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【ショート小説】政治家とギャングの違い

まだ夏の残り香の漂う空気に混じった朝日が、校舎を浮き上がらせていた。職員室を出て、薄く埃の舞う廊下を曲がる。ふと、大窓から差し込む朝日が目の前の埃をキラキラと輝かせているのが見えて、自分は塞ぎ込んでいた気持ちに更に大きな蓋がされた様な気がした。9月1日、火曜。今日は長かった夏休みも終わり、真っ黒に日焼けした生徒達が一斉に登校しだす二学期の始まり。
夢の残像の残る脳を振りながら歩いていると自分の教室の扉に手を掛けた。

一年2組の教室には既に生徒達が席に着き、各々隣の子と話をしたり膝に手を置いたまま前を見続けていたりと、個性的な態度で自分を待っていた。おはようございます。自分は出席簿を窓際の教壇に置いて一言だけそう言う。まばらな返事が不揃いに返ってくる。いつも通りだ。出席をとります。そう言って出席簿を開くと、教室の入口が勢いよく開いた。そこには、襟元をぐちゃぐちゃにしたままの女の子が立っていた。息を上げ、薄っすらと額に汗を輝かせながら教室の中を一瞥すると、後ろの方にある自分の席へ小走りに向かって座った。
「山下さん。遅刻ですよ。」
自分はそう言うと、出席簿に再び目を落とした。
女の子は席に着いたまま、
「そういった認識はしています。ですので、これまで以上に対策を強化したいと思っております。」
と言うとランドセルの中身を机に入れている。自分は筆入れからチェック用の赤ペンを探しながら聞いた。
「対策を強化とおっしゃいましたが具体的にはどのような。」
「ですので、継続して行なっております前日9時までの就寝と、目覚ましのアラームの徹底ですね。これを遵守していきたいと思います。」
自分は彼女の出席簿に丸をつけて横に「遅」と書いた。
欠席の一名を除いて、クラス全員の点呼を済ませると中央の教壇へ移り黒板に大きく「なつのとも↓」「どくしょかんそうぶん↓」「えにっき↓」と書き出し、各々矢印の下に箱を並べる。
「はい、それじゃあ出席番号順に並んで、この箱の中に宿題を置いて下さい。」
そう言って、再び窓際の机に移動した。生徒達は思い思いにふざけ合いながら、それでも順序よく列を成して、仕上げた宿題を提出している。自分は、それを見ながら保護者へ持ち帰らせる来週の時間割を作成していた。ふと、生徒達から騒めきと戸惑いの空気が沸き起こっている事がわかった。顔を上げると順調に成形されていた列が中盤以降、全く出来上がっておらず、一人の男の子が前の席の友達に、お前の番だぞ。と囃し立てられている。男の子はモゴモゴと何かを言いながら、一向に席を立とうとはしない。そのうち、クラスの視線はほとんどその男の子に向かい、不穏な空気が教室内に満ちていた。自分は、その男の子に歩み寄ると、どうしたと声をかけた。
「・・・ました。」
自分は大人である。何となくは気づいているが、それでも聞き取れない程か細い声であった。
「ん?どうした?」
「宿題、忘れました。」
何とか聞き取れる声で男の子はそう言うと、こちらに目を合わせようとはしない。そのまま続けて
「やっていない訳ではなく今日忘れてしまっただけなんです。これは、事実です。事実確認が必要であれば、紛れも無い事実です。当事者である私が申し上げているのですから。」
自分は目頭を押さえながら
「事実確認する場合、関係各所の証言を基に判断しますが、家の人の確認も取って良いという事でしょうか?」
そう応える。男の子は、こめかみから一筋の汗を垂らすと
「ですので、当人である私が忘れただけであるとお答えしております。母への確認は必要ないと考えております。」
「そうか、じゃあ明日には持ってきてね。」
自分は彼の次の出席番号の子に、列の後ろに並ぶように促すと、そのまま机に戻った。列は淀みなく続いて、教壇の箱は全て一杯になっていた。
中央の教壇に上り、三つの箱を重ねると黒板の文字を消して生徒の方を向いた。
「えー今日は新学期始めの日なので授業はありません。この後、体育館に行って始業式をやってホームルームが終わったら、ちょっとだけ掃除をして帰りの会です。あぁ後、来週の時間割なんだけど、まだ出来上がってないから、お家の人には明日持って帰るって言って下さい。」
教室の空気は静まり返って、自分は息を呑んで様子を伺うと、日に焼けた一本の腕が半袖から天に向かって高く伸びていた。はい、どうしましたか。自分はそう聞くや否や、脳をフル回転させる。
「先生、我が家では金曜日迄の予定を組む為、週間のプログラムは必ず初日に持ち帰る用言われております。出来上がっていない、出来なかった理由をお聞かせ願えますか。」
自分は口をモゴモゴと動かしながら
「週間のプログラムの遅延は誠に遺憾であります。それは私も認める所であります。ですので、皆さんがお帰りになった後に、早急に対応を急ぎたいと考えております。」
そう言うと、自分の言葉を遮るように
「先生、私は出来なかった理由をお聞きしております。きちんと説明責任を果たして頂きたい。」
と件の生徒は追及の手を緩めず二の矢を放った。
校庭では、木の抜けた野鳩の鳴き声が響いて教室内を埋め尽くしていた。

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