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カッパドキアの安宿探し【無職放浪記・トルコ編(11)】

 トルコの首都アンカラに3日間滞在した私は、次にカッパドキアを目指すことにした。
 カッパドキアはイスタンブールに並ぶトルコの有名観光地だ。奇岩地帯に気球が浮かぶ光景は、ガイドブックや旅行番組で何度も目にしてきた。

 居心地のいい街でゆっくり時間を過ごすことができたからか、体に活力が溢れている。ホテルを出た私はUlus駅からメトロを乗り継ぎ、再びアンカラのバスターミナルに戻ってきた。

 バスターミナルにはいくつもバス会社の窓口が並んでいる。適当に選んだ窓口で「カッパドキアに行きたい」と伝えると、座っていた女性は「ギョレメ?」と聞き返してきた。
 話を聞くと、どうやらギョレメという街がカッパドキアを観光する起点であるらしい。しかし、ギョレメへの直行便はないため、その近郊の都市であるネヴシェヒルで乗り換えをする必要があるという。

 ネヴシェヒル行きの便は正午に来る。時間は午前10時だ。ここで2時間も待たなければならないのか……と少々げんなりした。
 すると、窓口に座っていた男性が会話に入ってきた。彼が言うことには「アクサライ行きの便なら今すぐ出発する。そこで乗り換えてネヴシェヒルまで行くことができるぞ」という。しかも、ネヴシェヒルへの直行便は250リラだが、アクサライで乗り換えをすると少し安くなるのだという。

 早く着いて料金も安くなるなら乗り換えの手間も惜しくはない。渡りに船ならぬ、渡りにバスとはこのことだ。私は二つ返事で了承するとアクサライ行きのバスに飛び乗った。

バスは中部アナトリアの大地を走る

      *  *  *

 カッパドキアの麓の街ギョレメに着いたのは午後5時過ぎだった。
 到着が夕方になったのは、ネヴシェヒルからギョレメに行くためのバスが1日3便しか運行しておらず、午後4時45分まで待たされたためだ。

ネヴシェヒルからギョレメへ向かうバスの時刻表。1日3便しか出ていない

 どうやらギョレメという街はカッパドキアの広がる国立公園の中にあるらしく、街中でもあちこちに奇岩が立っている。岩をくり抜いた部屋がギョレメの名物のようで、そういった部屋に泊まることができるホテルは大体「cave hotel」と名前が付いていた。

 ギョレメでの宿探しは難航した。
 バカンスシーズンで欧米から観光客が押し寄せているのである程度覚悟はしていたが、部屋の埋まり具合はイスタンブールの比ではなかった。

「悪いね。今日はもう満室なんだ」

 10軒以上のホテルを回ったが、どこのオーナーも首を横に振るばかり。一軒だけ部屋が空いているホテルを見つけたが、値段を聞くと「1000リラ(約8000円)」だという。
 1000リラは食費と宿泊費などを合わせた1日の予算の2倍にあたる。そんなホテルに気軽に泊まっていたら、すぐに旅費は尽きてしまう。

ギョレメは街中でも奇岩を見かける

 いよいよ日も暮れかかっていき、バスに乗って宿のありそうな街に行くか1泊1000リラのホテルに泊まるか決断を迫られた時、何度も曲がり角を曲がった先に一軒のゲストハウスを見つけた。猫と遊んでいたオーナーの男性を見つけて「部屋はありますか?」と尋ねると「もちろん」と答えが返ってくる。
 しかも値段は「8ユーロ」だという。

 ——マジで? たったの8ユーロ?

 私は耳を疑った。ドミトリーの部屋ではあったが、それでも1泊約1000円はイスタンブールの宿と比べても破格だ。1000リラのホテルしか選択肢がなかったことが嘘のようだった。
 私はこの『Whisper Cave House』を拠点に、しばらくギョレメに滞在することに決めた。

『Whisper Cave House』の入り口

 ドミトリーの部屋に通されて空きベッドに体を投げ出すと、安堵感に包まれる。どうにか今日も無事に寝ることができそうだ。

 予約をせず、ガイドブックの情報も頼りにせずに自分の足だけで宿を探していると、何時間さまよい歩いても部屋が見つからないなんてことは珍しくない。
 なぜそんないらない苦労をしたがるのか、自分でも理由はよくわからない。

 ただ、苦労して見つけた安宿のベッドに寝っ転がった時の心地よさは、放浪旅でもしていないと味わうことのできない至福なのだ。

 旅をしていると、ふとした時に「旅とは何か?」という問いが頭を過ぎる。ギョレメの安宿のベッドに飛び込んだ時、その問いへの答えがぼんやりと思い浮かんだような気がした。

 もしも旅の対義語が「日常」だとして、その言葉が「帰る家があること」だと定義づけるならば、「旅」とは「その日の寝ぐらを探すこと」なのではないだろうか。

 もちろん、そんな答えは言葉遊びの一種に過ぎない。だが、新しい街に着いて宿を探す時、あるいは宿泊していた宿を発って次の街を目指す時、どこにも帰る場所がない宙ぶらりんな時間にこそ、私は自分が旅をしていると強く実感するのだ。

ようやく見つけたこの日の寝ぐら

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