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音楽、アメリカ文化

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アメリカ文化、ジャズ、ブルースについて。わりとしっかりした内容を。
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バード、ほんの一瞬のシカゴ

「出ていけ」 18歳ですでに立派にドラッグまみれになっていたチャーリー・パーカー(以下、バード)は、ハーラン・レナードのバンドを解雇され無職に。麻薬常用、仕事はすっぽかす、そんなバードに母親のアディは愛想をつかし、「出ていけ」と宣言。我慢ならないバードは妻に当たり散らし、家は混乱と不和の極みに。実はバードは41年にNYに進出する前に、39年にも一瞬だけ行っていますが、これはその初回の話。そんな訳でこの初回は音楽的欲求というよりも、「家にいられなくなった」という側面が大きい。

カンザスシティ。なぜこの田舎でジャズが?

ある生徒さんと、カウントベイシーの話題から、カンザスシティの話に。 「カンザスシティって、ジャズの中心だったんですか? なんであんな辺鄙な場所に?」 という質問。確かにカンザスシティはアメリカのど真ん中、人口50万人程度の地方都市。かなり田舎ですよね。 ジャズの歴史を追っていくと、NYやシカゴ、発祥の地であるニューオリンズと並び意外に「カンザスシティ」の名もよく出現します。なぜこんな辺鄙な場所がジャズの中心地だったのか。ニューオリンズ〜セントルイス〜シカゴ、というミシシッピ

「薄っぺらいロックの歌詞」

 僕は演奏に関してはジャズ専門なので、当然ファンの方もジャズファンが多い。少し前、ある女性とMy Funny Valentineの話になり、「とてもいい歌詞で、私大好きなんです」と。そして、 「それに比べて、ロックの歌詞って、意味のない歌が多いでしょう」  と仰って。その場では「なるほど、、そうかもですね」と調子を合わせていたんですが、あぁ、これはちょっと誤解があるんだなぁと思い、機会があれば歌詞について、そのうち書いてみようと思っていました。 抒情詩と、バラッド(物語

十字路に立っていたのは、、

「乗せてくれてありがとう、トニーだ」 「ノーカントリー」の大ヒットとアカデミー4部門受賞で、もはや時代を代表する監督の一人(兄弟だから二人ですね)といっていいコーエン兄弟が監督の、「オー・ブラザー!」2000年作。当時はあまり音楽面は謳われておらず、それでつい見逃していたのですが(僕が油断していただけですが、、)、見てみると音楽に関してもかなり深い考証がなされていて、ロードムービーであると同時に、立派な音楽映画でした。 物語は監獄を脱走した三人の男たちが道中で巻き起こすド

「マ」の、大きなお尻。

先年Netflixで「マ・レイニーのブラックボトム」として配信されたことで、(ごく一部ではあるけれども)多少知名度の上がったマ・レイニーですが、ベッシー・スミスより彼女こそが、元祖「ブルースの女王」と言える存在でした。 彼女の代表曲に、「Ma Rainey's Black Bottom」(1927年)という曲があります。上記のネットフリックス配信映画のタイトルにもなっていますが、この「ブラック・ボトム」とは、20年代に流行ったダンスの形態です。私はダンスに疎いので、当時、チ

ワンドロップ・ルール。人種か血統か。

英王室の騒動、ヘンリー&メイガン夫妻の騒動について、地上波のニュースで報道されるレベルでしか僕は知りませんが、拗れに拗れ、今やヘンリー王子やメイガンさんの過去の言動やその人となりの方に話題が移行してしまった感があります。今後の去就や暴露本などに関心が移り、ことの本質がどこかへ行ってしまった感じがあります。ですが、ことの発端は「肌の色」であったことは疑いないでしょう。なぜなら、単なる醜聞ならこれまでの英王室にも問題になる人物はいくらでもいたからです。チャールズ3世の聞くに耐えな

