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アヤソフィアと人と猫【無職放浪記・トルコ編(2)】
「うっわ、マジかよ……」
一人旅を続けていると、どうしても独り言が増えてしまうが、その光景を見たときは思わず口に出さずにはいられなかった。
ブルーモスクから広場を挟んだ向かい側に、アヤソフィアという建物がある。
東ローマ帝国時代に建設され、当初はキリスト教の大聖堂だったが、オスマン帝国がコンスタンチノープル(イスタンブールの当時の名前)を占領すると、イスラム教のモスクへと造り替えられた。時代の変遷と共に大きく姿を変えていったイスタンブールという都を象徴する建物である。
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問題の光景というのは、そのアヤソフィアに入るために長蛇の列がつくられていたことだ。
列は入り口から広場を横切り遠くのインフォメーションセンターまで続いている。正確に数えたわけではないが、少なくとも1000人は待機しているだろう。
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ヨーロッパのバカンスシーズンを甘く見ていた。まさか、これほどの観光客がイスタンブールに押し寄せてきているとは想像もしていなかった。
列に並ぶという行為が苦手な私は、その日はアヤソフィアに入ることを諦めた。エジプトで暑さには慣れているとはいえ、夏の日中に数時間も待ち続けるなど冗談ではない。
しかし、どうしてもアヤソフィアはこの目で見ておきたかった。
かつて歩いたエルサレムでもそうだったが、複数の宗教が混じり合った場所というのは言葉では言い表せない不思議な空気が流れている。アヤソフィアでもそうした空気を感じ取れるのではないかという期待があったのだ。
翌朝、私は再びアヤソフィアを訪れた。時間は午前8時40分。9時の開館よりも前に並ぶことで混雑を避けるという作戦だ。狙い通り、私の前では10人程度の列があるだけだった。
しかし、9時を回っても一向に入場が始まらない。近くを通ったツアーガイドの男性に聞いてみると、どうやら開館時間は10時になったようだった。
——うっわ、マジかよ……
今度は声に出さずに、心の中で呟いた。
列を抜けて出直そうにも、すでに後ろには長い列ができつつある。仕方なく私はそこで開館時間を待つことにした。
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10時になってようやく門が開き、列が動き出す。簡単な荷物検査を終えると、すぐにアヤソフィアの中に入ることができた。
しかし、おかしい。以前下調べをした時は、確か60リラほどの入場料が必要だったはずだが……
近くにいた係員に入場料は必要ないのかと尋ねてみると「フリー」、つまり無料で入ることができるという。
——料金が値上げされるならわかるが、無料になるなんてことがあるのか?
調べてみると、どうやらアヤソフィアはちょうど1年前の2020年7月に、博物館から現役のモスクに変わったようだった。入場料がなくなった上、今まで通り観光客も受け入れているという。
キリスト教の大聖堂として建てられた後にモスクとなり、博物館になって、再びモスクとして使われるようになった。為政者に振り回されて、随分と数奇な運命を辿っているようだ。
アヤソフィアの内部は期待していた通りに、いや、期待以上に不思議な空間が広がっていた。
高い天井を見上げれば、ドーム屋根に刻まれた複雑な模様が天窓から入る自然光を受けて鮮やかに浮かび上がっている。四方に描かれているのは天使だろうか。全身に羽を纏ったような姿をしていた。
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私はカーペットの上に腰を下ろすと、天井から周囲へと目を移す。
自分たち先頭集団に続いて、続々と列に並んでいた人たちが入場してくる。その中には人間に混じってなぜか猫もいた。
灰色と黒と白の三毛猫は、あちこち歩き回ったりカーペットの上でくつろいだり、来場者の相手をしたりしていたが、やがて出口の方へ戻っていった。妙にこの場所に慣れた様子だったので、敷地内で暮らしている猫なのだろうか。あるいは神の遣いだったのかもしれない。
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礼拝の時間にはまだ早かったが、メッカの方向を示す窪みに向かって祈りを捧げるイスラム教徒たちもいた。彼らが繰り返す祈りの所作を、私は不思議な気持ちで眺めた。
キリスト教の特徴を色濃く残した建物の中で、イスラム教徒が祈りを捧げている——
その光景を見ていると、「宗教とは何なのか?」という疑問がますます深くなっていく。
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私はなるべく、宗教というものから遠ざかるように生きてきた。もちろんクリスマスや初詣などのイベントには喜んで参加するのだが、本質的な部分に触れようとすることはなかった。
日本で生きている限りは、それで不自由はなかっただろう。
しかし、海外を旅していると宗教的な要素を目の当たりにすることを避けては通れない。
それは遺跡や名所などの観光的な意味だけではない。街を歩いていても、人々の生活のあちこちに宗教が根付いていることを目にする。その一面を垣間見るたびに、彼らが見ている世界は、一体自分が見ているものとどう異なるのか疑問に思うのだ。
宗教とは何なのか?
私のような“不信心者”がその答えを知る日はおそらく来ないだろう。
ただ、祈りを捧げる人たちの姿を見ていると、不思議と心が洗われるような気持ちになるのだ。
私は絨毯の上でくつろぎながら、心だけが漂流しているような時間を過ごした。
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