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もなかちゃんの話

もなかちゃんの話をしよう。

先日、もなかちゃんと久しぶりに会った。互いのやり取りをたどっていたら、直接会うのは二年半ぶりくらいだった。もなかちゃんとは距離も離れているし、お互いの仕事柄休みが合わせづらいし、特に新型コロナ以降は彼女の職業などを考慮すると誘いにくかったのだ。
けれど、昨年のクリスマス前頃、
「ユウちゃんに似合いそうなものを買ってしまった! 今度会えたら渡すね」
と連絡が来たのだった。そんなこと言ってくれたら、もう会う日取りを決めるほかないじゃないか。年が明けて、休みを調整して、わたしたちはやっと会えたのだった。いつも待ち合わせる、ふたりの居住地の(だいたい)真ん中地点で。

もなかちゃんは地元の友達だ。年下なのだけれど今やまったくその感覚はなく、時に彼女がお姉ちゃん役をしてくれるくらいである。かと言っていつもいつもしっかり者の長女というふうでもない。わたしの弱っている時を察して、時々そんなふうにわたしに接してくれる。たまに立場が逆転して、無表情のまま静かに涙を流すもなかちゃんの頭をわたしが撫でたりする。


お昼前に待ち合わせて、混み始める前に昼食のために店に入った。ふたりともその街には詳しくないのに、なぜかその日行きたいと思った店が一緒で笑ってしまった。
「入ろう入ろう」
ビルの上階にあるその店は平日だったからかまだ客もまばらで、わたしたちは窓際の隅の四人掛けテーブルに案内された。おもては数日ぶりに晴れていた。眺めが良くて、ビルの隙間の青空もミニカーみたいに走る車も、何もかもくっきり見えた。
「会えてうれしいな」
わたしたちは何度も言い合った。もなかちゃんと会うと気持ちが素直に言葉にできる。


「そういえば、恋人のわけぎさんは元気? 仲良しは続いてる?」
料理が届き、ふたりでさんざん写真を撮ったあと(普段わたしはこのような場で写真はあまり撮らないのだけど、もなかちゃんは写真好きなのでつられてしまう)わたしは尋ねた。
「元気だと思うよ」
「え、思うよ、って、会ってないの? どうしたの?」
「いらいらしてる」
「いらいら? もなかちゃんが?」
「うん」
わたしはふたりのつき合いを馴れ初めのころから知っている。もなかちゃんがわけぎさんを好きになったときのこと。その当時、わけぎさんには別の恋人がいて、最初はわけぎさんの浮気から始まったということ。わけぎさんは次第にもなかちゃんに本気になり、きちんと別れるからつき合おう、と決めたこと。これじゃ略奪愛だともなかちゃんが悩んだこと。でも最終的にふたりはうまくいって、ずっとずっと冷めることなく仲良しでいようと決めたこと。
ふたりの仲良しぶりは、真夏の屋台のりんご飴みたいにべたべたしている。見てるだけで甘ったるくて、舐めたらその甘さにすぐ飽きてしまう。けれどふたりはずっとその飴を舐め続けられているのだった。おそらく、それはふたりが一緒に暮らしていないということも起因していると思う。決まった時間、決められた時間にだけその飴を舐めることができる。もうちょっと舐めていたいと思っても、飴は日常に取り上げられて、仕事を頑張ったご褒美みたいに、週末またその飴が与えられるのだ。