【81年続くラジオ番組】

アーカンソー州ヘレナはミシシッピ州ではないものの、デルタの中心地、クラークスデールから40kmほどの距離。ミシシッピ川を渡ればすぐの位置にあり、ここもブルースの町として有名です。ロバート・ジョンソンの結婚した相手がいて、彼が頻繁に通っていたことでも有名です(その連れ子が、ロバート・ロックウッドJr)が、他にもウィリー・スミス(マディのバンドのドラマー)など、この町出身のブルースマンも多いです。 キングビスケット社提供の、ラジオ番組 この町がブルースの一つの中心地になったも

【スパイク・リーがなぜ「Django」を批判するか】

ずっと見逃していた「Django~繋がれざる者~」(タランティーノ、2012年)をようやく昨夜見ました。面白かったです。前作イングロリアス・バスターズよりも、次作ヘイトフル・エイトよりも全然いい。近年のタランティーノの中で一番良いじゃん、なんて思いました。というのが初見の印象。公開(2012年)当時、スパイク・リー監督がかなり批判していたのを覚えていて、それについての考察です。 スパイク・リー監督は、何が不満なのか何でしょうね。結局美学の違い、というか。スパイク・リーにとっ

1964年6月21日

1964年6月、NYから三人の若者がおんぼろのフォルクスワーゲンに乗り込み、メンフィスへと向かいます。 彼らはミシシッピに辿り着くとまずロバート・ウィルキンスを見つけ(彼は既に演奏をやめ、牧師として暮らしていた)、そして彼の口からサン・ハウスの最後の住居とされるレイク・コーモラン(メンフィスから南に30kmほどの場所)という場所を聞き、翌日出かけます。 翌日そこでサンは見つからず、ただ、代わりに「サンの連れ子と結婚していたという人物の父親」を見つることができました。そこから彼

ジャズの発祥は、実はウクライナ

キーウ(キエフ)周辺はだいぶロシアの攻撃も弱まったみたいですが(4月時点)南部、そして東北部ハリキウ(ハリコフ)あたりはいまだ激しい戦闘が続いています。 このハリキウ(ハリコフ)はウクライナ第二の都市で、wikiると144万人の都市とあるので京都や神戸よりも大きい。このウクライナ第二の都市が、実はジャズの発祥だ、といえば意外に思われる方も多いかもしれませんが、実はジャズ、特にその理論面においてのキーパーソンがこの町から生まれた、というお話です。 ジャズの発展にバークリー理

映画「クロスロード」。まだ未発見の1曲

 レッスン中に生徒さんと、1986年の映画「クロスロード」の話になりました。少々安っぽいエンタメ映画ですが、しかしまた希少なブルース映画でもあるのでぜひ見ておきたい作品です。スクールのブログの方でも少し書きましたが、書き足りなかったので、こちらでちょっと掘り下げてみます。  主人公の少年はジュリアード音大でクラシックの勉強をしているエリート。だがその少年はブルースの神様、Robert Johnsonに夢中になってしまう。  Robert Johnsonの楽曲は残された29曲

戦前ブルースマンと自動車

 今月のラジオはロバート・ジョンソンのTerraplane Bluesをかけました。ロバジョンのレコーディングは二度行われ、1936年に16曲、翌37年には13曲が録音されましたが、これは最初の録音、1936年のものです。 戦前ブルースマンと聞くと、貨物列車のロッドに飛び乗りギターを背中に担いで放浪する、というイメージですが、実際、ロバート・ジョンソン(以下RJ)もそういう生活だったようです。同じくデルタのブルースマンで、RJと一緒に旅回りをしていたジョニー・シャインズの証

ムーンリバーと、ハックルベリーフィン

 以前、ジャズギターの大先輩、高内春彦さんとお話しさせていただいた時に、 「俺、マンシーニの自宅に行ったことがあってさ、そしたらムーンリバーのオリジナル譜面が置いてあってさ」 と仰ってて、マジっすか、それは凄い、羨ましい、なんて話をした覚えがありますが、この曲は誰もが知ってる定番曲ながら、5度から始まりVIm上の11th、そして3小節目のIV上の増4度と動くメロディが美しすぎる、数あるスタンダードの中でも、僕の相当大好きな曲の一つです。そしてこの歌詞に出てくる、「my huc