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NCL遠野事務局 家冨万里 インタビュー

こんにちは。NextCommonsLab(以下NCL)遠野の富川です。このブログでは、毎度NCL遠野の活動をレポートしています。
今回は、NCL遠野の事務局のインタビューということで、2012年に遠野に住み、NCLの立ち上げから関わっている家冨万里さん(東京出身)を紹介します。元ガングロギャル、現スナックママの彼女がどのようにNCL遠野に関わり、どんなプロジェクトを立ち上げているのか、どうぞご覧くださいませ。


---はじめに自己紹介をお願いします

現在はNCL遠野の事務局である(株)Next Commonsでアソシエイトコーディネーターを務めています。ラボメンバーのプロジェクトをサポートしたり、地域の方々とつなげたり、暮らし等の生活面の相談にも乗ります。プロジェクトのサポートについては事務局で担当ディレクターを決めているのですが、私はローカルフードプロジェクト、超低コスト住宅プロジェクトの担当です。
また、数ヶ月前から事務局の自主事業も動き出しています。私は、プロジェクトリーダーとして1月からクラウドファンディングに挑戦中です。NCL遠野の拠点になっている物件の隣で、多様な人たちが集まることのできる居場所づくりを始めます。そのほかに、個人で昨年夏に遠野でスナックを開業して、ママをしています。3足ぐらいのわらじを履いている感じで、毎日バタバタしていますね(笑)


---NCLに参加する前は何をしていましたか?

東京出身で大学卒業まで東京にいました。
2011年に起きた東日本大震災が人生を大きく変えましたね。地震の影響で物流がストップしたり、大勢の人が帰宅難民になったり、東京のもろさを実感しました。「東京には全てある」と信じて疑っていませんでしたが、簡単に崩れ去りました。「何があっても生きることができる力」を身につけたい。そんな思いが湧いてきて、都市の生活を支えている生産現場=地方を目指すことにし、その中でも震災に関わりのある東北に行く事を決めました。
遠野には、2012年に移住してきました。NPO法人地球緑化センターの「緑のふるさと協力隊」というプログラムで農山村でボランティアをしていました。朝4時からわさび農家さんの手伝いをしたり、郷土芸能の団体で神楽をしたり、かなりディープな生活を過ごさせてもらいましたね。
協力隊の任期終了後は、2年間市の非常勤職員で地域活性を担当する地域活動専門員の仕事をしていました。その頃、NCL代表の林さんが遠野に引っ越して来て、NCLの事務局メンバーとして声をかけてもらいました。


---他のNCLメンバーとは異なる道を辿ってきたんですね?

全然違いますね(笑)。新卒で会社に入って、という社会人生活を送ったわけでもないので、とにかく何も持たず遠野に飛び込んで、泥臭く色々なことにチャレンジした結果、生きる力はつきました。ただ、NCLのラボメンバーのようにデザインができたり経営計画が作れたりするわけじゃないので、今でも自分は何ができるのだろう、ということはよく考えます。

---そんな中で、ご自身がリーダーとして立ち上げたプロジェクトについて教えてもらえますか?
今年の4月オープンを目標に、遠野の街中にある空き店舗を改修して、多様な人が行き交う居場所をつくります。

地域で生活していると、人口が少ない分、顔も知ってるし、誰がどこで何をしているかという情報が入りやすくなります。その関係性と距離感は、そばに味方がいるという安心感がある一方で、固定されたコミュニティ特有の動きづらさ、生きにくさようなものを感じる人もいる。実際、スナックに来るお客さんや、知り合いの高校生の話を聞くと、同様の悩みを抱えている人たちがいます。

「これが“普通”」という明確なことは決して無いのですが、その「普通」を外れてしまった人にはなかなか生きづらい環境なんじゃないかと思います。人の目も気になりますし。私も6年遠野で生活しているのでその感覚は理解できるのですが、じゃあどうしたらそれが解決できるのかと考えていました。
その答えが、誰でも、いつでも訪れることができる自由な空間なんじゃないかと思ったんです。
例えば、工具や遊び道具が用意されていて作業や遊びができる。手軽なドリンクやおつまみを食べられる。小中高生が宿題をしている横で移住者のお兄さんが動画編集講座などのスクールを開催していたり。ときどき映画が上映されてもいい。
そんな、遊び場であり、学びの場であり、休む場である。地元の人も外から来た人も気兼ねなく過ごすことのできる、風通しのいい場所が地域には必要なんじゃないかって思ったんです。


---プロジェクトの資金を募るクラウドファンディングの進捗はいかがですか?
「元ガングロ。東北にセンター街をつくる!」というプロジェクト名でクラウドファンディングに挑戦しています。公開30日で1,122,500円(達成率32%)、127名の方から支援をいただきました。

目標金額は350万円なので、まだまだこれからですが、すでに100名以上の方から支援を頂けたことはとても嬉しく思っています。クラウドファンディングの呼びかけ文で、初めて自分のガングロギャルだったことやいわゆる「家出少女」だった過去のことなどをさらけ出したので、公開前はものすごく緊張と不安がありました。公開ボタンを押すときは冗談じゃなく胃が痛かったですね(笑)。でも、プロジェクトの準備のために遠野で色んな方に話を聞いたり、別の地域で場づくりをしている方の話を聞いたりして、絶対に地域で必要な取り組みだと確信したので、決意して始めました。すでに親の立場の方や、教育に携わる方など、遠野だけでなく全国から多数のご連絡・応援をいただいていて、反響にびっくりしています。
メディアの方々にも取材してもらって、元ガングロギャルの私が社会面!?という感じですが、反応があるのはとても嬉しいです。


---タイトルの「センター街」の意味を教えてもらえますか?

