し引っ張り曇り一つも無いはずのレンズを擦った。自分は無言のまま、立ち上がり眼前の店主に深々と頭を下げた。眼鏡を外した店主の顔は、いつもより柔和な暖かさを持っている様に見えた。店主は座したまま、ほんの少し目を細めると、右手にある女の子の人形を手に取り、優しい手付きでパッパッと2度、埃を叩き自分に差し出した。
「持っていきなさい。君には必要な物だ。」
少女の頬には僅かばかり、桃色の薄化粧が施されていた。弾力を携えぷっくりとしたその頬に、温度を伝える様に涙が垂れ込むと、そこだけが水々しく命を宿したようであった。
「すまなかった。」
人形を胸に引き寄せ、壊れないよう優しく力を込めて抱きしめた。

店の入り口を出ると、向かって右手、やってきた方向とは逆に足を向けた。道に差し込む夕日が自分と少女の人形を茶色く染めた。真後ろにあった飾りガラスの壁時計が、その色を変える事もなく、ボーンボーンと悠然に時刻を打ち鳴らしていた。

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