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橋のない川と被差別の食卓

被差別の食卓 上原善広 著

私が被差別部落を知ったのは住井すゑの「橋のない川」でだった。
「橋のない川」とは奈良県の被差別部落「小森」の人々の物語だ。
畑中誠太郎、考二の兄弟を中心に大正時代の奈良の被差別部落の暮らしを描いている。
被差別部落に生まれたというだけで穢多エタと呼ばれ、差別される哀しみ、家族の温かさ、同胞の哀しみ、歴史を教えてくれた小説だ。考二の悲しい初恋、誠太郎の出征、関東大震災後の朝鮮人虐殺、毎日のシャブシャブのお粥。思い出せばきりがない。私は小森と人々と供に泣き、笑い、やっぱり泣いた。
橋のない川では常食はお粥だった。
とにかくお粥、お粥で毎日が過ぎていた。
そして特別なご馳走は油揚げ飯だった。
粥ではない普通のご飯にやっぱりご馳走の油揚げを奢って、滅多に使わない醤油で味付けする。
きびしい肉体労働をする彼らはシャブシャブのお粥で生きていた。
おやつは炒ったそら豆。
そのそら豆は「エッタのこんぺいとう」と言われていた。
いつまでも私の心の中に橋のない川の物語は生きている。
それなので「被差別の食卓」を手に取ったのだった。
著者の上原善広さんは被差別部落出身。
父親は食肉店をやっていた。
彼の“おふくろの味”は「あぶらかすと菜っ葉の煮物」だという。
当時あぶらかすは「むら」と称する地域、つまり被差別部落の味だった。
現在では「かすうどん」というものをグルメ記事で目にする。
あの「かす」だろうか?と私は思った。
大阪発祥の串カツチェーン店のメニューに「かすうどん」があった気がする。
私は橋のない川の世界しか知らなかったので被差別部落の成り立ちを知らなかった。
シャブシャブのお粥でわらじの行商をするエッタ像しか知らなかったのだけど、なぜあれほど彼らが差別されたのかと探っていくと、もともとは食肉処理に従事していたから?なの?という事だった。
確かに肉食という事に馴染みのない時代ならば牛、馬の肉を食うことは穢れと見られたのかもしれない。
牛や馬を屠殺することも穢れとされたのだろうか。関西では肉といえば牛肉なのだそうだ。つまり牛肉を食うことが身近にあったからなのだろう。
「橋のない川」でも考二が牛鍋を振る舞われる場面があった。
おかね小母やんも牛肉の行商をしていた。
お金持ちの家は牛肉を食べていたのだ。
上原善広さんの暮した「むら」の食肉業の人々らはいい肉は売って、捨てるようなあぶらかす、ミノのすき焼き、フクの天ぷら、さいぼしを日常食べていた。
この本の序文にこのような捨てる部分のものを工夫して食べてきた文化は「差別と貧困、迫害と団結の中で生まれた食文化」被差別民たちの「抵抗的余り物料理」と記されている。日本の大阪の被差別部落だけでなくアメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパールの食べ物を巡る「差別され迫害された人々」の話も読むことができる。
アメリカのソウルフードはおいしそう…食べてみたいなーと思った。
なにしろフライドチキンなのだ。
黒人奴隷たちが編み出した料理にフライドチキンがなぜ?と最初、上原さんは思う。
日本にはケンタッキーフライドチキンとかあるし、一般の食べ物じゃないか、みたいな。でも発祥の理由に迫っていくと、もともとは捨てる部分だった手羽や首をディープフライにしたのが始まりだそうだ。
モモ肉や胸肉はご主人が食べ、余って捨てる部分をディープフライにして骨まで食べられるようにした。
私はケンタッキーフライドチキンも骨まで食えそうと感じたことがある。
あれは圧力鍋を使ってるから骨も柔らかくなるらしい。
ほかにもブラジルのフェジョアーダ、ブルガリアのロマのハリネズミ、ネパールの牛肉料理と読み応えのある一冊でした。



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