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今生きている2

今年で乳癌の手術をしてから丸5年が過ぎ6年目に突入した。

当時の事はよろしければご覧下さい。


あの頃から比べると今の生活は激変した。

まず仕事は退職した。

母は支援1から介護5となり車椅子生活。ほぼ介助無しでは生きていけない。そんな母を沢山の皆様の力を借りて介護する生活。

そんな私の手術した病院の定期検診の時の事を綴ってみたいと思う。

私は10年以上前に健康診断で再検査となりそれ以来お世話になっている乳腺外来クリニックがある。そのクリニックの医師から乳癌を告げられ紹介状を書いて貰って大きな病院で手術をしてもらった。

手術後は、3ヶ月おきのクリニック受診になり、タモキシフェンの処方とマンモグラフィやエコー、血液検査を行い全身を管理してもらっている。

手術をした大きな病院では毎年1回手術をした月に予約をして、血液検査や骨シンチ CTなどを行い転移がないか全身をしらべてもらう。

半年前の12月、1年ぶりの受診。前回から骨シンチはしていないので検査にかかる時間が激短に。


骨シンチがある時は朝食抜きで家を出て着いたらすぐに血液検査。その後地下の骨シンチ検査の為のブースにて待機。

薬液を入れるための針を血管にさして液を注入。

いつも私の時は2人の担当が交代しながらチューブを入れようと頑張ってくれている。私は血管が細いらしく毎年あーでもないこーでもないと右手左手表裏ひっくり返しながら可能な場所を探して探してやっとの事で見つけてくれている。だいたい最終的に手の甲が多かった。確か骨シンチ検査は液を注入してから3時間後に検査が出来るようだったと記憶している。液を注入しないとその検査も出来ないので、担当者が必死なのが分かる。やっとの思いで確保出来た時はその2人の担当者からほぉ~っと安堵の声が漏れ聞こえた。液を注入してから、3時間後にまたここに来てくださいと言われ今度はCTへ。

といった流れがあったのだが前回からはCTのみ。しかしやはりCTのここでも…血管が細くて…担当看護師さんは2度も失敗し結局諦めてしまい「CTの先生にお任せしましょう」ですって。

ちょっと焦ったけど、CTの所で担当してくれた方はなんと一発で血管確保。凄腕?ちょっとお兄さん素晴らしい!と見とれてしまった。

無事にCTが終わると診察となる。ちなみに骨シンチがある時は朝食抜きで動き回り3時間後の骨シンチ検査が終わるまで水のみ可となる。だいたいお昼の1時過ぎ位まで食べられない。

今回も食事は1時過ぎまで食べられなかったが何とか持ちこたえ診察となる。

大きな病院あるあるだが年に1度の診察は毎回新しい先生が担当してくださっていた。なぜなら手術をした執刀医は放射線治療中は在籍していたがその後移動。次に担当した医師も翌年にはいなくなりその次の年も。毎回違う医師に診察をしてもらっていた。

そして今回はどんな先生かなぁと思いながら順番を待つ。やっと診察に呼ばれ診察室へ向かった。

血液検査の説明や現在の体調、かかりつけ医師からの情報提供資料など確認してくださる。色々な事を話していくうちに

5分位医師と対面して…あ…

と気づいた。

「先生!私の手術してくださった先生ですよね」

「??!えっ?ちょっと待って下さいね」とパソコンのデータを確認

「あらぁそうです!」


今診察してくださっているこの可愛らしい声の持ち主の素敵な先生はまぎれもなく私の執刀医。お名前を忘れていたわけではなかったがまさか戻って来ているとは思わなかったので全く気づかなかった。

何と言っても声がとても印象的。入院中隣の病室からでも「あ、先生隣にいらっしゃる!」とわかってしまう程。

そして口癖「はい、は~い💞」可愛らしいけれどはっきりとしたこの声は忘れられない。

移動して不在となっていたのについ何ヵ月か前に戻って来たそうだ。そして来月にはまた移動で不在になる絶妙なタイミングで再会できた。

「無事に生きています!」とお話し、手術して下さった事への感謝をお伝えすることも出来た。

先生も「私も嬉しいです❤️」

とってもとっても素敵な笑顔。

おまけに先生から「これでこちらでの診察は今回で終了で良いと思います」と終了宣言してもらえたのも感慨。

運命的な先生との再会でこの手術した病院ともお別れ。出来る事ならば再発がなければありがたいと思った。

読んで頂きありがとうございます。

今日も明日も良い事がありますように