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あれは宝探しだったのだろうか

ママの部屋の片付けをしていたら、ある紙切れが出てきた話。

数年前のことだ。ママの家に行ったら、「わたしの部屋片付けといて」と無骨に言われたのだった。「これから仕事だから、帰って来るまでによろしくね」と。ママの部屋はベッドメイキングこそきちんとされているものの、机の上は書類が乱雑に積まれていて、ソファには数日分と思われる量の衣類が脱ぎ散らかされていた。ノートパソコンやタブレットはかろうじてケースに入れられているが、置かれている場所は床だ。この状態を見た本人が「片付けといて」と言ってきたのだから、これは片付けられていない状態だという自覚はあるらしい。
「じゃあ行ってくるね。おなかすいたら冷蔵庫の物食べていいよ。プレモル冷えてるからのみたければどうぞ」
ママは出ていった。
片付けね。嫌いじゃないし、しといてやるか。

さて、と部屋を見渡した。
どこからやろう。手始めに、すぐ終わりそうなソファ周辺から片付け始める。衣類を畳み、洗濯前か後か不明の靴下をペアリングし(最終的になぜか奇数であった。寡婦のような靴下がひとり)仕上げにコロコロをかけた。衣類を箪笥にしまうために抽斗を開けていたら、下着をまとめた段にあたった。きれいに収められている。靴下は片方ほっぽらかしとくくせに、下着はきちんと上下を揃えてなおしてるんやな、と感心したりした。感心というより安心だろうか。

よし、と仕事机を見遣る。どうやって進めよう。
わたしは自分の物や部屋を他人に片付けられることは好まないし、よっぽどのことがない限り頼んだりしない。たとえ家族や長年の友人であっても。なぜならその後の生活をみたときに、物を探す時間が増えるから。当たり前のことだけれど、自分で片付けたほうが物のありかを把握できている(ことが多い)。
ママにその辺の危惧はないのかしら…と、他人の頭を覗こうとしてみる。この部屋の状態を継続するほうがよっぽど非効率・低コスパ、と思っているのか、探し物の時間が長くなるったって二年も三年もかかるわけじゃなし、というくらいの心持ちなのか、そもそも一切、そこまで考えが及んでいないのか。
封筒や書類の内容を確認しながら仕事先ごとに分けていると、いまさらながら、ママの職場は大まかに四か所あるということを知った。四つ仕事に行っている、ということだ。そういえばママは「回遊魚」と自称していたけれど(動いていないと死ぬの意)、いわゆるフリーランスというのはそういうものなのだろうか。
メインの一か所の職場には自分のデスクやロッカーがあるのか、その職場の物はあまりない。とは言えちらほら契約書の類などがあり、片付けながら少しの背徳感を抱きつつ中身を見てしまう。わ、ママの給料、初めて見た。ここの給料は安いとさんざん言っていたけれど、そういうことね。あ、去年の健康診断の結果。そこそこ健康そうで何より。安心。もうちょっと体重は減らすべきかもしれないわね。
そうやってちらちらと内容に目を通しながら片付けていたら、折り目のついた一枚の紙きれが出てきた。
「なにこれ」
決して新しくはなさそうなA4サイズの紙に、パソコンで作成された文章が載っている。小さめの明朝体で、用紙の半分くらいが埋められている。
おそらくママが書いたものだろう。いや、ママが書いたに違いない。その小さな文字を、食い入るように読み進めてわたしはそう思った。
「いつ書いたんだろう」

二十行程度の独白のような文章に、当時の切羽詰まったママの気持ちが痛々しいほどの鋭利さを放っていた。言葉を選んでいる余裕なんてない、と言わんばかりの緊迫さと、衝動を抑えようとする冷静さが入り混じっている。
内容は、家庭内で起きたある大きなトラブルをめぐって感じた、ママの配偶者に対する不満や、つらさや、身の置き所のなさについてだった。トラブルの具体的な内容や、日付、年齢などは書かれていない。
あのときの○○のことだろうか、それとも××のほうかしら…読みながらわたしの頭の中は忙しく記憶のアルバムをめくっていた。あのときのことだとすると、わたしは×歳だったからおおおそ〇年前、とするとママはいくつだったのかしら。いまのわたしよりも年上だけれど、まだ三十代だったとしたら、そりゃあつらかっただろうなあ。読みながらわたしは胸がきゅうっとなる。ママのことを思ってなのか、わたし自身を振り返ってなのか、わからないまま胸が締めつけられる。


文章の最後のあたりに、今後の生活について、ママの考えた選択肢が書かれていた。選択肢は四つあった。四つのうちのふたつは、後ろ向きもしくは投げやりな内容。もうふたつは、どうにかして自分を奮い立たせようとするような内容だった。
選択肢の羅列のあと、一行あけて「さあ、どうする?」と書かれていた。
ママが選んだのは、後者のふたつのうち、よりエネルギーのいる選択肢のほうだった。わたしからはそう見えた。

わたしは紙きれを畳んで、そっと自分のかばんに入れた。なぜだかとっさに、これはわたしが持っておくべきだと思ったのだ。
かばんに入れたあと、わたしは片付けの続きに戻った。おなかもすかず、日が暮れるまで、ただせっせと体を動かした。数時間して片付けを終えると、わたしはママの帰宅を待たずに家を出た。「おかえりなさい。お部屋片付けました。今日は泊まらないで帰ります。またねー」。置き手紙を残してドアを閉める。冷えたプレモルは魅力的だったけど、そのままにして。


わたしはその紙をいまも持っている。何のご利益もないかもしれないけれど。ときおり、ふと思い出す。「さあ、どうする?」。
ママ、勝手にネタにしてごめん。ママが知ったら「もー、そんなん、早く捨てりー」って言うだろうな。



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