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アンガーマネジメントができていない大人を、私はどうしたって同じ人間として認められなかったりする。

「怒り」という感情が他者から表出する瞬間を、目の当たりにしたことはあるだろうか。もちろん、生きていれば必ずどこかのタイミングで怒られたり、叱られたり、説教をされたりする場面に出くわすことになる。これらに出くわさない人生なんてほぼ絶対にないと言い切れるだろう。そして、怒られる相手は親や身内といったプライベートな"ウチ"の立場の人間から始まり、学校の先生や会社の上司といった"ソト"の立場の人間へ移行していく。 "ウチ"の人間から怒られていた時期は分別のつかない幼少期〜少年少女期

    • 自己肯定感の有無って遺伝子レベルで刻まれてない?気弱な自分も認めてよ。

      先日、友人から「彼女にフラれた。もうダメだ」と連絡が来た。私と同年代のその友人は年下の恋人とお付き合いをしていたらしく、以前会った折も、恋人が可愛くて仕方ないが自分は年上だし魅力もないしこんな関係続くわけがない、いつかフラれてしまう、と弱々しく語っていた。そのタイミングが来てしまったということだ。 「もう30だし仕事もうまくいってないしこんな自分に次の恋人なんてできるはずがない」 と言われてどう言葉をかけようもんか、と考えあぐねた。第三者としてはその友人は整った顔立ちをし

      • ガールをクラッシュしなくても、私たちは自分らしさを獲得できるはずだった。

        韓国のアートディレクター・ミンヒジンとBTSを輩出した超巨大エンターテイメント企業のHYBEが壮大な喧嘩をしている。X(旧Twitter)を眺めていると嫌でも目に入るこの御家騒動、内容については割愛するが、才能があるからと囲われたのに気まぐれに邪魔だと思われたら迫害されそうになるなんて、そりゃミンヒジンからしたら溜まったもんじゃないわな、と思う。ややヒステリックすぎる印象はあるが、自分が生み出した作品を掻き下ろされたら理性も超えて感情のみの怒りが表出してくるだろう。それを生業

        • この世には推し活に「向いている」人間と、「向いていない」人間がいる。

          昨今何かと見聞きする推し活という言葉。三次元二次元問わずアイドルやキャラクターを愛でる文化は随分前からあったはずだが、推し活という括りによってなんとなく良い感じにパッケージングされて莫大な経済効果まで生み出している。推しがいることが当たり前とされ「仕事何してる?」「恋人いる?」「どこ住んでる?」とほぼ同列の質問類として、「推しいる?」の項目が追加されたように思う。ところで貴方は推し、います? こういったオタク文化を漂わせるものが世間一般に流布するのを眺めていると、私が学生の

        アンガーマネジメントができていない大人を、私はどうしたって同じ人間として認められなかったりする。

        • 自己肯定感の有無って遺伝子レベルで刻まれてない?気弱な自分も認めてよ。

        • ガールをクラッシュしなくても、私たちは自分らしさを獲得できるはずだった。

        • この世には推し活に「向いている」人間と、「向いていない」人間がいる。

          ネガティブにはマックドーパミンでブッパして幸せになろう。

          "Super Size Me"という映像作品をご存知だろうか。 私が観たのは高校生の頃、何の授業かははて忘れたが、先生に「グロい場面あるからなー苦手な奴は気をつけろよー」と言われたことを覚えている。 強制視聴させといて何を言っているのか、大人の矛盾に顔をしかめながら観たこの作品、制作者の成人男性が1ヶ月毎日3食をマクドナルドのみで過ごす人体実験を行うドキュメンタリーだ。 脂質がてんこもりのマックのメニューたち。そりゃあもちろん太るのは想像するに容易いが、それ以外にも身体にた

          ネガティブにはマックドーパミンでブッパして幸せになろう。

          街中で仲良くなれそうな人を見つけると、うっかり話しかけてしまいそうになる現象。

          今期大河ドラマの「光る君へ」にとてもとてもハマらせてもらっている。日本も時間と予算をかけてその道の強者たちが集まれば良作ができるんだよなぁと改めて感じる本作品、 残念ながらNHKに知り合いはいないので実際のところは知らないけれど、時間とお金がなかったらあんな衣装も美術セットも作り込めない、ということな映像に関わる端くれの人間でも解る。 そんな光る君への舞台は平安時代。日記文学が成立したのはこの平安時代だと言われている。 貴族は朝に、昨日あったことを日記に記したらしい。現代

          街中で仲良くなれそうな人を見つけると、うっかり話しかけてしまいそうになる現象。

          皆が新生活を迎えた4/1、私は無職になった。

          noteを始めて3年が経っていた。 おめでたいと言わんばかりの事務局からのメッセージ、だがしかし私がnoteを久しぶりに開いたのもまた、3年ぶりになる。 映像業界に入って3年、あまりの自分の理想の叶わなさと人や会社との巡り合わせの悪さに辟易してしまった私は、後を決めずに3/31付けで勤めていた会社を退職した。 天候も暖かくなり、芽吹く季節を祝うように咲き誇る桜が舞う春。世間では新生活を迎えた人々や、彼らにエールを送る人々で溢れていた。 そんな中私は晴れて、無職になった。

          皆が新生活を迎えた4/1、私は無職になった。