【史】終戦後の米軍の日本地図を見る/地図も読み物だから(17)
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この記事は、Podcast「にゃおのリテラシーを考えるラジオ」の2023年2月18日配信の書き起こしです。
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にゃおのリテラシーを考えるラジオ
読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書と IT 時代の読み書き、そろばんを中心に様々な話をしています。
今回のタイトルは、
【史】終戦後の米軍の日本地図を見る/地図も読み物だから(17)
です。
土曜日は地図を読む話をしています。
米軍が作った日本地図
こうやって話すために地図について調べていると、結構面白いものを見つけることがあります。
何がきっかけだったのかは思い出せないのですが、第2次世界大戦後にアメリカの陸軍が作っていた地図を見つけました。日本で言えば、終戦後ってことになりますよね。
例によって、情報書き起こしのnoteに載せておきますので、興味がある方はそちらを参照してみてください。noteへのリンクは概要欄に載せておきます。
見つけたのはテキサス大学のサイトでした。
ここではさまざまな地図が公開されています。その中に、1954年の日本の地図があります。
1/250000の地図ですがなかなか詳細です。
米軍が使うわけですから表記は英語なのですが、地図の中の要所要所の地名には日本語表記もあります。現地の表示とか、ほかの地図と照合する際に使うのではないかと思います。
日本の国境
この地図がまとめられたのは1954年ですが、左下の注意事項を見ると情報自体はもっと古いものを参照したと書かれていますので、作られた時点では、少し古い情報が盛り込まれた地図になります。
そして、とても興味深いのが、国境に関する記述です。
国境が関連しそうな図には、この図が国境を確定したものと考えてはいけないと書いてあるのです。そして、日本とソ連の国境はカムチャッカ半島の南に引かれ、千島列島はANDER ADMINISTRATION OF USSRと書かれています。南の方を見ると沖縄のあたりはUNDER US ADMINISTRATIONと書かれています。
1954年というと昭和29年です。この時点でこれらの地域の国境は確定しておらず、施政権が返還された沖縄と南西諸島とは異なり、千島列島では今でも国家間で認識が分かれているわけです。
この地図を見ているとそういう歴史的な流れと現状が少し理解できるし、国境線が結構曖昧で、対峙する国だけではなく超大国の思惑の中で決まってくるものなのだなぁと感じることもできるわけですね。
地図は歴史を考える上で欠かせない情報源なのだと再認識させられました。
インターネットで、こんなふうに世界中の、それも各時代の地図が見られるようになったのはとてもすごいことですよね。
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今後配信の中で参考にしていきたいと思います。
おわりに
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今日もワクワクする日でありますように。
千葉直樹でした。
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