マガジンのカバー画像

日常

11
運営しているクリエイター

記事一覧

TSUTAYAと青春の終わり

深夜2時前のTSUTAYAは妙に空気が透き通る。エスカレーターに降りて、シャッターだらけの店の間をすり抜けて、控えめな音量でofficial髭男dism が流れる店内へ入る。客足は昼間より減った。けれど人1人の存在感はその分増したような気がして、結局のところ窮屈な店内に変わりはない。大阪の金曜日はきっと夜からがはじまりだ。

店内の左半分はレンタルコミックのコーナー。まだ入ったことはない。中性的な

もっとみる

化物

どうにかこうにか、必死に掴む。私の手を掴む。乗り物酔いみたいな気持ち悪さが何度も私に襲いかかる。いつからか、でも、もう学生の頃から、想像もできない化物を私は自分の中に飼っているのだ。ぐにゃりと歪んだ視界、一瞬の浮遊感、空っぽの胃の中身を無理に吐き出そうとした時みたいな吐き気。不快に揺れる頭の中で何度も思う。生き辛い、なんで私だけこんなに面倒な化物を相手に生きてるんだろう、ここにいちゃいけないんだろ

もっとみる

初乗り運賃で手に入れられる幸せを共有できはしない話

例えば、タクシーの運転手さんに、

「あなたが一番幸せだった場所へ連れて行って欲しい」

といいたい。辿り着いたその場所で、けれど、そこがどんな思い出なのかは聞きたくない。他人の幸せなんて糞食らえだと思っている。ただ、その人にとって幸せなその場所が、自分にとってはくだらない田舎道だったり、埃っぽい路地裏だったり、変哲も無いビルの屋上だったり、シャッターだらけの商店街だったり、そういうものであってほ

もっとみる

「死にたい」と言われたら「好きにしろよ」という。これは本音。

最低な毎日、とこれまでに何回呟いたか分からない。子供じみた自尊心とプライドとも呼べないような陳腐な心構え。なににも染まりたく無い、誰にも影響されない。私でいたい。なにより、一人で生きていきたい。
だからさっさと消えてしまえよ、お前ら全員、それか、お前がいなくならないなら、それなら私が消えてやるよ。
なんて、あの頃に頭の中で繰り返した恨み辛みの言葉が、巡り巡るうちに、どんどん狂気じみていくのも自覚し

もっとみる

御堂筋のイルミネーションは相変わらずだということ。

心斎橋のLOUIS VUITTONから真っ直ぐ、難波まで歩く御堂筋は、寒さに身を縮めながら一人で歩くには、少し寂しく、虚しく、強く、潔い。

そういえば、数年前のこの時期も同じことを思っていた気がする。夢があった。まだ若い自分は、何にだってなれる気がしていたし、ここにいたくないって叫んでいた。眠れない夜に、眠れないまま、夢を見ていた。そんな頃の御堂筋も、また同じように寂しく、虚しく、強く、潔かった

もっとみる

20代のうちに、一度死ねた人間は強い。

誰でもよかった。

誰でもいいから私を完膚無きまでにボロボロにして、疲弊させて、貫いて、傷付けてくれたらよかった。たった、それだけの、その傷一つで、今後数年を疎んで背負って、苦しみに喘いで生きて行きたかった。

忘れられないような深く鋭い傷を付けて、その傷を後生大事に抱えて生きてみたかった。

その傷を、私に負わすのは、私を傷付けるのは、あなたならよかったのに、なんて思わない。誰でもよかった。本当

もっとみる

自暴自棄にはなれない中途半端を誇れ

深夜1時。
雨が上がったばかりの国道に街灯の光や信号機の色が反射する。宛ら星空のよう。アスファルトにちりばめられた命のよう。

「星が綺麗な夜に、月を眺めては物思うけれど
あれにも値札がついてるって話だぜ」

ってamazarashiの歌詞が急に流れて、無性に寂しくて、アスファルトの星には値札すらつかないぜ、と捻くれる。踏まれて蹴られて轢かれて、どろどろになった地面に、「雨が降ったから」それだけで

もっとみる

24色の色鉛筆の代わりに、大事なものを残しておいた。

予想以上に、簡単に人間は消える。

溺れても落ちても轢かれても刺しても、たった一言の言葉でも。

誰かが命を諦めるのに、充分過ぎることがある。

簡単に死ねだとかそういう言葉を使わなくなったのは祖父の姉が亡くなった、9歳の夏からだと、はっきり言える。その前々日に、お盆の挨拶に祖父の姉の家へ行ったときは、元気そうに綺麗に年の数だけシワを重ねた顔を綻ばせて、笑って迎えてくれた。

絵が好きだった自分に

もっとみる

推し量れない感情は、別れ際が一番色濃いと思う。

「さようなら」の一言だけで、あなたに全てを伝えられたことはないし、あなたが何かを受け取ったこともないんだろう。

もう二度と会わないと思ったことも、明日には会えるんだろうけど、ここで離れてしまうのは少し寂しいね、と言えなかったことも、離れる気なんてさらさらないから、まだ話していようねなんて伝えられなかったことも、君はきっとこれが最後になるなんて思ってないんだろうけど、私はもうとっくの昔に覚悟はでき

もっとみる

母さん、ずっと、貴女のようになりたかった。

私が私を作り上げる上で、その基盤になっているのは母の姿だった。

今時珍しくもないけれど、女手一つで私と兄を育てた母は、はたから見ると、とても厳しく、そのくせ子供を放っておくような、身勝手な母親だと思われかねない人だった。一面だけ見れば。

「全て自分のことは自分でやる」

これは、母が、ずっと口癖のように、私たち子供に伝え続けた言葉だ。

小学校に入ってすぐにお弁当の作り方を教わり、洗い物、洗濯

もっとみる
祖母の戦争

祖母の戦争

七月某日。

長く続いた梅雨の合間、じめじめした空気が肌にまとわりつく。シャツを半袖にするには早い気がして未だに長袖のカッターシャツを来ている。

先月くらいから、夏が近づく気配がして、それと同時に戦争の映画を貪るように見始めた。テレビではまだ梅雨と流行病の話。来月の15日には終戦の特番が増えるのだろう。混沌とした非日常が日常に変わりつつある世の中で、きっと縮小された慰霊祭や追悼式が行われる。戦争

もっとみる