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日本のスマート農業に人工衛星がもたらす未来 第一人者が語る「アジアをリードできる可能性」

近年、民間企業による人工衛星が増加しており、衛星からの位置情報やリモートセンシングデータを活用したさまざまなビジネスの創出が期待されています。その中の一つで注目されているのが「スマート農業」。労働力不足が深刻な日本の農業において、測位情報を使って農業ロボットを自動運転させるなど衛星の活用が進められています。
 
農業におけるビークルロボティクス研究の第一人者である北海道大学の野口伸教授は、2022年に高知県の柚子農園で準天頂衛星「みちびき」を活用した柚子の運搬作業の実証試験を行うなど、農業における先進的な衛星活用に取り組んでいます。
 
「これから衛星データを活用したビジネスの波が訪れる」と言われるなかで、実際に一次産業における衛星活用はどこまで実用化され、今後どのようなイノベーションが待っているのでしょうか。スマート農業×人工衛星の現在地点と未来について、野口教授に話を伺いました。

野口 伸(のぐち のぼる)
北海道大学院農学研究院教授・研究院長。同大にて1990年代からビークルロボットや生物環境情報の研究に取り組んでいる。1990年に同院農学研究科博士課程修了。同年北海道大学農学部助手、1997年北海道大学大学院農学研究科助教授を経て、2004年より現職。2016年から2019年にかけて内閣府戦略的イノベーション創造プログラム「次世代農林水産業創造技術」プログラムディレクターを務める。


労働力不足をロボットで代用、農家の勘を可視化


——まず、野口さんが農業ロボットの研究に携われたきっかけを教えてください。

生まれ故郷で農業の勉強をしたいと思い北海道大学の農学部に進学したのですが、80年代後半にはすでに、日本の農業では労働力不足が問題視されていたんです。そこで無人農業ロボットの研究が労働力不足の解決に生かせないかと1990年ごろから研究を開始し、1992年には無人自動走行農機のプロトタイプを完成させました。

ただ当時は、高精度な人工衛星や衛星測位が存在しておらず、かつ高価であったため、自前で測位システムを製作していましたね。

——そんなに前から労働力不足の問題は始まっていたのですね。現在、日本の農業が抱える課題について教えてもらえますか。

課題としては大きく3つあります。

1つ目が農業従事者の高齢化です。2020年の農林業センサスによれば、基幹的農業従事者の平均年齢は67.8歳、65歳以上が全体の69.6%を占めている状況です。また2023年の農林水産省の調査によると、今後20年間で基幹的農業従事者は現在の約1/4まで減少することが見込まれています。

農業は経験則によるところが大きいのですが、それらが引き継がれないままリタイアしていくと、ノウハウや知見をもたない新規就農者だけが残ることになるわけですね。そうすると農業の生産性が低下する恐れがあります。

2つ目が新規就農者が増えていないこと。農業従事者の数は2015年から2020年の間で22.4%も減少しています。若手の新規就農者を増やすことが喫緊の課題となっています。

3つ目が食料自給率の問題。2022年度の日本の食料自給率はカロリーベースで38%でした。政府は2030年までに45%まで引き上げたいと考えています。食料安全保障、国際安全保障の観点から、非常に重要な目標ではあるものの、現状の農業従事者の数や推移を踏まえると達成は難しいものと見込まれます。

——スマート農業は、これらの課題をどのように解決しようとしているのでしょうか?

観点としては大きく2つあって、1つが農業ロボットなどを活用した農業の省人化・自動化です。日本は海外諸国と比べても労働力不足の問題が深刻であり、世界に先駆けて農業ロボットの社会実装が行われてきました。

2018年には、クボタやヤンマーホールディングス社、井関農機など日本の大手農機メーカーなどが相次いで農業ロボットの販売を開始しました。稲作農業では欠かせないトラクター、コンバイン、田植機については、すでに無人機の実用化が開始されています。

