見出し画像

バード、ほんの一瞬のシカゴ

「出ていけ」

18歳ですでに立派にドラッグまみれになっていたチャーリー・パーカー(以下、バード)は、ハーラン・レナードのバンドを解雇され無職に。麻薬常用、仕事はすっぽかす、そんなバードに母親のアディは愛想をつかし、「出ていけ」と宣言。我慢ならないバードは妻に当たり散らし、家は混乱と不和の極みに。実はバードは41年にNYに進出する前に、39年にも一瞬だけ行っていますが、これはその初回の話。そんな訳でこの初回のNY行きは音楽的欲求というよりも、「家にいられなくなった」いう方が近いかもしれません。そしてNYに向かう途中、一瞬だけシカゴに立ち寄っています。

母親に叱責され、地元では仕事できなくなったチャーリーは、貨物列車にただ乗りしてシカゴに向かった。それはニューヨークへの旅の中継地点だった

「Bird〜チャーリーパーカーの人生と音楽」チャック・ヘディックス著

翌朝シカゴに着くなり、Club65という店で行われるジャムセッションに出かけています(関係ありませんが、朝からセッションをやっていた、という事実は、この時代のシカゴの音楽的熱気をよく示していると思います)。運命とはあるもので、丁度その場にいたのはあのビリー・エクスタイン。シカゴに着いたばかりのバードの演奏を目撃し、「聴いたこともないような輝かしいプレイだった」と証言しています。

バード少年の華麗な演奏にただ驚くその場の人々。その時のホストバンドをしていたアルトのグーン・ガードナーは、この無一文で出てきたみすぼらしい少年を家に連れていき、服を与え、楽器すら持っていなかったので、とりあえずクラリネットを貸したそう。無一文のバード少年にとって、何と心優しい人が現れたのでしょう。ところが、、、

グーンは彼にクラリネットを貸した。彼はそれを携えて仕事に行った。グーンから聞いたところによると、ある日バードはいなくなった。クラリネットとともにどこかに行ってしまったんだ

「Bird〜チャーリーパーカーの人生と音楽」チャック・ヘディックス著

どうしようもないですね(笑)、でもどこか、憎めない。

人の楽器を勝手に質に入れ、、その金でNYヘ

無一文で貨物列車から飛び降り華麗なプレイを見せたと思ったら、せっかく貸してもらった楽器を質に、忽然とシカゴを去ったバード少年。3日、或いは5日ほどもいたのでしょうか。いずれにせよ、彼はとにかく金がなかった。シカゴで誰かに金をせびるか、何かを盗んで質に入れるかして、なんとかしてNYま辿り着いてやろう、という、はじめからの魂胆だったのでしょう。少年に温かい寝床と服と楽器を与え、温情をかけたこのグーン・ガードナーというミュージシャンについては何も文献が残っていませんが、ひどい話です。そしてこのパターン(他人のものを盗み、逃亡)はこの後バードの得意技(?)ともなり、様々な人々が毒牙にかかっていくことになります(笑)。マイルスの自伝なんかでもよく出てきますよね。このパターンの話だけでも一冊の本が出来上がりそうなくらいですが、ともかくとんでもなく迷惑な人です(笑)

ですが、このダメな若者には残念ながらどこか憎みきれない愛嬌と、そしてこの世のものと思えない演奏技術がありました。そして、生き急いだ理由が。この日、シカゴに偶然現れた18歳のバード少年のプレイを目撃したビリー・エクスタインの証言は、「チャーリー・パーカーの伝説」(ロバート・ライズナー著)に残されています。そしてこの時の衝撃が、後にエクスタインにバードを誘わせ、またそれが史上初のビバップバンドとなり、またそのバンドのツアーをセントルイスで目にした別の少年(マイルス・デイビス)をNYへと駆り立てていくことになります。少年の家出も、大きな意味があった訳ですね。1939年のお話でした。

そこでこの男はスタンドに上がり、その吹きまくるさまに私は仰天した。カンザス・シティから貨物列車にただ乗りしてやってきたばかりのチャーリー・パーカーだった。当時、バードはまだ18歳くらいだったと思うが、その演奏は、かってどこでも聞いたことのない、すさまじいものだった。
「泣き叫ぶ、アルト」だった(ビリー・エクスタイン)

「チャーリー・パーカーの伝説」ロバート・ライズナー著


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?