見出し画像

幸せとか社会正義とか考える

 いやまあ、「自分にとって幸せとは何か」って考えたときに自己理解とか自己分析とか欠かせないと思うわけです。
 これまで自分はどんな生活を送ってきて、その中でどんな幸せを感じてきたのか。違う生活だったら何が幸せと感じていただろうか。自分は今の自分や環境をどう考えているのか。

 父親がアル中だったりDVだったりすると、その娘もアル中やDVの夫と結婚しやすいみたいな話はよく出てきます。支援者は「そういう話もあるから気をつけてね」と言ったほうがいいかもしれません。でも本人の選択を最後は止めることはできない。
 本人自身が考えないといけない。一方で支援者も考えないといけない。「自分はダメな人間だ」と思うと、意識的に人生の主役を取らない。縁の下の力持ちとかその他大勢を選ぶ。でもそれでいいんだろうか。本当はもっと主たる役割を取るべきじゃないだろうか。本人も考えるべきだし、支援者も考えるきっかけを提供すべき。

 もちろん皆がリーダーである必要はありません。船頭多くして船山を登る。会社の上司が必ずしも船頭ではないと思うわけです。縁の下の力持ちは絶対に必要。

 日本は「当て職」と言って、その職位に就いた人がその仕事を責任を持ってやるのが推奨されていますが、実は海外では「できる人がやる」「できる人に頼む」みたいのが普通みたいです。
 そりゃそうです。仕事できない人もいますから。性格悪い人もいますから。ただ海外みたいに「人に仕事がつく」みたいなのは賄賂の巣窟にもなりやすい。一方で日本の公務員は賄賂はあり得ないけど、当て職のせいか人によってセンスがかなり悪い。ひょっとすると企業でも。

 日本の公務員試験は学力で評価してますが、学力じゃなくて(今もやってはいますが)面接に力を入れて「なぜ公務員になりたいか」「どんな公務員になりたいか」「そんな公務員になるために何をしてきたか」を問うような試験にしたほうがいいように思います。

  日本はもっと「その人の能力」「その人の人格や態度、姿勢」の確認に注目すべきです。実態は能力に注目はしているけれども、それが賃金にもその後の処遇にも必ずしも反映されていない気がするのです。能力よりも採用担当者とか上司との相性が優先されているような気もするのです(ついでに言えば公務員も日系大企業も賃金的にはかなり年功序列です。中高年以降はさておき)。まあお金の話をすると卑しく思われるという文化の影響もあるのかもしれませんが。「お金よりも人間性が重要」という金科玉条があるのかもしれませんが。人間性って何ですかね。人間性って採用担当者や上司が自分と合うかどうかで判断すべきじゃないと思うのですが。横並び人事は企業側に対しても労働者側に対しても悪平等だと思うのですが。

 社長や採用担当者、上司のセンスが問われるのですが、日本では生意気な部下よりも言うことを聞く部下を引き上げる傾向があるような気がしています(その人の度量が問われると思うのですが)。大量生産・右肩上がりの時代はそれでよかったかもしれないけれど、時代の変化も見ていく必要があると思っています。自分が理解できない人材を採用する度量も必要なのではないかと思っています。難しいし、面倒くさいですけれども。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?