もう1つが、AIや人工衛星データなどICTを活用した農業情報の収集・管理・解析です。

土壌、気象、病変、作付けの状況といった情報だけでなく、ベテランの農家がもつ長年の経験や勘といった暗黙知を“見える化”することで、結果として新規就農者の技術習得の早期化や、農業技術の高度化、農作物の高品質・安定生産につなげることができます。

——経験や勘などのいわゆる“暗黙知”は変数が多い要素だと思いますが、どのようにデータ化するのでしょうか。

その通りで、経験や勘は変数が多く単純にデータ化するのは困難です。人工衛星で取得した光学データや分光データと、生育情報や気象情報などを組み合わせて、AIなどで統計的処理をかけて生育モデルを作ったうえで、農業従事者がもつ意思決定プロセスとの類似点を見つけていく方法が一般的です。

スマート農業の未来像(野口伸教授の資料より)

農地の4割占める中山間地域に、人工衛星がもたらす恩恵


——スマート農業において、どのように人工衛星が活用されているか教えてください。
 

近年において、人工衛星は生育情報や気象情報などを収集・管理・解析することで、農業の効率化や品質の平準化を保つことに活用されています。

小麦の穂に含まれる水分を自動推定する技術を例に、お話ししますね。

穂の水分量は、小麦の収穫時期を決定するうえで重要なファクターです。というのも、高水分でのコンバイン収穫は作業能率が低下し、乾燥にかかる燃料費が増えてしまうからです。

また、小麦は年に1回しか収穫しない作物であるため、費用が高いコンバインを複数の農家で共有しているケースも少なくありません。ただ、雨が降ると収穫前に品質が低下してしまうため、どのような順番で収穫するかが極めて重要になります。広大な土地になれば目視による確認が難しいだけでなく、シェアリングをしている農家同士の利害関係も絡んできて問題が複雑化しがちです。

ただ、人工衛星を活用すれば穂の水分量を自動推定できるため、平等な収穫順位の決定が可能になります。

小麦の穂に含まれた水分などを人工衛星で可視化した画像(野口伸教授の資料より)

——人工衛星の活用で、今まで農家の方が経験や勘で対処していた領域を、データに裏付けられた栽培に置換することが可能になる、と。

他にも、人工衛星で土壌の肥沃度や作物の生育状況をモニタリングすることで、適切な肥料の量がわかり、肥料のコストを削減できます。

また人工衛星なら地域一帯を広く観測しながら、高い品質の作物を安定的に生産できるようになるため、いろんな作物を地域ブランド化していけるようになります。例えば、青森県で生産されている品種「青天の霹靂」は2016年から先駆けて衛星データを活用した生産管理を行っており、2015年から8年連続で最高評価の「特A」を獲得しています。

——労働力不足の問題で、人工衛星が活用されている事例はありますか?

日本の準天頂衛星システム「みちびき」が最たる例でしょう。実は、日本の農地のうち40%は中山間地域(平野周辺部から山間地にいたる地域)で、さらに農業生産額の40%ほどを産出している重要な地域です。しかし、中山間地域は傾斜地が多く狭いうえに分散しているため、補強信号の取得に必要なインフラ整備が難しいという課題を抱えています。

ただ、「みちびき」は誤差わずか5〜6cmでかつリアルタイムに補強信号の取得ができるため、ネットワーク環境が脆弱になりやすい中山間地域や山間地域でも安定して高精度測位ができます。これにより、今まで実現が難しかった中山間地域にも農業ロボットの導入が可能となるのです。

時間や場所にとらわれない、新しい農業のカタチ


——農地面積が広い欧米でもスマート農業が普及していますが、日本とはどのような違いがありますか?

