深夜に消えた客 #2
*この物語は、『新潟市中央区オステオパシー(整体)』の施術者が創作したフィクションです
翌日の夜、私は上川に誘われ、事件現場となったマンションに向かった。12階建てで、古いがきれいに管理されている建物だった。現地集合で、私が着くころには上川がすでにいて、数分すると泉野がやってきた。小柄でショートカット、バツイチの、柔道が強い女性だ。泉野の上司で上川とも親しい織部警部は、忙しいため、今回は泉野が上川の案内役となったらしい。私たちはマンションの入り口で待ち合わせたのだが、玄関を入るとすぐに、防犯カメラがついているのを確認できた。その奥に2基のエレベーターと階段があり、それらを使ってマンションの外へ出るならば、確かにこの防犯カメラに映ることになる。
「まず、事件現場の部屋を見せてください」という上川の申し出に応じて、泉野は私たちを事件現場の410号室に案内した。被害者・天城幸助が整体院を営んでいた部屋だ。エレベーターで4階に上がり、廊下を奥に進み、右手側の一番奥が、410号室だった。ドアの付近には、警察によってカラーコーンが2つ置かれ、それをつなぐように立ち入り禁止のテープが貼られていた。廊下がそう広くはないので、通る人は邪魔だろうと、私はふと思った。廊下は内廊下になっていて、外の音や光、空気が伝わらない。天井の照明が唯一の光源で、マンションの内部全体は、やや暗く、とても静かだった。
410号室の室内は、1LDKの間取りだった。玄関を入ってすぐ右手にある部屋は、客用の更衣室兼待合室になっていた。奥にあるリビングルームには、ベッドが置かれ、そこを施術室として利用していたようだ。施術室の壁際には小さなテーブルと2脚の椅子が置かれていて、どうやらそこで、被害者の天城幸助は、犯人と思われる人物と3日前の夜にお酒を飲み始め、日付が変わってから毒を飲んで死んだ、と思われている。
室内に入ると上川は、いろいろな部分を見て回り始めた。その際に何を考えているのかはわからないが、その細かさと集中力はすごいと、素直に思う。
施術室の奥はベランダになっていて、上川はそこに出て、泉野に言った。「こっち側の下は、駐車場になってるんですね」
「うん」
「そういえば、この410号室の玄関を出て右側、つまりマンションの廊下の一番奥に、扉があったじゃないですか?あの扉の向こうがもしかして、階段なんですか?」
「うん、それが、マンションの玄関に出ない方の、階段。ホシが使ったと思われる、防犯カメラの前を通らない、駐車場を通って外に出られるルート」
「じゃあ、このベランダの下に降りて歩いていけば、その階段の出口にぶつかりますか?」
「うん、そう。そこからだと……、建物を回り込むようにして少し歩けば、その階段の出口に着くよ。何?ホシがそこから降りたとでも考えてるの?」
「いや、何のメリットもないでしょう、それは。普通に、その階段から降りればいい。ここの真下は車が並んでない場所だから、もしここから飛び降りたらアスファルト直撃で、確実に死ぬんじゃないですか?」
「だよね」二人はおかしそうにそんなことを話していた。
ベランダの観察を終え、再び室内に戻った上川が、しばらくしてまた泉野に尋ねた。
「飲み物と食べ物は、残されてたんですか?」
「うん、あったよ」
「どんなものが?」
「ウイスキーの750ミリリットルの瓶と、焼肉弁当が2つと、チョコレート。焼肉弁当は、近くの焼肉屋で販売してたもの。ウイスキーも焼肉弁当も、チョコレートも、けっこう値の張るものだったよ」そう言い、泉野はウイスキーとチョコレートの銘柄、焼肉屋の名前を告げた。私の知る限りは確かに、どれもなかなか高額そうなものだった。「ちなみに、仕事を終えたあと、天城本人がこの部屋を出て、それらを買って戻ってきたことは、防犯カメラで確認済み。あと、買った店にも確認済み。間違いなく、天城自身が買いに行って、戻ってきてる」
「そうですか……。ウイスキーは、1瓶ですか?」
