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戦前ブルースマンと自動車

 今月のラジオはロバート・ジョンソンのTerraplane Bluesをかけました。ロバジョンのレコーディングは二度行われ、1936年に16曲、翌37年には13曲が録音されましたが、これは最初の録音、1936年のものです。

戦前ブルースマンと聞くと、貨物列車のロッドに飛び乗りギターを背中に担いで放浪する、というイメージですが、実際、ロバート・ジョンソン(以下RJ)もそういう生活だったようです。同じくデルタのブルースマンで、RJと一緒に旅回りをしていたジョニー・シャインズの証言です。

”一晩演奏をして、翌朝眠りにつき、列車の音を聞く。「ロバート、列車の音だ、あれに乗ろう」と言うと、ロバート(ジョンスン)は俺とひとこともまじわさないで、ちゃんと出発する。実際、探検好きな世界に住んでいれば、そういうのが最高のことなんだ”(ジョニーシャインズ)

ロバート・ジョンスン―伝説的ブルーズマンの生涯 / ピーター・ギュラルニック

いいですね。戦前アメリカ。こんな光景にどれだけの人間が憧れたことか。朝起きてギターを抱え、行き先も決めず列車に飛び乗る。着いた場所でプレイし、また次の街へと。
戦前ブルースに心を掴まれた人の多くは(私もその一人)その音楽はもちろんながら、こういった生活への憧憬があることは間違い無いでしょう。

いがいと、車持ってたブルースマン

ただ、戦前のブルースマンといってもRJの時代になると、じつは自動車がかなり身近な存在になっています。その証拠がこの「テラプレーン・ブルース」。「テラプレーン」とはハドソン・モーターカー・カンパニーが1932-39年に製造していた車種。筆者は車の歴史には詳しくないですが、30年代ともなるとすでに柔らかな流線型をした一体型ボディが主流になっています。この「テラプレーン」が発売されたのは1932年。この「Terraplane Blues」が歌われた当時は、憧れの最新車種だったことでしょう。

1910年代の南部の黒人にとって、車はまだ夢の乗り物だったことでしょう。ところが、1908年に発売されたT型フォードが画期的に低価格だったことで爆発的に車社会を促進し、というのは周知のことと思いますが、20年代になると南部黒人達の中でも比較的余裕のある層は、徐々に車を所有し始めていたと考えられます。
調べると、1910年当時の全産業平均の年収は574ドルで、T型フォードは850ドル。ところが1925年にはその価格は290ドルまで下がます。1930年の全産業平均は1388ドルとありますから、年収の1/4程度、もちろん南部諸州の黒人達はそれより貧しかったにせよ、1930年ごろになれば何とか手の届く値段になっていたことが分かります。

青字が自動車保有率。(赤字は持ち家保有率)

確かに1910年から30年代にかけての米国の車の所有率の増加は、驚異的なものがあり、僅か20年ほどの間に40%ほど増加しています。実は意外なことに、あのブラインド・レモン・ジェファーソンも車を所有していたという証言が残っています。

”セッションと放浪の合間に、(ブラインドレモン)ジェファーソンはダラスか、シカゴのサウス・サイドの簡易台所付きアパートに滞在した。金銭的な成功を収めたので、運転手付きのフォードも所有できたし”

ロバート・ジョンソンより前にブルース・ギターを物にした9人のギタリスト
(ジャス・オブレヒト)

20年代、空き缶をぶら下げ、放浪しながら街角で歌っていたブラインド・レモンが車を所有していた、というのはなんとも意外な気がしますが、事実のようです。そして30年代には南部黒人の間でも、相当自動車が身近な存在になっていたと思って間違い無いでしょう。そして、20年代までのT型フォードのような無骨な箱型シェイプから「丸みを帯びた流線型」をした車種の登場は音楽にとって、もう一つ別の意味を持つことになります。それは、車=女性へのメタファーです。

車の形が、丸みを帯びたことが意味するもの

Who been drivin' my Terraplane for you since I been gone

「Terraplane Blues」Robert Johnson

「俺がいなくなってから、俺のテラプレーンを運転しているのはいったい誰なんだ?」
といったところでしょうか。「my Terraplane」というのは去ってしまった女性の比喩。つまり、車が10〜20年代のT型フォードのような無骨な箱型から、その形が流線的になるにつれ、車が=女性の比喩に使われるようになっていった、ということです。これはその一番最初の例なんじゃないでしょうか。

55年のチャック・ベリーのMaybelleneで歌われる、キャデラックとV8フォード(それぞれ女性と自分に喩えられている)も有名ですよね。この後もビートルズの「Drive My Car」から、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」に至るまで、この「車=女性」という比喩は歌詞の定番のメタファーとして定着していくことになります。筆者なんかだと世代的に、プリンスの「Little Red Corvette」。それと、これ。

坊主頭の中学1年生が、「Ooh」

Deep Purpleのハイウエイ・スターの「Ooh it's a killing machine」のところ。2番では「 she's a killing machine」に歌い変えていることからも、車=女性は明らかですが、今になって聞くと、この「Ooh」は、あ、”そういう「こと」の、Ooh、ね(笑)と、合点がいくというもの。私は中学生の頃、仏教高校だったので、坊主頭でした。ロックに目覚めたばかりの、くりくり坊主の中1が、「Ooh!いっつあきりましーん」なんて、訳も分からずに歌っていたのを思い返すと、本当に赤面です(笑)。

この「テラプレーン」のメーカー、ハドソン・モーターカー・カンパニーはその後54年にアメリカン・モーターズに吸収され、さらに87年にクライスラーに吸収されたそうです。先にも書きましたが、筆者は本当に車に疎いのでこのテラプレーンがアメリカ車の歴史上、どのくらい重要な車種なのかは分かりませんが、ただこの車のシェイプが「女性への比喩」を産み、その後、例えば「車に乗って」「車を運転して」「クラクションを鳴らして」といった、歌詞中で女性へのメタファーとして歌い継がれていく、そのきっかけになった車種だと思うととても興味深く感じます。特にロックでは、どれだけこのモチーフが使われたことか。もし車のデザインが男性的な、無骨な幾何学的なデザインの方向に変化していたら、ビートルズの「Drive My Car」も生まれていなかったかもしれません。など、あれこれ考えながら。

番組を聞いてくださった皆様、ありがとうございました。

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