スマート農業の方向性は、国の抱える課題によって異なります。欧米は農地面積が広域であるため、農業ロボットの自動化技術よりも人工衛星による「データ駆動型農業」が進んでいますね。農業情報の収集・管理・解析の分野での活用です。

また、欧米では生産コストの削減とともに環境問題を重視しているため、自動化よりもむしろ農薬や化学肥料の使用量の減少に焦点が当てられています。具体的には、高分解能のカメラなどを取り付けた手放し運転できるオートステアリングの農機が走り、人が気付かないような微細な変化を検知してデータやAIで解析。病変や害虫の発生を確認したら、ピンポイントで農薬を撒くといった技術が盛んに研究開発されています。

一方で、アジア諸国では省人化・自動化技術や、狭域な範囲でのデータ収集・解析が求められます特に日本は中山間地域における先進的なスマート農業の事例があり、似た課題をもつアジアの農地にも同じモデルの輸出が可能です。地球観測衛星と測位衛星「みちびき」のアプリケーションの領域で日本が世界、特にアジア・モンスーン地域においてリードする可能性は十二分にあるでしょう。

——農業に人工衛星を活用するうえで、現時点での課題があれば教えてください。

1つは観測頻度が少ないことです。そうなると限られた指数の中で推定することが求められるため、観測のタイミングが非常に重要となるわけです。農業の現場はコストが非常にシビアで、良質かつ低コストなデータを集める必要があります。

この課題を解決するには、人工衛星における「地上分解能」(どれだけ高精細に地表を撮影できるか)、「時間分解能」(どれだけ短い周期で地表を観測できるか)、「波長分解能」(どれだけ多様な波長で地表を観測できるか)を向上させること。そうすれば、もっと人工衛星を使ったスマート農業の利用機会は広まっていくでしょう。

——人工衛星の技術が進展した場合、今後スマート農業はどう変化を遂げると思いますか。

農業は自然環境下で行われるものであり、変数が多すぎて信頼性の高い作物の生育モデルを担保するのが非常に難しいです。だから、自然現象をサイバー空間にシミュレートして精緻な生育モデルを作ることが重要になります。

もし技術が進展すれば、人工衛星やドローンで収集したフィールドデータをAIに学習させて、サイバー空間に理想モデルを構築し、これを現実の農地にフィードバックする「デジタルツイン」という構想で農業を営むといったことも普及するでしょう。また、各学術領域のサブシステムの統合もできるため、より汎用性に富んだ活用法が生まれると考えられます。

精密なデータ解析によって現実の農地をサイバー空間に写し、
そこで農業のシミュレーションを行い得られた結果を現実世界にフィードバックする
「デジタルツイン」構想(野口伸教授の資料より)

今日は地球観測衛星と測位衛星について主に話してきましたが、このようにサイバー空間に農業の理想モデルを作っていく上では通信衛星も非常に重要になってきます。5Gのような高速ブロードバンドの通信を衛星と地上でやり取りできるようになれば、データ収集から農地への反映までが円滑に行われるようになります。

——最後に、プロジェクトの展望やスマート農業の可能性について教えてください。

現在、我々は収穫や摘果、剪定など細かい作業を行う小型の農業ロボットの開発を進めています。その際に、複数の農業ロボットをリアルタイムに遠隔監視するシステムが必要不可欠です。このシステムはすでに実証実験の段階で、4年後を目処にプロトタイプの製作が完了する見込みです。

このシステムが実現すれば距離の制約がなくなるため、東京にいながら無人ロボットで九州や北海道の農地管理も可能となります。さらに、時差や気候差を活用してオーストラリアなど海外の農地管理も実現できるでしょう。まさに、今では到底想像が及ばない新しい農業の形が未来には誕生しているかもしれません。

また、もう1つ我々が取り組んでいることが、若い世代へスマート農業の可能性を伝えること。

2023年に北海道大学に開所した「スマート農業教育研究センター」では、小学生から高校生までの若者に啓蒙活動も行っています。社会科見学や修学旅行の訪問地として活用いただくケースも増えていますね。

我々が今開発している技術は、次世代、または次の次の世代が対象になります。ですので、まだ農業を知らない10代〜30代の方に農業の面白さや可能性を知ってもらえたらうれしいですね。

 

企画・制作:IISEソートリーダシップ「宇宙」担当チーム
聞き手・編集:黒木貴啓(ノオト)、文・構成:俵谷龍佑

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