「うん、ウイスキーは1瓶。でも、グラスは2つだったと言ったよね?ちなみに、焼肉弁当は2つ、チョコレートも2つ、そのままビニール袋に入れて縛ったゴミを、押収してる。その中に、焼肉屋と、ウイスキーとチョコレートを買ったスーパーの、レシートも残ってた」
「食べ物は?残ってませんでしたか?」
「うん、食べ物は、完食だったよ。ただウイスキーは、瓶の中に半分ぐらい残ってた」
「そうですか……」上川は、何かを考えている様子で、うなずいた。
さらに上川は、室内を歩き回り、いろいろな部分を見ていた。やがて気が済むと、言った。
「じゃあ、その階段から外に出てみましょう」
私たちは410号室を出て、すぐ右手に見える扉を開けた。中は泉野の言う通り階段になっていて、我々はそれを下っていった。階段も内階段になっていて、外部からは閉ざされていた。廊下と同じく、外の音や光、空気が伝わらず、やや暗く、とても静かだった。
言われていた通りに、階段の出口の扉を開けると、駐車場に出た。このマンションの住人の車が並んでいる場所と、車や歩行者の通り道となっている場所がある。夜の闇が広がっていたが、ところどころ照明が設置されていて、周囲は真っ暗ではなかった。
泉野が、私たちが出てきたばかりの扉のノブを回しながら、言った。「ちなみにこの階段は、外からは入れないようになってるから。ほら、開かないでしょ?」
上川が泉野と交代して、同じく扉のノブに手をかけた。「ほんとだ、開かない。じゃあ、外からこの階段に立ち入ることはできないんですね?」
「うん。中の人はここから外に出られるけど、外の人はここから中に入れないようになってる。このマンションに入って上の階に行くには、玄関を通ってあっちの階段かエレベーターを使えってことだね」
「とすると……、外から410号室に向かうと、玄関の防犯カメラに確実に映るっていうことですね」
「そうなるね」
それから上川は私たちを連れて、建物を回り込むようにして歩き、410号室の真下に出た。歩いて数十秒の距離だった。そして上川は、上を見た。マンション内のほとんどの部屋から、明かりが漏れていた。
「あそこが410号室ですよね」上川は指をさして言った。
「うん、そう」泉野が答えた。
そして上川は再び階段の出口まで戻り、今度は違う方向に向かって歩き、マンションの正面玄関のすぐ隣に出た。目の前は一般の道路で、つまりマンションの敷地の外だった。階段の出口から410号室の真下までと比べると多少時間がかかったが、それでも、歩いて1分もかからない距離だった。
後ろを向き、階段の出口の扉の方向を指差しながら、上川は泉野に尋ねた。
「犯人はあそこにある扉を出て、ここまで歩いてきたと考えられてるんですよね?」
「うん」
「その間に、指紋とか、毛髪などのDNA型鑑定に使える資料とかは、見つかってないんですか?」
「扉のノブに指紋はあったけど、今のところマンションの住人のものしか検出できてない。髪の毛とかは、今のところ複数人のものが採取できてるけど、照合中。マンションの住人が通る道だから、照合作業は大変だろうね」
「そうですか……。他に、昨日俺が話を聞いた時から、新たな情報ってありませんか?」
「特にないんだけど……、209号室の人が、事件の夜の深夜1時過ぎぐらいにベランダの方から、お金──紙幣じゃなくて、硬貨の方ね──みたいなものが、地面に落ちたような音を聞いたって言ってたみたい」
「209って……」
「410の、下の、下の、隣」
「じゃあ、209から飛び降りても、410から飛び降りたのと同じようなところに出るってことですね?」
「うん、そう。あんた、飛び降りが好きだね」泉野はおかしそうに言った。
「いや、別に好きじゃないですけど」上川は一度笑った。「あの、その209号室の人に会えませんか?」
「ああ……。今、在宅だろうから、このまま行ってみようか?」
「お願いします」
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