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父の好物

昨日、父の日だったのでなんとなく自分の死んだ父の事を思い出し、「もうちょっと優しくすればよかったかな?」などと思ったのですが、当時の事を細やかに思い出すと、実家は阿鼻叫喚地獄のようで、毎日のように怒号が飛び交っていたので、とてもじゃないけど優しさを発露させれない状況の方が多かったのでした。

今は、自分がひとりで暮らして精神的に安定しつつあるから「もっと優しくすればよかったかな?」などという気持ちが湧いたのでした。

それから、私は実家にいる頃は父のごはんを何度も作ったなあと思い出しました。
冬、母はスキー場に働きに行くので、家に居る私が父の飯番を仰せつかったのでした。
主ににチャーハンとかコロッケ(冷凍)や焼きそばの昼食を作りましたね。
父は手の込んだ料理が好きではないのでホント簡単なもんばかりでした。
父は酒乱で酒を飲むと凶暴になって手がつけられないものでしたが、シラフの時は誠に大人しく、その落差がかわいそうになるほどでした。
私が昼飯作る言うとシラフの父は遠慮して「俺は自分で食うからいいで」と言うのです。
私が「いいからいいから、作るから。コロッケ何個食う?」と訊くと父は「2個」とか答えるので私は張り切り、キャベツの千切りをめっちゃ頑張るのでした。
後に母から聞いたのですが父は山仕事仲間に「娘が飯作ってくれた」と嬉しそうに話していたそうです。
思い出すとなんか悲しくなってきちゃった!

父は自分ひとりの時はサバの水煮缶にめし、海苔の佃煮にめし、めしにかつお削り節をかけたねこまんまと炊飯器に米さえ炊いておけばよいというものを食っておりました。
父がシラフの時はこういう風に静かでしたが酒を飲みだすと一週間は連続飲酒をし朝も昼もなく酒を飲み続けるので、たまったものげはなく、怒り狂った母と大声で怒鳴りあいを数時間という日々になります。

父は事故で死んだ日の朝も海苔の佃煮だけでどんぶりめしを食って山へ仕事に行ったそうでした。その山で機械の下敷きになり、死んでしまったのです。

父の一番の好物はうどんでした。
母が手打ちうどんを作ったり、近所の人から手打ちうどんをもらうと3玉くらいはズズズッと食うのでした。
父の一番好きな食べ方は「ずりあげ」でした。
これは一般的な言い方だと「釜揚げ」です。茹でたうどんをそのまま丼に取り、醤油と味の素と鰹削り節をふりかけたものです。これが一番好きでしたね〜。
味の素入れねぇとうんまくねぇと言っていましたね。
父はそのずりあげうどんだといっぺんに7玉くらい啜りこんでました。
よっぽどずりあげうどんが好きなんだなぁとおもいました。
絵でねこの親子を描く時、私の行き場のなかった父母への想いがあらわれているような気がします。


母の手打ちうどんを思い出しながら描いたのです。


私の父もこういうねじりハチマキをよくしていた。アメリカンドッグとかフランクフルトが好きだった。

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