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伝統ってなんだろう

今のインターンで「伝統工芸品」を作る職人さんたちの課題について考えています。長い歴史の中で培われた技術によって作られる伝統産業は今こんな課題に面しています。

後継者不足

彼らの課題を考える上でこの問題は非常に大きなものです。海外からの輸入品が増えたことで安価な品物が人気になったり、時代の流れとともに生活様式が変化し、需要が少なくなったりして、産業への注目が下がってしまいました。さらに大きく変わったのは若者の就業意欲です。最近度々報道されることが多い、若者の新たな価値観の変化。仕事に求めるものは、お金や地位だけでなく「ワークライフバランス」や「成果主義の評価」などに変わり、年功序列の構造にも疑問を投げかける人が増えています。そんな中、半年から一年は無給での修業で習得まで〇〇年かかるというような伝統産業は遠ざけられているようです。
今の職人さんたちも高齢化が進み、その代で技術が継承されずに終わってしまうのではないかという懸念があります。

IT・デジタルへの遅れ

職人の平均年齢が上がっていることは後継者不足のところで触れました。それに比例してこの業界では全体的にデジタルへのシフトが遅れているようです。需要の低下とともに労働人口の流入は減り、前からいた人が続けると言った形でこの産業がつづいているので、年齢層が高くなっているのだと思います。それによって新たな情報や技術への着手が始まらない、始めようとしても扱える人がいないといった問題から、デジタルへのシフトができずそのまま可能性をとざしているパターンもあります。その遅れの度合いが大きければ、従来の取引先とも契約を続けられないケースもあるようです。我々が普通に使っているインターネットやメールも普及していないということがザラにあります。それは顧客との接点を減らし、管理コストを増大させ、ミスを誘発するものです。

支援待ちの体質

ではなぜこのような危機的な産業でも存続できているのでしょうか。それは伝統工芸品の認可を国などにもらうことができると、保護の対象として一定の補助金や助成金などがもらえるからです。もちろんそれを発展のため、需要の拡大のために当てる必要などはあると思いますが、手厚い援助によってその危機感や発展のための活動が一部怠慢になっているのではという指摘もあります。
 しかしこれは職人さんや地域によって大きな差があると思われます。伝統品の普及や発展のためにオンラインショップやセミナーの開催などを手がける株式会社aeruのコロナ禍における伝統産業事業者のアンケートでは、この体質から根本的に抜け出したという回答が見られました。当事者の方もこれには問題があり、健全な状態ではないということを認識され、乗り越えようとされているのだと思います。

需要の低迷

これは前の段落でも何度も触れていますが、消費者の行動やニーズ、風習の変化などから生産数が減少しているのは紛れもない事実です。もちろんいくつかの伝統産業では現代の生活に馴染めるようなものへとデザイン等に工夫が施されたり、ファッションとして新しい提案を始めているものもあります。そういった時代に合わせた形での存続を目指していくのは非常に良い方向性だとは思いますが、全ての産業でそううまくは進んでいいないのが現状のようです。

ざっとあげただけでも伝統産業を取り巻く課題の多さや根深さを感じますが、その全てが独立したものではなく、連鎖的に起きているような気がします。もちろん長い下積みなどこの産業特有の性質からくるものもありますが、生活様式が変わり、それに対応できず需要が低迷、それによって業界の魅力度が下がって労働者の数が減少するとともに高年齢体質に。デジタルへの対応遅れがさらに問題を悪化させている。

これらの課題について考えているときにふと、当然のように前提にしていたことに疑問が沸きました。

伝統ってなぜ守らないといけないのだろう?

すごく馬鹿げた質問かもしれません。しかし、これに簡単に答えが出せなかったのです。
 私は需要の拡大を目指すよりもそのノウハウや技術を他に展開できないかと考えています。そうすることで、職人さんの活躍の場が増えたり、違った形での技術の保存やノウハウの継承ができるのではないかと考えているからです。その一方で、需要の拡大を目指すこともできますが、継承できなければいずれ失われてしまうという課題は付き纏います。伝統産業にもいろいろありますが、実用的なものではなく、鑑賞目的や風習で使われる人形などの需要を増やすのは極めて困難だと考えます。だからこそ、それを近い産業で昇華させることはできないかと考えました。
 しかしそうすると、従来の伝統工芸品が姿を消してしまうかもしれません。その時に「なぜそうまでして保存しようとしているんだ?」と疑問になったのです。需要が低迷したということは社会がそれを必要としなくなったということです。普通の産業であればどんな製品にも廃れはやってくるので、それを新たな技術やアイデアで刷新してきました。例えば、掃除機なんかもそうで、箒とちりとりから始まり、電力で動くものが出てきて、軽量化や吸引力の改善などを行なっている時に、掃除ロボットというものも出現。今ではハンディタイプなどのものも出てきて、ニーズに答えて変化してきたと言えます。その一方で、伝統工芸品はどうでしょう。技術が素晴らしいとはいえ、必要とされなくなったものを作り続けていくのは難しいはずです。では、なぜ残すのか。もちろん、経済価値以外に文化的な価値歴史的な価値があるだろう、という指摘は飛んでくるはずです。文化や歴史の保存には資料館等に保存・展示するという方法があると思います。土器などは今は生産されていないでしょうが、歴史としてしっかり資料館等に保存されています。それで当時の歴史や風習を振り返ることもできるはずです。それじゃダメでしょうか?

文化や歴史ではなく、使用を目的として作り続けるのにこだわる必要はあるのか。もちろん今は少ないながらも、需要があるので「すぐにそんな古臭いものやめてしまえ」ということではありません。
この問いの本質的な部分は「いらないならやめていいんじゃない?」ということが言いたいのではなく、どのように残していくことが職人さんや社会にとって有益なのか、を考えることです。もし技術を他の製品開発や展開に活かせるとしたら、職人さんたちはその方向に踏み切れるのか、そこを知りたいと思ったのです。なくなればいいということではなく、それを守りたいという気持ちにはどんなストーリーがあるのか、これは作り手の人にしかわからないのかもしれません。しかし、僕個人は求められるものであって欲しいと思っています。必要としてくれる人がいるから、作り手も頑張れるというのは少なからずあると思うので、長い歴史をもつ技術やノウハウが多くの人の役に立つ形で社会に受け入れられてほしい。彼らや社会にとって幸せな方向性はどこなのか、寄り添って考えてみる必要があると思いました。


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