この世には推し活に「向いている」人間と、「向いていない」人間がいる。

昨今何かと見聞きする推し活という言葉。三次元二次元問わずアイドルやキャラクターを愛でる文化は随分前からあったはずだが、推し活という括りによってなんとなく良い感じにパッケージングされて莫大な経済効果まで生み出している。推しがいることが当たり前とされ「仕事何してる?」「恋人いる?」「どこ住んでる?」とほぼ同列の質問類として、「推しいる?」の項目が追加されたように思う。ところで貴方は推し、います?

こういったオタク文化を漂わせるものが世間一般に流布するのを眺めていると、私が学生の頃に触れていたニコニコ動画のカルチャーって本当に最先端だったんだなぁと感じる。今や多くの人になくてはならないYouTubeも、要はニコ動と同じような媒体ではあるし。今やニコ動の方はかろうじて存続はするも世間一般からすると見る影もなくなってしまったが、この衰退っぷり、一体何があったんだろうと少し感慨深くなる。

ここまで講釈垂れてきたが、私にも推しと呼べる存在はいる。エンタメカルチャーの幅広く浅い知識をたんまり蓄えている人間なので、ライトに好きなひとやものたちがたくさんいるのだ。
ただかなり飽きっぽいため、突発的にぱっと好きになっていつの間にか忘れていることも正直多い。好意的な気持ちを抱いても、深くは愛せない。それらに関連するグッズを買いまくったりはできないし、ライブに全部必ず参加したりもできないし、対人物であれば開かれる握手会や交流会にも行かない。
そこまで時間もお金も使いたくないし、推す対象と面と向かったとしても話すことが浮かばないし行ってもしょうがないな、と思ってしまう。ちなみにリアルでこんなことを言うと、推し活をシンプルに楽しんでいる人たちから総スカンを喰らうのは必須なので口には出さないようにしている。推しとはいえど知らん人だから話すことなんてないやろとか、そんな興醒めなこと口が裂けても言うなよ、私。

でも私からしたら本当に不思議な感覚だと思っていて、誰かを熱狂的に応援したり、自分ごとのように喜んだり、怒ったり、悲しんだり、それが純粋に出来てしまう多くの人々を、少し羨ましくなったりもする。スポーツ観戦などまさにそう。まるで自分がその観ている選手たちになったかのように、観戦者の感情は動いている。リアルに目紛しく展開する目の前の物語に、心を動かされている。あの中に、私はどうしたって入れないのだ。

さて、私も大概推し活に向いてない価値観を持つ人間だが、先日10年来の付き合いがある美容師さんとお話ししていたとき、

「私、推しできたことないんだよね……」

と、とんでもなく深刻そうな様子で言ってきた。彼女もやはり私と同じような感覚の持ち主で、さらに私と違いエンタメとはあまり距離が近くなく、アイドルやキャラクターにも疎い。洋画への造詣が深い彼女だが、役者にもそこまで私的な感情が沸かないらしい。

「推し活を楽しめるのも、ひとつ才能だよね」

そう、私たちのようにこの現代の推し活の波にうまくハマれない人間からすると、それらはとても特別で、きらきらしたもののように思えるのだ。

ちなみにそんな彼女とは誕生日が同じという共通点がある。この誕生日に生まれたそんな奴らばっかりなのだろうか?ぜひとも統計を取りたい。

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