仏教と量子論
最近、Youtubeで物理学の動画を見ているのですが、中でも特に量子力学が面白いです。量子力学の「量子」とは、エネルギーや物理量が連続的ではなく、特定の離散的な値をとる単位であることをそう呼ぶらしいです。僕たちの実世界での感覚でいえば、物理現象は連続的に生じているように見えますが、ミクロの世界ではどうもそうではないらしい。非常に興味深いですね。
このように僕たちが主観的に自分の目で見ている世界と、そこにある実際の世界とは、乖離があります。素粒子レベルでの研究では、僕たちが直感的に理解できる領域はすでに超えていて、非常に抽象的な話を、論理と数式で語るような学問になっている。それはある意味で、人間の認識能力の限界に対する挑戦のようにも見えますね。
で、さらに面白いのが、仏教の中でも唯識思想という考え方と、物質の量子論的な振る舞いの間に類似性が見出せることです。
量子力学では、よく物質は粒子と波動、両方の性質を持つということがいわれます。普段は波のような性質なのに、それを観測した瞬間は粒子のような振る舞いをする。量子論とは、その両方の性質が確立的に同時に存在しているという、直感からは程遠い理論です。
一方で唯識思想は、物質は存在せず、すべては人間の意識が生み出したものであると考えます。つまり、この世界は観測者である自分が存在し、意識が世界を作り出していると論じるわけです。これは量子論における、観測によって初めて、波動だったものが粒子の働きをするという考え方に近いものがあります。
両者は全く別の領域なのに、よく似た論理になっているのは、非常に興味深いです。一方で、全く違うように見える両者にも、実は共通する部分もあるんです。それは、物理学も宗教も、どちらも世界を説明するための試みとして発展してきた歴史があるということです。
この世界はどのようにして成り立っているのか。その究極の問いに対する人間の飽くなき探究心によって、全く異なる領域から類似性を持つ結論に到達した。めちゃくちゃ面白くないですか。
人間には底のない知的好奇心があります。テストで成績を競い合う学校の勉強があんなに嫌いだった僕も、今は学ぶことがとても楽しいです。そういう学びの面白さを、一人でも多くの人が体験できるようになればいいなぁと思います。
それではまた!
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