エネルギーのつかい方
十月は、めずらしくひとと会う予定を詰め込んだ月になった。初めての場所にも行ったし、初めてのひとにも会ったし、親不知も抜いたし(これは二度目)、そういう小さなイベントを詰め込んだ月になった。親不知って、処置後の経過は本当にひとそれぞれなのだな。わたしは、処置には小一時間かかったものの、一週間程度腫れて痛む(けど、ロキソニン飲めばなんとかなる)、という程度で済んだ。出血が続き寝込むレベルの痛みが何日も続くひともいれば、歯医者さんを出たその足で焼き肉を食べに行けるような人もいる。
そのほか、初めて歌の配信とかしちゃったし。ひとりでアンサンブルするの楽しかったな。思いきり歌って録音する、というのは場所と時間を選ぶからすぐにできないけれど、楽しかったのでまたやりたい。曲は決めてある。クオリティは自己満足レベルで、録音アプリをまだまだ使いこなせていないけれども。
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初対面の相手はともかく、安心できる友だち、比較的こころを許せる職場のひとたちと食事をしたりお茶して話し込んだり、という時間も、結構エネルギーをつかうことなのだと再認識した。わたし、長時間ひとと会うと疲れる。適度にしないと。
十月の初めは、わたしとこころのテンポの合う友だちと会った。森の奥に流れる小川沿いに座って、小石をぱちゃぱちゃしながら遊んでたときに出会った、という感じの友だち。いや、出会ったのは大人になってからだし、ぜんぜん違う場所なのだけれど、お互いのイメージはそんな感じだった。
ふたりとも静かな場所を好むし、食べるのは遅いし、明るすぎるのが苦手。音楽は好きだけれど趣味は違って、彼女は絵がうまい。スローライフっぽい暮らしぶりながら、思っていたよりデジタルスキルに長けている。
彼女とはさまざまな点でテンポがあうはずなのに、ひさしぶりに丸一日一緒にいたら「早く帰りたい、ひとりになりたい」と思っている自分がいて、そのことにかなりびっくりした。以前はそんなことなかった、と思った。もっと一緒にいたい、ずっとおしゃべりしたい。温かいお茶を片手に夜通しでも話ができていた。いくらでも話題があった。
いま、彼女と話題がないわけではない。むしろ、日ごろ連絡を取り合わないぶん話すネタはある。でも、わたしははやくひとりになりたいと思ってしまった。
彼女もその方面に用事があるからと、最後はわたしの家の最寄り駅まで行くことになっていたのに、わたしは耐えきれず、電車に乗る前「ここでいいよ」と言ってしまった。ぽろりと口から出た言葉ではなく、タイミングを見計らい、細心の注意を払いつつの言葉だった。言うのは、汗をかくほど緊張した。
「わかったよ。きょうはありがとう。またね」
彼女はそう言ってくれた。手を振ってホームを歩く。少し歩いたら人混みにまぎれた。
「ここでいいよ」と言ってしまったことには、多少の後悔はあったけれど、電車に乗り込むなり涙が出てしまったわたしはずいぶん疲れていたのだろう。泣くな、ここでは。至近距離に見ず知らずの他人がいる場所で涙を流すのは、もう卒業。ハンカチを握って下を向く。眠っているふりをして、まぶたを閉じる。涙の海はまぶたの内側で凪いでいる。彼女には帰宅後連絡し、やり取りを重ねた感じからは変な誤解は生んでいないと思う。彼女も、そういえばそういうことあったし。いつだったかの誰かの誕生日を祝う食事で、ひとり途中抜けて帰っていたっけ。
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「比較的こころを許せる職場のひとたち」とのプライベートでの食事やお茶は、メンバー違いで三回行った。三回という回数が世間では多いのか少ないのかわからないが、わたしにしては多い。とても多い。
このひとたちと一緒にいて心地いいのは仕事の場面なのだ、ということに改めて気づかされる。たまに、仕事以外の、例えば趣味だとかの話題で盛り上がれるひともいる。が、今回行ったメンバーは、仕事という枠の中にいれば安心できる(≒枠の中にいないと安心できない)メンバーなのだ、ということを痛感した。それは、趣味など仕事以外の共通の話題が圧倒的に少ない、ということと、そもそもわたしが彼女らと会うときは「仕事の仮面」を装着している状態のときであるから、ということが要因のようだ。
数時間の食事やお茶を終え帰宅すると、わたしは、真夏に猫がぺったり床で寝そべるようにして休み、充電をした。まるで床から何かありがたいものでも吸い取っているかのように、できるだけ床との接地面積が広くなるような寝姿勢で横になる。基本的にうつぶせで眠るわたしは、そのときも床にぺたりとほほをつけ、ヤモリだかイモリだかが窓にへばりついているような姿勢で胸と腹と四肢を床にくっつけた。そうやって息をした。そうすると息ができた。
いや、楽しいのだ。彼女らと話しているときは。わたしの知らない誰かの推しの話題になっても、笑みを絶やさず相槌を打つことはたいした難ではない。困るのは「ユウちゃんは誰が好き?」と言われたときくらい。三回のメンバーは、そのような内容を問われることもないほどの仲であったけれど。つまり、わたしがアイドルにさほど興味がないということを知っているひとたち。
唯一わかったのは、ネガティブな言葉を延々と聞かされること、そのネガティブさに反論したくなっても(「いまそんなこと言ったって仕方ないじゃん、過去と他人は変えられないんだよ」というような)多勢に無勢で、わたしの意見はかき消されるか笑いものになるかの二択、という状況にあることは、それだけで相当にエネルギーを消耗する、ということだった。(うわ、この文章長い、わかりにくい、悪文)
他人の悪口に同調はしたくない。同じようなことを思っていたとしても、それをわざわざ言葉にして発声し、自分の耳で聞きたくない。そんなのこころの中でひっそり思っておけばいい。日記に書きなぐってひとりで消化して昇華すればいい。
と、思いながら、盛り上がるそのネガティブ話題を聞くのだ。退屈そうに見せないように表情に注意したりなんかして。ああ、書いていると、そりゃ疲れるよね、という気持ちになる。わたしそんなにエネルギーはあふれていないし、つかい方だって器用じゃないもの。
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ひととのつながりは、でもエネルギーを生みだすことも知っている。ちゃんと知っている。それも今月学んだこと。
充電は、ひとりでないとできないわけではない、ということは覚えておきたい。でも、ひとりでないとできないときもある。コクーンみたいにならないと、寒い日の猫みたいに狭いところで丸まっていないと充電できないときもある。どっちもわたし。あとはバランスをとるのみ。