「東北にセンター街をつくる!」と言っていますが、別にギャルが行き交う街をつくりたい、という意味ではなくて、私が中高生の頃に居場所だった渋谷センター街のように、多様な人がそれぞれが自分らしくいられる環境を作りたいという意味で使っています。
センター街を居場所にしていた当時、私は家庭の問題や、学校でいじめにあったりしていて、どこにも自分の居場所がないと感じていました。

そんな時に、センター街に行くと、自分と同じような境遇の子がいたり、他人の目を気にせず自由な服装をしている人がいて、「ここなら自分らしく振る舞える」と思ったんですね。今でいうサードプレイスというか。
私が心の居場所として渋谷センター街に救われたように、地域の中で生きづらさを抱える人たちが安心して過ごせる場所、かつ自分の個性や特性を発揮するきっかけを得られるような場所をつくりたいですね。


---地元の方とは、どのように連携しているのですか?

プロジェクトの拠点は、かつて「ひと千、馬千」と言われる賑わいを見せた遠野の中心地・一日市通りに位置しています。さらに、隣はNCL遠野の活動拠点でもあるので、商店街の方々には立ち上げ時からなにかとお世話になっていました。今回のプロジェクトやNCL遠野の活動が、商店街を利用する人が増える一つの理由になればいいなと思っていて、商店街組合の方々と意見交換をしたり、相談をさせてもらいながら進めています。うまくいくことばかりの毎日ではないし、場づくりって時間のかかるものだと思っているのですが、新しいアクションを応援してくれています。


---スナックのお話と、スナックとNCLとの繋がりについて教えてもらえますか?

個人の仕事として、遠野近くの「親不孝通り」という飲み屋街にスナック「トマトとぶ」というお店を開きました。スナックはどんな人でも肩書きを外して居られる空間で、いろんな人が集まってきます。地元のお酒好きなおじさんと、NCLの視察に来ている東京の起業家の方がカウンターで隣の席になて、いつの間にか自然に交流していることもあります。小さなスナックの中で生まれるカオスな環境がとにかく面白い。これぞNCLが目指す良質なカオス!って勝手に思ってます。
ほかにも、スナックでしか出会えないような方々からアイディアをもらったり、情報をもらったことがNCLのメンバーの活動につながったりするので、いつの間にかそういう窓口にもなっていますね。インターネットの上だけが世界ではありません。


---これからNCL遠野でどのようなことにチャレンジしていきたいですか?

まずは、このプロジェクトのクラウドファンディングを成功させたい!そして、新しい拠点をつくりたいですね。春から、一緒に拠点を作ってくれる仲間も2人増えることになりました。風通しの良い場所をつくって、NCLも地元の方も、垣根がないような環境になったらいいなと思います。
また、ラボメンバーの活動も、今年2年目、3年目に入るので、伴走者としてそれぞれの活動が進んでいくサポートができたらと考えています。

---NCLに興味を持っている人にメッセージをお願いします
先が見えない恐怖で立ち止まることよりも、一歩踏み出した先に見えてくる物事の方が遥かにエキサイティング!死ぬ以外はかすり傷!!

20代中頃は、自分に自信が無く、道に迷った時期もありました。
学生時代に留年をしてしまったことや、これといった華やかなキャリアが無く「自分には何ができるのだろう?」と思い悩みながら理想と現実のギャップに落胆したり、悶々と考え続けていました。が!!考え続けても、意味が無いことに気づき、とにかく行動を!と思い始め西は沖縄、北はニューヨークまで日本や世界各地を旅し、様々な人に会いに出かけました。
動いたことで起きたポジティブな流れがNCL・スナックなど今の活動に繋がっています。それは28歳の時からで、普通に考えたら遅咲きです。でも、意志さえあれば人はいつからでも始められます。
その頃に出会い、今も尊敬をしている方から言われた一言を未来の仲間に送りたいと思います。
「自分を信じる。」
新しい事を起こす時には必ず沢山の困難が待っていますが、最後まで折れずに成し遂げられるかどうかは、自らを信じきれるかどうかだと思います。
そして、マイナス20度の遠野でも笑っているような、困難を楽しむ気持ちも大切だと思います。さぁ一緒に新たなる旅に共に出かけましょう!お待ちしております。


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