「なんでいらいらしてるの? 何かあったね?」
「だって毎回遅刻するんだもん」
もなかちゃんは食事の手を止めて話し始めた。
「毎回だよ? ていうかこれまでに時間通りに来たのなんで五回くらいなんだよ。こないだはさ、遅刻してきたことについて結構真剣に怒ったわけ。そしたらふつう、その次の待ち合わせって遅刻しないようにって思うじゃん。でもわけぎさん遅刻してきたんだよ。信じられない。
それでね、遅刻されたからわたしが不機嫌にしてたら、なぜかわたしが怒られるの。不機嫌になるなんて大人げない、とか言って。いや、誰のせいで不機嫌になってると思ってるんだよ、って」
「そうかあ、それはひどいね。全然そんなひとに見えなかったけど、そりゃあいらいらするよねえ」
「でしょう? だから最近会ってない。連絡も取ってない」
「え、そうなんだ。珍しいね。あんなに毎日電話してたのに。でも×月×日には会うんでしょ?」
「うーん、その予定なんだけどね」
×月×日というのはふたりがつき合い始めた記念日だ。ふたりは記念日ごとを大事にしているカップルである。
「次の×月×日でわたしたち五年めになるんだけど」
「そっかあ、もうそんなかあ。おめでとう」
「でもね…これ打ち明けたら、絶対みんなに『別れなよ』って言われると思って言えないことがあるんだけど。初めてひとに話すことなんだけどさ、」
もなかちゃんは、静かに、その数年に渡る悩みを話してくれた。
内容は書かないけれど、もなかちゃんたちは、もしかすると不思議なカップルの在り方をしているのかもしれなかった。よくそんなので平気だねとか、もっと強く要求を言えないのかとか、そういう感想を持たれるかもしれないと彼女が危惧するのもわかる内容だった。
「だから、一緒に暮らそうとか、強く言えない。将来とか考えると寂しくなることもあるんだよね」
「そうなんだね」
おつぎしますね、とピッチャーを持った店員がグラスに水を注ぎに来た。気がつくと店内には客が増えている。思い思いにメニューを広げ、店員は忙しなく動いている。

「ところでユウちゃんのほうはどうなの?」
「うん」
「あれ? 急に顔が曇ったよ~~、ちょっと待ってわかりやすすぎるよ笑、どうした?」
「うん」
「結婚したの?」
「してないよ。したら連絡してるよ」
顔が曇った、と言った後に「結婚」というワードが彼女の中で出てきたことにやや違和感を持ちながらもなかちゃんの顔を見ると、まっすぐな瞳で彼女はわたしを見つめていた。もなかちゃんは顔立ちがはっきりしている。大きな瞳の色は薄く、まつげは細く長い。
わたしは最近の彼との出来事をかいつまんで話した。飲みかけの紅茶が濁らないように、少しの嘘を加えながら。嘘に罪悪感を持ちながら、いやこれはわたしを守ってくれる嘘なんだとこころの中で言い訳していた。そして、いやいやこれは嘘じゃない、誤解は招くかもしれないけれど、というレベルの表現の妙だ、と思考を展開していた。

ひと通り自分の話をした後、わたしは言った。
「わたしは、もなかちゃんたちに『別れたら?』とは言わないよ。そういう関係もありだと思う。わけぎさんの気持ちもわからなくはないし、でももなかちゃんが歯がゆく思う気持ちもわかるつもり」
「うん。ありがと」
「わたしたちともなかちゃんたちは全然べつのケースだけど、世の中にわたしたちみたいな、少し風変りな恋愛をしているひとがいる、というのはきっと誰かを救うと思うんだよ。みんなと違うんじゃないかと不安になっているひとに、わたしだけじゃないんだ、っていう力になると思うの。そりゃあ『わたしはこういう恋愛をしています』って看板提げて歩いてるわけじゃないから言わなければ誰も知らないことなんだけど、そういう、いつもそこらへんにいるひとが実はそうだったんだ、っていうのは、物の本で得た情報よりも皮膚の近いところで実感できることだと思うんだよね。
そういう意味でわたしたちの悩みはどこかの誰かに役立ってるんだよ。だから別れなくていいよ、もなかちゃんとわけぎさんは」
もなかちゃんがずっとわたしを見ていたのがわかったから、わたしは照れくさくなって冷めたコーヒーをごくごく飲んだ。


わたしがもなかちゃんに言ったことは、たぶんわたしが誰かに言ってほしかった言葉だ。そのことに気づいたら、急に切ないような懐かしいようなよくわからないじんわりした気持ちになって、いつまでももなかちゃんとのこの時間が続いてくれたらいいのに、と思った。小学生の頃の夏休みの終わり、けだるく暑い夕方に窓辺の風鈴の音がやけに澄んで聞こえて、ああ、この時間がずっと続いてくれたらいいのに、と思う気持ち。そんなのを思い出していた。わたしがそう思っているあいだ、もなかちゃんは何を思っていたのだろう。


お昼ご飯を済ませ、お店を見てまわったりカフェに入ったりしていたら、あっという間に夜になった。「あっという間すぎる。この辺は時空が歪んでるね」と正しいのか間違っているのか定かでないことを言いながら笑って、駅で別れた。振り返り振り返り、人ごみにまぎれながら見えなくなるまで手を振った。


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